過ぎ来し方を眺めてみた【改訂版】

由海(ゆうみ)

すべては、ただ、愛のため


「Virginia is for Lovers」


 実はこれ、1969年に登場し現在まで使われている、アメリカ合衆国バージニア州の観光用スローガンだったりする。

 州の行政機関が発行するライセンスプレート(license plate:「ナンバープレート」のアメリカ英語)にも刻まれ、あらゆる場所で目にするこのスローガンは、州の65%が緑濃い森林で覆われ、大西洋側に美しい海岸線を擁するバージニア州を「自然豊かでアウトドア好き(Nature Loves)にぴったり」と宣伝するために作られたらしい。『フォーブス』誌で「最も成功した観光スローガン」のトップテンに選ばれたこともあるそうな。

 「for Lovers」の部分だけに注目すれば「『恋人達のためのバージニア州』って、なんだかロマンチック」と好印象を持つのが普通なのだが……

 


 この州に刻まれているのは、ロマンチックとは程遠い、壮絶な闘争の歴史だ。



***



 15世紀、コロンブスの大きな勘違いによる「1492年、新大陸アメリカ発見」を契機に、ヨーロッパ諸国は我先にと航海者をアメリカ大陸に向けて送り出し、新世界における植民地獲得に躍起になっていた。


 1584年、イングランドの探検家サー・ウォルター・ローリー(Sir Walter Raleigh)が、北アメリカ東海岸への入植を目的とする遠征隊を派遣した。ローリー卿は、この遠征隊によって探検された地域一帯(現在のノースカロライナ州アウターバンクス)を『処女王ヴァージン・クイーン』エリザベス一世にちなんで『ヴァージニア』とちゃっかり命名。後世の歴史家は「新世界における最初のイングランド植民地は、ローリー卿によって築かれた」と、その功績を褒め称えた。


 ……と言うのが一般的な見解なのだが。


 実のところ、1584年から1587年にかけて彼が派遣した遠征隊によって何度も入植が試みられたものの、どれも失敗に終わっている。おまけに、彼自身が遠征隊に参加して植民地を訪れることなど一度もなかったのだから、「ローリー卿によって築かれた」云々は、少々言い過ぎかと。

 とはいえ、彼の出資と情熱がなければ、イングランド初の北アメリカ入植も叶わなかっただろう。ヴァージニア植民地からタバコとジャガイモを取り寄せてイングランドに初めて紹介したのも彼だとされているので、そのあたりの功績は否めない。


 サー・ウォルター・ローリーは廷臣であり、軍人であり、16世紀の作家集団『銀の詩人(the Silver poets of the 16th century)』のひとりとうたわれる詩人でもあった。そんな彼の最も有名な肩書きは『エリザベス1世が人目もはばからず愛した寵臣lover』だろう。

 その肖像画の美しいこと。長身で端正な顔立ちの若き軍人に、女王は一目で心を奪われたに違いない。



私 「なるほど! そやから『Virginia is for Lovers』なんやね、ロマンチックぅ」

相方「いや、キミの大きな勘違いだと思うけど」



 「ローリー卿の偉業は、イングランドに忠誠を誓った軍人の誇りと冒険者魂によって成し遂げられた」と言えば、聞こえは良いのだが。

 正確には、女王から植民地開拓の勅許を得て「北アメリカにイングランド初の植民地を作っちゃおう大作戦」のナビゲーター役を担っていたのは、彼の異父兄サー・ハンフリー・ギルバート(Sir Humphrey Gilbert)だった。ギルバート卿が海難事故で死亡した後、その権利をちゃっかり譲り受けた異父弟ローリーが、異父兄ギルバートの夢を叶える(と同時に、植民地から得られる様々な利益を手に入れる)べく資金を注ぎ込んだ結果に過ぎないのだから、歴史ってホントに面白い。



 17世紀初頭。イングランドが北アメリカに建設した最初の恒久的植民地『ジェームズとりで(後のジェームズタウン)』が、ヴァージニア植民地内に築かれた。

 1776年、北米イギリス領だった『13植民地』が独立を宣言して『アメリカ合衆国』を建国。独立戦争後、植民地軍総司令官だったジョージ・ワシントンが初代アメリカ合衆国大統領に就任した。

 バージニア州のニックネームのひとつ『Mother of Presidents(大統領たちの母)』は、建国初期に数多くの大統領を輩出したことに由来する。かつてのヴァージニア植民地領からは多くの州が生まれたこともあって、『Mother of States(州たちの母)』とも呼ばれている。

 こうして、現在の合衆国を築くいしずえとして大きな役割を果たしたこの土地は、アメリカ人の愛国心を妙にくすぐるらしい。



 南北戦争時、奴隷制を擁立した『アメリカ連合国( Confederate States of America)』の一員だったバージニア州では、黒人奴隷の労働力に依存していたことを如実に物語る大規模農園プランテーション跡が修復または再建され、植民地時代の暮らしを体現する観光地としてにぎわっている。アメリカ建国史における2つの内戦(=独立戦争と南北戦争)を体験した激戦の地でもあるため、数多くの古戦場が国定史跡公園として保存・公開されている。

