【第二話】俺はニートになりたい

 俺に冒険者は向いていない。


 スライムと交戦した俺は思った。

 相手が魔物とはいえ、命を奪うという行為に、少々の抵抗を感じたのだ。

 漫画やアニメ、ゲームの世界では何とも思っていなかった。

 しかし、いざ自分が命を奪うとなると、こんなにも罪悪感を覚えるものなのか。

 平和な日本という国から、異世界転生をした先人たちは、魔物を狩るという行為に何も感じなかったのだろうか。


 俺なりの異世界生活。

 第一弾として、俺は冒険者以外の職業に就こう。俺にぴったりの職業を探すんだ。

 そう決めた俺は、夕暮れの街中に、職を求めて歩き出した。


★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 異世界転生してから約一か月。俺は様々なバイトをした。

 鍛冶屋、道具屋、酒場。珍しいのだと魔物の出現数を数える魔物観測者(モンスターウォッチャー)なんてものもやったが、どれも長くは続かなった。

 そして、現在のバイトは宿屋。歴代一位の継続率を誇っていた。


 俺の仕事は、お客さんの使ったベットのシーツを取り換えるといういわゆるベットメイク。

 最初はベットメイクなんて、ただシーツを取り換えるだけ。楽勝じゃんと、思っていたのだが、やってみるとどうもこれが辛い。


 何が辛いって、色々と辛い。

 そんな辛いながらも、それでも俺がここまで続けてこられた理由。


「ニヒトくん、準備できた?」


 それはこの宿の看板娘であるエリアさんの存在だ。


「すみません。まだです」

「お客さん、もう来たから急いで」

「はい。わかりました」


 エリアさんはこの宿屋の一人娘であり、役職は受付を担当している。

 ベットメイク係の俺と、彼女の接点はあまりない。

 しかし、こうして彼女の顔を見て、少し話せるだけでも幸せだった。


「……ねぇ、ニヒトくん?」

「はい?」

「……この後、食事でもいかない?」


 エリアさんが誘ってくれる。

 憧れのエリアさんのお誘い。是非ともご一緒したいところだ。


「すみません」


 けれど、俺はエリアさんの誘いを断った。


「……そう。また今度誘うね」


 受付の仕事へと戻るエリアさん。


 一緒に食事。行きたいのは山々だった。

 けれど行けない。なぜならそれは――、


「ふー。ウンコとか勘弁してくれよ……」


 シーツの中に黒い塊を発見したからだった。

 ベットのシーツを取り換えていると、これが意外とあるものなのだ。

 これが、この仕事をしていて、一番辛い。

 何が好きで人のウンコを処理しなければならないのか。

 仕事の時間はかかるし、食欲は失せるしのダブルパンチだ。

 エリアさんとの食事という願ってないチャンスを断ってしまうほど、心に来る。


 もうこんな職場、嫌だ。


 エリアさんの笑顔のおかげで一週間も続いた宿屋のバイト。

 しかしエリアさんの笑顔をもってしても、ウンコの衝撃には勝てない。


 俺は今日の仕事後、店長に辞めることを伝えた。


★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★


 お金はバイトで貯めたものが、多少はある。一週間は働かなくとも大丈夫だろう。


――そう思って、一週間が経ちました。


 住み込みで行っていた宿屋のバイトを辞めてしまったため、どこかの宿屋に泊まる必要があった。

 だが、お金がなくなった現在、それは叶わない。


「はぁ。またバイトしなきゃダメだな」


 俺は求人掲示板を見に来た。

 異世界での求人情報は、この掲示板にまとめられている。

 道の石拾いから、竜操師(ドラゴン操縦士のこと)の募集まで、実に多種多様な職種があった。


 俺の選択基準は、宿泊費がもったいないので、住み込みのもの。

 掲示板の端から端まで、目を通していくつかの候補に絞った。


「うーん。果物屋か」


 給料はまあまあだし、もちろん住み込みで悪くない。

 けれど、コミュ障の俺が、接客業なんかできるのだろうか。

 酒場でバイトをした時は、お客さんとのやり取りが嫌で辞めたからな。


「じゃあ、モンスター調教師とかどうだろう」


 いや、これもダメだ。

 高給で、住み込みだけど、魔物を痛めつけて自分に従わせるというのは、良心が痛む。

 何にでもすぐに感情移入してしまう感受性豊かな俺には、無理だ。


 それから色々な職を候補にあげるが、どれも何かと不都合があって、応募に踏み切ることができないでいた。


 くそ! ろくな条件の職がないな。俺がやりたくなるような魅力的な――ん?


