第22話 舞台に立つ

『君を好きでもいいですか?』第六話の視聴率が11.4パーセントを記録した。(テレビリサーチ社調べ)ジャパンテレビが『木曜ミッドナイトドラマ』枠を創設して初めての快挙である。スタジオは沸いた。出演者、スタッフには大入袋が配られる。

 念願の打倒『アマトーーク』を達成したプロデューサーの松本は、満面の笑みで、

「これもひとえに水沢さんのひたむきな努力と中島くんの好演技のおかげだよ」

と言って、二人を讃えた。舞子は照れるばかりである。中島はおどけた表情を見せた。

 中島は舞子に、

「お祝いに、今夜こそ夕食でもどう? おごるからさあ」

と舞子を誘ったが、舞子はあっさり断った。

「僕のこと嫌いなの?」

 中島が思い切って聞くと、舞子は、

「役の上では好き。それ以外は普通」

と正直に答えた。

「普通……そう、普通ね……」

 中島はかなり手厳しいダメージを心に受けた。


 ドラマと同時に放映が始まったキャルピスウォーターとハードバンクのスマートホンのCMも、可愛い制服を着た舞子の躍動感あふれる演技がお茶の間でウケけて、CM好感度は一位、二位を独占した。舞子は今まで以上の人気を得た。それに目をつけたのは、各テレビ局のバラエティー班だ。其田事務所の電話は一日中鳴り止まなかった。其田はもう一ランク、舞子の知名度をあげようとバラエティー番組への出演を舞子に薦めたが、答えは「ノー」だった。舞子は激しい拒否反応を示した。

「社長、あたしはもっと素敵な演技がしたい。女優がやりたいんです」

 半べそをかきながら訴える舞子に其田は何も言えなかった。


 そんな時、其田の元に脚本家の二山から電話がかかって来た。

「二山さん、お久し振りです。なんのご用ですか?」

——其田さん、舞子くんをしばらく貸して欲しいのだけれど。もう次の仕事決まっちゃいましたか?

「いいえ、まだ検討中でして」

——それなら、渡りに船だ。舞子くんを正式に借り受けたい。

「どんなことに使うんですか? ドラマですか」

——舞台ですよ、舞台。舞子くんにはいい経験になると思うんですがね。

「まさか、主演じゃないですよね」

——天下の人気者、舞子くんに申し訳ないけれど主役じゃありません。でも、重要な役割を果たす、準主演というところかな。

「そうですか。いつも舞子がお世話になっていますから、お話だけでもお伺いしましょう」

——そうしましたらいつもの新宿のホテルのラウンジで。ああ、舞子くんも連れて来てくださいね。

「かしこまりました」

 電話は切れた。 


 二山は遅刻魔として業界で有名である。今日も、いつ来るかわからぬ二山を舞子と二人で待つ羽目になった。。舞子は学校帰りで制服のままだ。ラウンジに着くとやはり、二山の姿はなかった。

「いつものことだからしょうがないか?」

 其田は独り言をつぶやいた。

 やがて、ボサボサ頭の二山が現れた。その顔には苦悩がくっきりあらわれている。台本の作成がうまく言っていないのであろうか? 席に着いた二山に早速、声をかける其田。

「大丈夫なんですか? お身体。疲労が顔に如実に出ていますよ」

 二山は胸ポケットから煙草を取り出し一服した。釣られて其田も煙草を吸いだした。

「脚本が出来ていないんでしょ。遅筆の二山さん」

「いや、台本は珍しく、早く出来ました。僕の新記録です。キャストも決まり、リハーサルにもスムーズに入りました」

「じゃあ、舞子の出る幕はないんじゃないですか?」

「ところが昨日、トラブルが起きました。出演予定の吉原美穂が自転車で転んで、足を骨折したんです。本番五日前のことです」

「五日? 本番まで五日しかないんですか?」

「そう、たいへんなピンチです。諸方に代役を頼みましたが、美穂の役は台詞もアクションも多い。皆、断って来ました。だから、舞子くんに出演をお願いしたいのです。この通り、よろしくお願いします」