 観光史跡のほとんどが、奴隷制度と戦争の暗い影を色濃く残しているにも関わらず、州観光局は「アメリカ建国史の中で、特に重要な史跡が多く残るバージニア州は、歴史好き(history lovers)にぴったり」とちゃっかり押し通す。さすが、大統領を生み出した不思議の国アメリカ。余りの楽天的思考に「なんでやねん」とツッコミたくなる。

 バージニア州でヨーロッパ系の次に多いのが、アフリカ系アメリカ人。その大半はプランテーションで過酷な労働を強いられた奴隷の子孫達だ。そんな彼らの姿を、バージニア州が誇る「歴史的に重要な史跡」で見かけることなど、ほとんどない。



***



 1865年に終息した南北戦争敗北後も、アメリカ合衆国南部州では黒人奴隷の労働力に依存するプランテーション経営が経済の基盤だった。

 1876年、「奴隷を解放するなど、とんでもない」と考える白人農園主達の思惑を反映させた『ジム・クロウ法(=黒人の一般公共施設の利用を禁止・制限した南部諸州の州法)』が南部州で制定された。その際、黒人を選別するために利用されたのが、悪名高い人種差別法『ワン・ドロップ・ルール(One-drop Rule)』だ。

 これにより、北部州が奴隷制廃止を掲げる中、南部州では奴隷制を維持するべく白人に有利なシステムが巧妙に作られた――



 1735年、『分類学の父』と称されたスウェーデンの博物学者カール・フォン・リンネ(Carl von Linne)は、著書『自然の体系(Systema Naturae) 初版』の中で、人類をサルやナマケモノとともに『ヒト形目』に所属させた。つまり、「我々人間は動物界の一員であり、サルとかナマケモノと近い関係にあるんだよ」と分類したワケだ。

 キリスト教を土台とする世界に生きながら、リンネは「聖書」の中で語られる超自然的な話をすっぱりと切り捨て、自然界を科学的に説明しようと頑張った。おかげで、教会から大目玉を食らってしまう。それでもリンネの心は揺るがない。その後も、人類を「白色ヨーロッパ人」 「赤色アメリカ人」「暗色アジア人 」「黒色アフリカ人」の4つに別け、それぞれを独立した「種」として位置付けた。この時点でも、学者としてのリンネに他意はなかったはずだ。

 が、1792年に原書のラテン語が英訳されるにあたって、あたかもリンネが「4つの人種」というヒエラルキーを生み出し、「白い肌を持つヨーロッパ人は、容貌的にも知性や感性の上でも優れている」と説いたかのような誤解を招いてしまう。


 リンネとは全く違う次元で「白人優位」の思想を確立させたのが、ドイツの比較解剖学者ヨハン・フリードリヒ・ブルーメンバッハ(Johann Friedrich Blumenbach)だ。

 1775年に発表された論文『ヒトの自然的変種(De Generis Humanis varietate Nativa)』の中で、ブルーメンバッハは人類を「コーカシア(白人種)」「モンゴリカ(黄色人種)」「エチオピカ(黒人種)」「アメリカナ(赤色人種)」「マライカ(茶色人種)」という5種に分類した。


 リンネやブルーメンバッハが生きた時代のヨーロッパは、キリスト教を社会の基盤とする世界だった。「世界を創造した神様が一番エライんだ。で、次にエライのが天使。人間はその次ね。人間より劣るのが動物で、それ以下なのが植物で……」という具合に、「この世界には圧倒的な序列があり、優劣がある」と考えるのが当たり前だった。「無宗教だけど、無神論者でもないんだよね」派が多い日本人からすれば、「なんのこっちゃ」とツッコミを入れたくなる。とはいえ、それを真実として疑わないキリスト教原理主義者(=聖書の権威を絶対視し、現実社会でも協議通りに生きようとする人々)が、現代のアメリカ南部や中西部では驚くほど多い、というのもホントの話。アメリカという国は、ホントにツッコミどころが満載だ。



 さて、話をブルーメンバッハに戻そう。


 旧約聖書によれば、『ノアの箱舟』が大洪水の後に流れ着いたのは、コーカサス地方のアララト山(現トルコ共和国領内)とされ、白は「光」「人」「善」を表す色とされている。

 そこで、ブルーメンバッハはひらめいた。

「箱舟でコーカサス地方に辿り着いた人々の子孫であるは、全ての人種の中で最も美しく、最も優れている! 彼らを『コーカシア(白人種)』と命名しよう! え? 他の4つの人種はどうなのかって? 彼らはコーカシアから退したのさ。だから、白人種より劣るんだよね」

 要は、聖書を引き合いに出して「人間にも歴然とした優劣の差がある」という思想(=人種主義)をちゃっかり正当化したワケだ。ちなみに、同じコーカサス地方に居住しているにもかかわらず、非キリスト教徒は全て「有色人種」と規定されたそうな。

