第18話 毒舌女優

 首都テレビの経営する寺山スタジオは敷地面積八万坪を超える、日本最大の撮影スタジオである。十月から始まる、木曜ドラマ『綿菓子を食べる鬼』17シーズンはこのスタジオで撮影される。今日は役者、スタッフの顔見せと、台本の読み合わせが行われるのである。

 舞子と其田はスタジオに一番乗りを目指した。幼い頃、ドラマに出演したとはいえ、舞子は新人だ。早くに来て、しっかりと挨拶することが肝要である。

 だが、スタジオにはもう、スタッフが来ていた。俳優陣はまだのようだ。其田はまず、プロデューサーの岩井福子いわい・ふくこと演出の沢村真さわむら・まことに挨拶をした。

「岩井さん、沢村さん。おはようございます。其田でございます。この度はウチの水沢をご起用いただき、誠にありがとうございます」

「其田さん、おはよう。その子が水沢舞子さんなの?」

 岩井が尋ねる。すると、

「水沢舞子です!」

舞子がとてつもない大音声で挨拶をした。スタッフたちが驚いて振り向いたくらいだ。そしてスタッフたちはそこに見たこともないような美少女がいることに、また驚いた。

「元気で可愛い子ね。これならいいかもね、沢村ちゃん」

 と岩井が言う。

「そうですね」

 沢村が答えた。

「なんのことでしょうか」

 其田が尋ねる。

「橋野先生から台本の差し替えがあったんですよ。水沢さんの台詞と登場回数が増えています。大事な部分での出演も増えていますよ」

 沢村が説明した。

「そうなんですか」

 とぼけた顔して、其田は脳をフル回転させた。そして、

(舞子は橋野先生に好かれたんだな)

そう考えるに至った。でも、そのことはおくびにも出さず、

「水沢を他の出演者に挨拶させに行って来ます」

と言って舞子を楽屋に連れて行った。

 その後ろ姿を男性スタッフたちがチラ見した。


 なにはともあれ、まずは主演の和泉ワク子に挨拶をしなければならない。和泉は“女優界最強の女”と呼ばれている。その理由は身長が180センチもあること。さらに空手の有段者で黒帯を持っていること。気の強い性格で、誰かれ構わず喧嘩をふっかけると言うことである。とにかく機嫌を損ねると芸能界で生き残ることができないと言われるほどの大物だ。嫌われたらどうしようもないが、好かれるとこれほど頼りになる者はいない。其田は挨拶の言葉を慎重に選んた。

「おはようございます、ワク子先生。其田でございます」

 其田は腰を低くして、丁重に挨拶した。

「あら、其田ちゃんじゃないの。お久しぶり。元気にしてた?」

 ワク子大先生のご機嫌はよろしいようだ。

「今日はウチの若輩が先生とご一緒できると伺って、押しかけてまいりました。どうぞ、よろしくお願いします」

「水沢舞子です。よろしくお願いします」

「ああ、随分と背の高い子ねえ。女優は背がほどほどの方が売れるのよ。男優って案外小柄な人が多いからね。釣り合いが取れないのよ。まあ、わたしくらいの大きさになれば問題外だけどね」

 早くもチクリと来た。それに対し、舞子と其田は、

「申し訳ございません」

と頭を下げた。

「謝ることじゃないのよ。一般論を言っただけ。それより頭に来ているのは、あんたの台詞が増えたせいで、わたしの台詞がすっかり変わってしまったことよ。どういうことなの? 橋野先生に付け届けでもしたの?」

 ワク子の機嫌が悪くなった。ここは下手したでに出なくては、其田は焦って答えた。

「和泉先生にはご苦労をおかけして、誠に申し訳ございません。それというのも先日、橋野先生にお呼ばれいたしまして、この水沢を連れて、お宅にお邪魔したんです。そしたら、存外、気に入られまして、今日に至ったと言うわけなんでございます」

「ふうん、そうなの。橋野先生が認めるなら、たいしたものだねえ。わたしも気をつけて見てあげるよ」

「ありがとうございます」

「舞子って言ったわね。こっちにおいで」

「はい、かしこまりました」

 舞子はワク子に近づいた。怪獣に近づくような思いだろう。

「舞子」

 ワク子が舞子の耳元で囁く。

「いい、わたしより目立とうとなんて思うなよ」

「……はい」

 恐怖で舞子の背中が震えているのを其田は見つめるだけだった。すると、

「冗談、冗談よ。思い切ってやりな。主役のわたしを食ってしまうぐらいの気持ちでやんなさい」

そう言って、ワク子は豪快に笑った。ワク子との顔合わせはひとまず無事に済んだようだ。


 午前十一時に出演者、スタッフとの顔合わせが始まった。まずはプロデューサーの岩井が口を開く。

「みなさん、おはようございます。この『綿菓子を食べる鬼』も17シーズン目を迎えることができました。たいへん、感謝しております。しかし、14、15、16シーズンと視聴率が目に見えて下がっています。みなさん、マンネリ化していませんか? 情熱を失ってはいませんか? そういう人はいりません。今すぐ、立ち去ってください……いませんね。とても結構なことです。さあ、新しく生まれ変わった『綿鬼』をお茶の間に届けましょう」

 拍手が起きた。ついで、演出の沢村が立ち上がる。

「おはようございます。ビシビシやりますから……嘘です。(笑)楽しく、演技してください。僕も楽しく演出します。でも、台詞はちゃんと覚えてくださいよ。省略やアドリブは厳禁。橋野先生に怒られちゃいますから。それだけは守ってくださいね」

 続いては主演の和泉ワク子。

「みんな、わたしに恥をかかさないでよ! 裏番組は『ドクターZ』よ。米蔵涼子こめぐら・りょうこになんかに、わたし負けたくないわ。気合い入れてちょうだい。最高の演技をするのよ! 以上」

「おう」

「はい」

 と皆が返答する。気合の注入は完璧だ。そんな中、舞子だけが下を向いている。台本を読んでいるのだ。ワク子に見つかったらしばかれるぞと同席した其田が心配していると、不意に舞子がニコニコと微笑み出した。その顔がワク子に見つかる。

「舞子、何笑ってるの!」

 ワク子が怒鳴る。すると舞子はこう言った。

「すみません。でも台詞が元の台本より五倍くらい増えているんですもの。こんな嬉しいことはありません」

 さすがのワク子も舞子のポジティブな発言にギャフンとなった。


 その後、主要キャストの決意表明が続き、最後に舞子の出番となった。

「水沢舞子です。とてもドキドキしています。でも女優のお仕事ができてとても嬉しいです。よろしくお願いします」

 舞子にしては随分と心境を明らかにしたものだ。しかし、それを聞いたワク子が、

「女優なんておこがましい。せいぜい女優の卵ぐらいだな」

と茶々を入れる。毒舌女優の面目躍如だ。笑いが起こった。


 さて、台本の読み合わせがスタートする。ここから舞子の真の女優生活が始まるのである。


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