 そこで俺は強い違和感を覚える。


 俺がやりたくなるような魅力的な職業?

 そうだ。俺は『俺なりの異世界生活』を送ろうと決意していたじゃないか。

 それなのに気づけば、給料がどうとか、住み込みがどうとか、そう言って条件ばかりを気にするようになっていた。

 俺なりの異世界生活。

 それを送るためには、好きな職業に就くべきではないだろうか。

 異世界ならではの職業。俺がやってみたかった職業。一番、楽しいと思う職業。

 それに就くのがベストではないだろうか。


 そう思った俺は、これまでの異世界生活で最も、憧れた職業を考える。


 あった。一つだけあった。

 我を忘れて、時間を忘れて、楽しんだ職業が一つだけあったのだ。


「あれ? ニヒト? ニヒトくんじゃない?」


 俺は名前を呼ばれた気がして、そちらを見やる。

 そこには憧れのエリアさんがいた。


「あ、エリ――だアさっ!」


 彼女はいきなり俺の胸元に飛び込んできた。

 そして、彼女はポツポツと言葉をこぼす。


「いきなりいなくなってびっくりしたんだから……」

「すみません。お世話になっていたのに、突然辞めたりして」


 驚いた。

 あまり接点はなかったのに、彼女はここまで思っていてくれたのか。

 顔を見えないが、声もが涙ぐんでいたのだ。


「ここにいるってことは、仕事を探しているんだよね?」

「はい。そうです」

「じゃあさ――」



 そこで顔を上げたエリアさんは、赤くなった目を細めて言った。


「また一緒に働こうよ?」


 憧れのエリアさん。そんな彼女が笑顔で、また俺を迎え入れてくれようとしている。


「ごめんなさい」


 けれど、俺は彼女の申し出を断る。


「え、なんで……職を探してるんじゃ……」

「そうですね」

「ならなんで……!」

「俺、なりたい職業があるんです」

「な、何になりたいの! 私とはもう一緒にできないの?」


 ここまで熱心に俺のことを誘ってくれるエリアさん。

 宿屋で働くことキッカケにまでなった、憧れのエリアさんがそう言ってくれているのだ。

 彼女の誘いに甘えて、宿屋でもう一度始めることは容易だ。

 俺が逃げるようにして辞めたということから、今度は待遇もいいのかもしれない。ウンコを見なくて済むかもしれない。


 だが、俺の中の決心は固い。


 俺は自分の思い描く、理想の異世界生活を送ると決めたのだ。

 一度は忘れてしまった信念だけど、もうそれを曲げることはない。

 俺なりの異世界生活。そのための一歩として、俺がなる職業。


「――ニートです。俺、ニートになりたいんです」


 バイトを辞めてから過ごした一週間。

 好きな時間に起きて、好きな時間に食べて、好きな時間に遊んで、好きな時間に寝る。

 その間は、時間を忘れるほど楽しかったし、金がなくなるまで続けたいと思っていた。

 あの時間に戻りたい。あの時間が最高だったのだ。

 俺は日本にいたときと同様に、ニートになるんだ!


「に、ニート?」

「そうです。ニートです!」


 俺の強い想いを聞いたエリアさん。

 彼女の表情は、引き攣っていたが関係ない。


「で、でもニヒトくん。お金ないよね?」


 確かに今はお金は底をついていて一文無しだ。

 だからこうして、俺は職を探していた。

 けれど、俺は思い出したのだ。

 俺の所持品で唯一、お金になりそうなものの存在を。


「そうですけど、でもこいつは結構お金になると思うですよ」


 俺は腰から下げられた聖剣をエリアさんに見せつける。

 チート能力として授かった聖剣。

 今までは記念にと持っていたが、これを武器商人でも打ち付ければ、さぞかし高値で売れるだろう。


 俺が自信をもって言うと、エリアさんの表情の色が失せる。

 そして、エリアさんは素早く背中を見せてきた。


「さようなら」


 それから俺とエリアさんが、顔を合わせることは一度もなかった。


 けれど後悔はない。だって俺はニートになれるんだから!

 俺は、俺を待っているであろうニートライフに、心を躍らせながら、武器商人の元へ向かった。

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