 なんともムチャクチャな話だ。

 が、これが後々、新大陸アメリカに渡った『白い肌の善き人々』に都合よく利用されることになる。



 ――その結果。


 植民地政策の落とし子「アメリカ」において、人種差別は「白人か、白人ではないか」の二極化思考。

 それを決めるのは、たった一滴、自分の中に流れる血。


 それが『ワン・ドロップ・ルール』だ。



***



 奴隷制度下では、効率的かつ安価に奴隷を増やすための手段として、白人が黒人を性的に隷属させることもあった。

 白人が父親であっても、一滴でも奴隷の血が混じれば、それは母親と同じ「奴隷」に過ぎない──考えただけで鳥肌が立つ発想だ。



私 「根本的にオカシイやん。だって、ヒトの祖先はアフリカで生まれて、そこから世界中に広まって行くうちに、環境の変化に適応するために骨格的特徴や皮膚や髪の色が変化していったワケやん? アフリカ系アメリカ人を差別するなんて、自分達の祖先を差別するのと同じやん!」

相方「また、壮大なスケールの反論だな」



 現代のアメリカでも、4世代前(=自分の祖父母の、そのまた祖父母に当たる)までに黒人が1人でもいれば、「黒人」とみなされる。血の濃さは16分の1まで薄まっているにもかかわらず。

 ワン・ドロップ・ルールが適用されるのは、黒人の血を引く場合だけではない。ネイティブ・アメリカンやアジア系移民など、ヨーロッパ系白人以外の「有色人種(Colored)」の血を引く人々も、「白人以外」と選別され、人種差別の対象となる。


 ヨーロッパからの移民が造り上げ、人種を越えたカップルが当たり前のように存在するアメリカ。

 表面的には、異人種間での結婚が社会的にも受け入れられているように見えるが、『一滴の血の掟』が根深く息くこの国には、「異人種間婚姻は違法にすべき」と考える人種差別主義者が未だ多く存在する。

 肌の色でもなく、外見的な特徴でもない。たった一滴でもその血が混じることで、自身の子孫の人生を決定づけ、この国で生きて行く上で「不利となる資質」を引き継がせてしまうとすれば……異人種間の結婚に躊躇ちゅうちょするのも当然だろう。


 植民地時代にも、純粋に人種を越えた愛や結婚があったはずだ。

 ただし、そのほとんどは歴史の闇に葬られ、悲しい末路を辿ったに違いない。なぜなら、バージニア州では1661年に制定されて以来、1967年に「憲法違反」との最高裁の決定を受けるまでの実に300年以上もの間、異人種間婚姻禁止法が続いていたのだから。


 この婚姻禁止法を廃止に追いやったのが、白人の夫と黒人の妻のカップルの深い愛だった。



 1958年、白人のリチャード・ラビングは、自分の子を授かった黒人女性ミルドレッドを連れて異人種間の婚姻を禁止するバージニア州を離れ、ワシントンD.C.で合法的に結婚した。

 困難な状況に立ち向かって結ばれた二人だったが、帰郷した途端、禁止法に触れたとして逮捕されてしまう。その後、25年間バージニア州に戻ることを禁ずる「退去命令」を受け、D.C.への移住を余儀なくされた。

 人種の違う二人が、ただ愛し合ったと言うだけで投獄され、故郷を追放された──そんな彼らが「異人種婚姻禁止法」を違憲とする歴史的な判決を勝ち取ったのは、1967年のこと。

 これをきっかけに、他州でも異人種間の結婚を禁止する法律が見直されることになるのだが……アメリカ全州で完全に撤廃されたのは、なんと2000年。20世紀の終わりまで人種差別を合法とする州を擁していた国が「世界随一の先進国」と言うのは、何とも皮肉な話だ。 


私 「さすが、不思議と矛盾の国アメリカ」

相方「不思議大国ニッポンから来たキミに言われたくないね」




 かつて、イングランドからの入植民によって築かれ、独立戦争を経てアメリカ合衆国の礎となった『13植民地』。

 その中で、最も長い歴史を誇ったヴァージニア植民地。その地を受け継ぐバージニア州は、建国から300年にも満たない若い国家において、特異な輝きを放つ。奴隷制度を維持するために戦い敗北した史実さえ、ヨーロッパ系南部州民は「自らの故郷を守るために戦った。これぞ、南部州の誇り」と褒め称える。

 その根底にあるのは、白人至上主義 と人種主義レイシズムの思想だ。植民地時代から現在に至るまで続くそれは、この国に生まれた子供達の未来さえおかしかねない「負の血脈」でもある。


 バージニア州に移住して以来、あからさまな人種差別的発言や行動を何度も目の当たりにした。悲しいかな、その対象にされてしまったこともある。

 私がアジア人だから。たったそれだけの理由で。


 それでも、相方と二人、ここで生きていくと決めたから──





 ハイウェイを走る車の窓から外を眺めていたら、突き抜けるような青空の下、高潔な愛国心と過去のえない記憶を留めたままの『南部連合旗レベル・フラッグ』が風にはためいていた。


 Virginia is for Lovers.


 ここは、ただ、愛のために闘い続けた人々が、命を燃やして生きた場所。



(2022年1月 改訂)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る