第17話 女優の心得

 舞子は二山の運転で大物脚本家の橋野素子の元に挨拶に行くことになった。もちろん其田も同行する。

 橋野の自宅兼仕事場は熱海にあった。一日仕事になるが仕方あるまいと其田はため息をついた。其田は今回のこの仕事に魅力を感じていなかった。舞子が演じるのは脇役の脇役。つまり端役だ。モデル界に名を轟かす、舞子にその待遇はないと思う。もう少しまともな役をやらせてもらいたい。でも、そんなこと、大御所脚本家の橋野に言えるわけがない。だから気が乗らないのだ。

 対して、舞子は乗り気満々である。昨日は夜遅くまで『綿鬼』のDVDを見ていたようだ。研究熱心なのはいいが、寝坊したのはいただけない。其田は、

「どんなときも時間厳守。それができないなら役者にはなれないぞ」

と舞子を叱責した。舞子といえば怒られたけれど、ドラマに出られる喜びで、そんなこと、遠くに吹っ飛んでしまっているようだった。

「珍しく、元気あるなあ、舞子くん。朝飯でも食べるか?」

 二山が言った。舞子は返事をしなかった。ニコニコとしながら車窓を見ている。その頭の中はドラマのことで、いっぱいなんだろう。

「でも橋野先生が、料理をこしらえて待っておられるのでは?」

 其田が尋ねる。橋野の料理好きは有名だ。

「なあに、軽く腹に入れておく程度ですよ。あそこのナクドナルドのドライブスルーでハンバーガーでも買いましょう」

 二山は進路変更して、ドライブスルーに入った。


 橋野の自宅は小高い山の上にあった。

「まあ、こんな山奥まで来させて、すみませんね」

 橋野は三人を迎え入れた。

 橋野は今年で八十八歳の米寿だが、それを感じさせない、はつらつとした印象のおばあさんであった。この歳でボケることなく、脚本を書くバイタリティーを持っている。すごいことだ。ちなみにご主人には先立たれている。

「今日はお招きにあずかり、ありがとうございます」

 二山がいう。続いて其田が挨拶する。

「先生、其田でございます。今回はウチの水沢をご起用くださり光栄でございます」

「いえいえ、お礼には及びませんよ」

 次いで、舞子が口を開く。

「水沢舞子です」

 ちょこんと頭をさげる。

「こちらが噂の彼女ね。まあ、大きいわね。でもまだ、高校生なのね。お姉さんに見えるわ」

 橋野が驚いてみせる。そして、

「粗食ですけど、料理を作ったわ。舞子ちゃん、お皿を出すの手伝ってくれる?」

と続けた。

「はい」

 舞子が答えると、橋野が言った。

「『はい』だけじゃダメ。こう言う時は『かしこまりました』と言うのよ」

 橋野は脚本家だけあって言葉遣いに厳しい。

「はい、かしこまりました」

「よくできました」

 橋野がにっこり笑った。

 広いダイニングに入る。

 舞子が橋野の言いつけに従って、料理と取り皿をテーブルに出す。

「舞子さんはお料理をするの?」

「いいえ、しません」

「あら、ダメねえ。女の子は料理くらいしなくちゃ。いいお嫁さんになれないわよ。それに女優の仕事にはお料理をする場面もありますからね」

 橋野は穏やかなようで、なかなか手厳しかった。

「これからはするようにします」

 舞子が頭を下げた。寮暮らしの舞子は料理を手作りしたことがなかった。

「そうね、少しづつでもやりなさい」

 橋野が諭した。


 食事が始まった。

「舞子さん、お二人に料理を取り上げてあげなさい」

「はい、かしこまりました」

「いいわね、その調子」

 今まで其田や寮の先輩女優に甘やかされて育った舞子に、橋野はあれやこれやとしつけをした。そして、料理を取り分ける舞子を見て、

「ダメダメ。左手で箸を持っちゃダメ。たとえ左利きでも、右手で持ちなさい。左手で箸を持ったら、視聴者が違和感を持つでしょ。それに、時代劇に出演する時、おかしく思えるわ。今日からは箸は右手で」

とダメ出しをした。

「はい、かしこまりました」

 舞子は謝った。

「さあ、最後は自分の分を取りなさい。右手でね」

「はい、かしこまりました」

 舞子は右手を使って料理をとった。とても、もどかしそうである。


 やがて食事が進み、酒の入った橋野が饒舌になって来た。

「舞子さん、役者にとって大切なことって、なんだと思います?」

「ええと……その役になりきることでしょうか」

「それじゃあ、九十点」

「あと十点は何が必要なのですか?」

「それはね。役になりきっている自分を客観的に見つめている、もう一人の自分を作ることですよ」

「もう一人の自分……」

「そう。演技が自己満足にならないか、チェックするのよ」

 橋野がワイングラス片手に言う。

「それからね、今回、舞子さんにお願いする役はいわゆる脇役ですけど、自分のことを脇役だなんて思わないで欲しいの。本物の人生に脇役など存在しませんからね。主役と同じ気持ちで取り組んで欲しいわ」

「はい、かしこまりました」

「ふふふ、素直な良い子ね。舞子さんは」

「ありがとうございます」

 舞子は一礼した。そして、

「橋野先生。質問があるのですが」

とお伺いを立てた。

「なあに?」

「女優の、女優の心得を教えてください!」

 一際、大きな声で舞子は質問した。

「難しい質問ね。わたしは脚本家であって女優ではないですからね。でも、客観的には言えるわ。それはね……女優という仕事は女にしかできないもの。男と女を比べてみると、体力で、女は男に勝てないけれど、精神力では女の方が強いと思うの。だから、根性では誰にも負けないって思うことが大切ね。ガッツよ、ガッツ」

 橋野は答えた。

「先生、ありがとうございます」

 舞子はまた一礼した。橋野のしつけが一日で身についたようだ。舞子は適応能力が優れているみたいである。


 食事会も終わり、顔合わせも済んだので、舞子たちは東京に戻ることになった。其田は日頃のストレスからか痛飲し、べろんべろんに酔っ払ってしまった。酒を飲まない二山がいて良かった。帰りも二山が車を運転する。

「では、行きます。今日はありがとうございました。楽しかったです」

 と二山が言うと、橋野が、

「わたしも楽しかったわ。特に舞子さんに会えて、とても良かったわ」

と述べた。

「先生、女優の心得を教えてくださって、ありがとうございました」

「さあ、お役に立てばいいけれど。そうそう、『綿鬼』の主役の、和泉ワク子に、本当の女優って何か聞いてみるといいわ。クセがあるけどいい女優さんよ」

「はい、かしこまりました」

「ふふふ、舞子さんは本当に素直ね」

 と言って橋野が笑った。

「では行きます」

 二山が告げると、

「また、遊びに来なさいな」

橋野は言うと、手を振りだした。

「さようなら」

 舞子も手を振った。


 首都テレビのスタジオでドラマ『綿菓子を食べる鬼』の撮影が始まるのはこの二週間後のことである。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る