こころのけしき

かさかさたろう

情けなし(1)

男の子というものは、元来弱い生きものだと思う。

ある村に茜という女の子がいる。黒髪の二つあるお下げをした子だ。この子はやたら喧嘩が強い。茜に負けた男の子はとうとう母親に助けを求めてしまうが、話を聞き終わると「茜ちゃんは悪くない、あんたが悪い」と叱られてしまうのだった。そういった子達はみんな決まって「茜はずる賢い」というのだが、茜は喧嘩ごと以外は非常に礼儀正しく、両親の手伝いなんかもよくやっていたために、近所の婦人方からの評判がすこぶるよかった。

そして、喧嘩に勝ったとしても、喧嘩をしたことで茜自身がこっぴどく怒られる。決まって、父親からであった。

ある夕暮れ時、勤めの婦人が家に帰る際、たまたま茜の家の軒先を通りかかった。その時、ちらと見えたのが、家の玄関の横にある太い柱に、まるで座禅を組んでいるかのように静かに縄でくくりつけられている茜だった。その話は、家で話題になり、次の日には男達の酒の肴になり、以来、茜が柱にくくりつけられている時は決まって喧嘩があったのだなと近所でも分かってしまうのだった。それで、負けた子達の親も、納得しきってしまっているところもある。

「あんたも括りつけようか」

母親たちは決まって、最後にこう付け足すようになった。すると、大抵の男の子はこの言葉ですごすご引き下がった。

ただ、村で一番強い男の子は別だったようで、 「何でえ、柱なんか」そう言って茜に負けじと柱にくくりつけられる。そうして、特にボス男子と戦った日には、戦いの後の静かな夕暮れと珍妙な光景が見られると村で評判だった。

これは、茜にとってはいささか恥ずかしい話だったが、それでも茜が喧嘩をやめないのには理由があった。茜には6歳下に夕陽という弟がいる。この夕陽、何分、幼い頃から体が弱く、また非常に泣き虫だったためによくいじめられた。


しかし、茜は夕陽が実に可愛かった。弟よと母に見せられたその時から、母親の横に陣取って、夕陽を眺めたり、あやしたりしてずっと面倒を見てきたのだ。その可愛い夕陽が3歳をすぎた頃から、他の男の子にいじめられ始める。遊びに行って泣いて帰って来る度に、激昴を突き抜けて、火の玉となって飛んでいく。仕返しをする。という流れなのだった。

そして、茜曰く、「喧嘩したのはあたしも悪い。しかし、あいつらはもっと悪い」と。


茜が喧嘩して、父親も母親も大変であった。飲み屋に、大男2人が静かに入っていったが、片方の緊張感はあたりの空気も縛るほどのものであった。

「ほんに、すいません」

酒の席で、筋骨隆々の四角い顔の大男が深々頭を下げると、隣の男は酒を置き、急いでかぶりを振る。

「そんな。棟梁、頭をあげてください。子どもの喧嘩やし、それにこちらこそ、ほんに申し訳ない。うちの子がもともと悪いですから、茜ちゃんは親孝行ないい子やないですか」

丸顔の男も急に頭を下げた。茜の父は仰天してかぶりを振る。

「いや、顔をおあげください。しかし、そう仰られましても……かと言って、大事な他所の子をいつもいつも……。あの子のお転婆ぶりには……参った」

少し酒をあおり、また、頭を下げる。日本名物・しし脅しの完成である。


「しかし、茜ちゃんも、生まれた世が世なら天下統一でも目指しとったでしょうな。うちの家内も私も茜ちゃんは大いに好いとりますからな。いやぁ、惜しい……」

そう言って、最初に謝られた方の負けず劣らずの屈強そうな丸顔男は上機嫌で笑う。

茜の父は苦笑して、済まなそうに顔を少し上げた。

「優しい子なんですが……どうもなぁ」

飲み屋の台の上に肘を置いて手を組み、ため息をついた。

「うちの子も、茜ちゃんが柱に縛られとるのに、俺が縛られんかったら、それこそ負けやとか言って、縛られとりますよ。ほんに、茜ちゃん様様やなぁ。あの悪ガキには耐えられませんて今頃、便でも漏らしとりましょ。ほんにいい薬になります」

そう言って、こちらはそれ以上に頭を下げる。

「はぁ……」

棟梁と呼ばれた男の背中はまた、弓なりにしなっていった。


丸顔の男と別れ、茜の父は月の照らす道をほろ酔いでとぼとぼ帰り、家に着く。玄関にたどり着くと、まだ平気そうな顔をして、茜がくくりつけられていた。近づいていって、

「もう良かろ」

と、縄を外そうとすると、

「父ちゃん、ごめん」と、頭を下げる。

「うむ」

そう言って、茜は縄から解放されると少しずつ体を解しながらゆっくり立ち上がり、大きく背伸びをする。

父親はその姿を見て、また一段と深くため息をついた。



その日、茜と夕陽の寝静まった頃、父親はちゃぶ台で酒を飲みながら、母親を誘った。

「珍しいわね」と言いながら、子供を産んでから、いっそう丸々とした、丸顔の女性は、自分の分のお猪口を持ってやってくる。

「まあ、座ってくれ……。ふぅむ。あ、済まない、そら」

右手に徳利を持っているのを忘れていたらしく女性のお猪口に注いでやる。

女性はありがとうと言って、クイッと飲干すと、悪くない酒だね、酒屋さんの言う通りだと笑った。

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