「しかし、常識的に考えて二日で台本を暗記し、三日でリハーサル。それは無理でしょう」

「そこをなんとか」

 二山は頭を下げた。すると、

「社長」

舞子が其田の袖を引っ張った。

「なんだい?」

 其田が聞くと、舞子は立ち上がって宣言した。

「出ます。二山さんのために出るんじゃありません。自分のために出るんです」

「ま、舞子くん!」

 二山は舞子を見上げた。窓に映る夕日に照らされて、舞子は女神のように見えた。

「しかし、しかしだな。二日で、二山脚本を暗記するのは難しいぞ」

 其田が引き止める。

「暗記する? 違います。その役柄になりきれば、自然と言葉が頭の中に入って来ます。二山先生、あたしの演じる人物はどんな名前で、どんな性格をしているのですか?」

「あ、ああ。チェリーという女詐欺師だ。成金の金持ちからお金をだまし取るのが職業だ。性格は用心深い。それでいて、剣の達人でもある」

「台本を見せてください」

「ああ」

 二山が台本を鞄から出す。かなり分厚い。舞子はそれを受け取ると、立ったまま読みだした。そして、二時間が経過した。

「だいたい掴めました。あとは体の動かし方だけですね。でも、さすがにここでは出来ませんから寮に戻って稽古します。それから、リハーサルですけど、明日から出ます」

 二山と其田は固まってしまった。わずか、二時間で台本を理解するとは。あの、台本にふりがなを黒上純子につけてもらっていた、少女の面影すでになし。

「では、先に寮に戻ります。二山先生、失礼します」

 舞子は立ち去った。


 舞子はその日、徹夜をした。電気を消して暗くした室内で綿密に稽古をする。梅野ほのかが、

「早く寝なさい。学校に遅刻するわよ」

と諭したが、舞子は言うことを聞かなかった。

「しばらく、学校は休みます」

 そう言って、稽古を続けた。

「私はチェリー。ごうつくな金持ちからお金を奪い取る」

 そういうと、台本を見ることもなく身体を動かし続ける。

「今、あたしはチェリーになりきっているの」

 自分に言い聞かせて演技する。焦りはない。明日の朝には完璧にチェリーになりきれることができるだろう。

 結局、窓に朝の日差しを感じるまで稽古した。

「よし」

 そういうと、舞子はやっとベットに入った。浅い眠りだったので、夢を際限なしに見た。

 夢の中では、知らない女性が舞子に稽古をつけていた。

「大丈夫、あなたにならできる。あなたは女優なんだから」

 女性は舞子を励まし続けた。

「そう、私は女優」

 夢の中で舞子は繰り返した。

「私は女優。私は女優」

 その矜持だけで、夢の中の舞子は体を動かし続けていた。


 翌日、午後になって、二山が車で迎えに来た。其田と馬場正子の四人で稽古場へと向かう。

 稽古場内は重苦しい雰囲気に包まれていた。本番直前のアクシデントで、公演が中止に追い込まれそうな状態だからだ。役者、スタッフの顔色は暗い。これまでやって来た努力が水泡に帰すのだ。当然のことだろう。そんな中、二山が口を開く。

「みんな、何をしけた顔しているんだ。吉原美穂の代わりを見つけて来たよ。みんなも知っているだろう。水沢舞子くんだ」

「おおー」

 というどよめきが起きる。

「でも、あと五日じゃ、とても芝居にはならないでしょう?」

 主演の市川幸四郎いちかわ・こうしろうがつぶやく。

「幸四郎さん、安心してください。舞子くんは天才なんです」

「ほう」

「じゃあ、その天才ぶりを発揮してもらおうか」

 東村雅彦ひがしむら・まさひこが嫌味っぽく言う。彼はいわゆる“二山組”のメンバーで、二山が学生の頃からの朋友である。だから本音を出せるのだ。

「雅彦、茶々入れるなよ。まずは舞子くんの出演する場面を中心にして稽古しよう」

 二山が皆に指示する。舞子は位置についた。その姿を見て市川幸四郎は、

「水沢くん、台本を持ってやっていいんだよ」

と舞子に声をかけた。すると舞子は、

「台本は持って来ていません」

と答えた。

「えっ?」

 驚く、幸四郎。

「台本なしでいけるということ?」

「はい」

「びっくりさせないでおくれよ」

「昨日一晩で、頭に入れました」

「そりゃあ、すごい。その頭脳なら東大にも入れるよ。今すぐ役者をやめて、受験勉強したほうがいい」

「でも、あたしは女優ですから」

「役者が好きなんだね」

「好きというより、使命です」

 舞子はことも無げに言って遂げた。


 稽古が始まった。役者、スタッフたちは舞子の演技に不安を感じていたが、心配は杞憂に終わった。舞子は華やかに演技し、歌う。その歌は皆の心に強烈なインパクトを与えた。

「吉原美穂とは格段の差だ。骨折してくれてありがとう」

 と心で思うものが何人もいた。

 舞子のシーンの稽古が終わり、通し稽古に移る。ここでも舞子は完璧に演じ切った。

「ブラボー!」

 思わず、二山は立ち上がった。拍手が起きる。

「これで、日程を遅らせることなく初日を迎えられる。これも全てみなさんのおかげです。ありがとう」

 二山は頭を下げた。


 そして、五日後。舞台の幕が開いた。舞子の初舞台のスタートである。


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