第23話 舞台『偉大な王と女詐欺師』
東京サンセットボーイズ特別公演『偉大な王と女詐欺師』
作・演出 二山幸雄 (於・東京ペルコ劇場)
出演
市川幸四郎
東村雅彦
水沢舞子
他
舞台初日の朝。舞子はなかなか起きてこなかった。心配した馬場正子が舞子の部屋へ覗きに行くと、舞子はベッドの上でうなされていた。
「舞子ちゃん、大丈夫?」
と声をかけても返事がない。慌てて額に手を乗せる。すごい熱だ。
「たいへん!」
正子は部屋を飛び出し、其田のところへ向かった。
「まずは病院に連れて行こう。私の車に舞子を載せなさい」
其田が慌てて準備する。
「そうだ、二山さんに連絡を入れておこう。最終リハーサルには間に合わないだろうからな」
其田はそう考えて、二山に電話をした。
「舞子ちゃん、車に乗せました」
正子が報告する。
「急ごう。何としても初日の舞台に間に合わせたい」
「はい」
車中で、舞子は目を覚ました。
「大丈夫? 舞子ちゃん」
「寒い」
舞子はポツリと言った。
「まさか、季節外れのインフルエンザじゃないだろうな?」
そう、つぶやきつつ、其田は十八年前の悲劇を思い出していた。冬枝雅美の発病である。あの時も高熱から始まった。まさか、同じ白血病ではないだろうか? 不安が心を支配する。ハンドルを持つ手が震えた。
その頃、舞子発熱の報を受けた二山も同じ思いでいた。
「まさかな。二度も同じことがあるわけがない」
必死に心をつなぎとめる。雅美が発病したのは、二山が自らメガホンをとる初監督作品『おんな白夜行』の撮影の時であった。あの時も、雅美が高熱を発したことが始まりだった。しかし、雅美は解熱剤を大量に飲んで、撮影に挑んだ。それは苦しかったに違いない。だが、雅美は他の出演者に気がつかれないほど、素晴らしい演技をした。そして、クランクアップしたあと、スタッフから花束を贈られるという時に地に倒れた。そのまま、救急車で病院に直行したが、二度と現場に戻ることはなかった。その時のことが二山の脳裏にフラッシュバックする。
「いいや、ありえない、ありえない。舞子が不治の病に侵されることなど」
二山は首を左右に振った。嫌な記憶を振り払うためである。
診察を受けた舞子の病気は、「過労による風邪」であった。舞子は医師にこう言った。
「大事な舞台があるんです。解熱剤を通常より多く下さい。あたしには舞台を全うする責務があるんです」
医師は答えた。
「馬鹿言っちゃダメだよ。解熱剤は規定通りにしかあげられない。それに、舞台なんか無理だ。休みなさい」
「そうはいかないんです。お願いします」
「じゃあ、とりあえず、解熱の注射と栄養剤を点滴しよう。解熱剤は大量にとると死亡リスクがあるからね。簡単にはあげられない」
「そうですか……」
結局、舞子は解熱剤を注射され、栄養剤の点滴を打つこととなり、午前中が終わった。たぶん、最終リハーサルには間に合わないであろう。其田は、
「ギリギリまで体を休めて、本番に備えよう。無理は禁物だ」
と舞子に告げた。
其田と入れ違いに馬場正子が病室に入ってきた。舞子は正子に、
「ドラッグストアに行って大量の解熱剤を買ってきてください」
とお願いした。
「そんな、体に差し障ること、できません」
と正子は断ったが、舞子が、
「あたしは女優なの。風邪くらいで舞台に穴を開けることなんて死んでもできない」
と必死の形相で頼むので、正子は渋々ながら承諾した。
「立てます。歩けます」
舞子は言った。その顔色はいつも以上に白い。其田は黙って聞いていた。本音では舞台を休ませてあげたい。だが、そうすると多くの人に迷惑をかけてしまう。「あいつはドタキャンする女だ」と陰口を叩かれ、仕事の依頼も激減してしまうだろう。今が、舞子にとって勝負どきなのだ。休めとは絶対に言えない。病室に悲壮感が漂った。
劇場に向かう車中で、舞子は市販の解熱剤を一シートと最高級の栄養ドリンクを二本飲み干した。顔に若干の赤みがさす。
「いけます。いけるんです」
舞子は其田に言った。というより自分に気合を入れているんだと、其田は感じた。
劇場に入る前、舞子は正子に頼んでペットボトルの水を買って来てもらった。それで、解熱剤をまた一シート飲む。
「おいおい、それじゃあ、胃をやられちまうぞ」
其田が咎めると、
「その時は胃薬を飲めばいいんです」
舞子は言い放った。其田は何も言い返せなかった。
舞台裏では二山が待っていた。
「大丈夫か? 舞子くん。顔色が白いけれど」
「平気です。たかが風邪を引いたくらいです。なんとでもなります」
「ならいいんだけど」
「みなさんに最終リハーサルを休んだことをお詫びして来ます」
舞子は楽屋へと向かった。
「そうだ、其田さん。大量の差し入れが届いていますよ」
二山が口を開いた。
「なんですか?」
「キャルピスウォーター」
「ああ。みなさんにお配りしなくては……」
「そんなことより、舞子くんは大丈夫なんですか?」
「実を言うと大丈夫じゃありません。大量の解熱剤と栄養ドリンクで、かろうじて立っていられますが。最後まで舞台を勤められるかどうか……」
「そうですか。でも、やってもらわないと困ります。代役はいないんです。舞子くんの根性を信じるしかないな」
二山は腕を組んで考え込んだ。
お詫び行脚が終わった後、舞子は楽屋にこもって、キャルピスウォーターをがぶ飲みしていた。栄養補給である。点滴を打っただけで朝から何も食べていない。胃が受け付けないのだ。解熱剤を大量に飲んだせいで眠気もある。身体が重い。でも、やるしかない。舞子は太ももにボールペンを刺して眠気を飛ばし、正子にいつもより濃いめにメイクをしてもらった。
「やれるわ、絶対に」
舞子はそう口にした。
二山作品のほとんどはコメディーである。観客は笑いを求めてやってくる。だから幕が開くと、歌舞伎界の大看板、市川幸四郎演じる王様が玉座でだらしなく居眠りをしている姿を観て、早くも笑い声が起こる。ついで宰相役の東村雅彦が王様の姿を見て、ボソッと嫌味を言うと、実は王様は起きていた。ぼやきの一部始終を聞かれていたことに気がついた宰相が必死に取り繕う場面になると大爆笑が会場を包んだ。
舞子の出番はこれからである。王国の大将軍が隣の城を攻め落とし、金銀財宝と後宮の美女を捕虜にして戻ってくるという。その美女の中に、舞子演じるチェリーがいるのだ。舞子の登場シーンは荒縄で縛られた格好だ。大人数の女優の後方にチェリーは立っているが、その美しさは隠せない。国王は迷うことなく、チェリーを後宮に入れることにする。
だが、チェリーは実は女詐欺師であった。様々な奸計を使ってライバルたちを陥れ、最終的には女王になるつもりだ。つまり、国王をいや、王国全部を騙そうというのだ。それを舞子がコミカルに演じる。体調面の不安など、微塵にも介さない演技だった。
クライマックス。
「あたしがこの国の女王よ!」
と玉剣を天高く突き上げる場面では、ものすごい拍手が起こった。舞子は体調不良を乗り越えて、見事役柄を演じ切ったのだ。完全に主役を食っている。
「やったな」
「よかった、よかった」
「素晴らしかったわ」
二山、其田、馬場正子が出迎える。すると舞子は其田に倒れ込んだ。
「ああ、ダメだ。救急車、救急車!」
其田が叫ぶ。舞子は病院に逆戻りである。
結局、舞子は十日間の公演中、病院と劇場を往復した。それでも、演技が鈍ることはなかった。主演の市川幸四郎は「あの根性、梨園の男衆も見習ってほしいものだ」と語った。
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