32 名無しの晩酌


遠くでみんなが騒いでいる声がかすかに聞こえる。

私とバランはお互い何も話すことなく歩き続け、前を歩いていたバランの足が止まる。

たどり着いた場所には見覚えがあった。


「――教会?」


奴隷狩りと初めて相対することになった場所。

こんなところに一体何の用なのだろうか、それよりも私をここに読んだ理由がわからない。

そもそも教会で飲食ってまずいのでは? 仮にも神様の前だぞ?

私の不安を他所にバランはさっさと教会に入ってしまうので、慌てて中に入る。


教会の中には当然誰もいない。

建物の中に入ったことでかすかに聞こえていた宴会場の騒ぎも聞こえなくなり、辺りは静寂に包まれた。

バランが長椅子に腰掛けたのを見て私も少し離れた場所に座り、持っていた酒の入ったジョッキを横に置く。


瓶を開けそのままラッパ飲みしているバランを横目で見ているとふと目が合い私が声をかけるよりも先に何かをこちらに投げてきた。

暗闇に目が慣れず、うまくキャッチできなかったそれは私の顔にぶつかる。


「ハッ、下手くそ」

「うるさい」


悪態をつきつつ投げて寄越されたものを見た。

麻のような素材でできた小さな袋だ、中に何か入っている。

投げてよこしてきたと言うことは開けてもいいのだろう。

口紐を解いて中身を一つ取り出す。

一口サイズの正方形、黄色い角砂糖のような見た目の何かだった。


「食欲ねぇんだろ、それ食っとけ」


ぶっきらぼうにそう言われ、再びそれに視線を落とす。

爆発に巻き込んだ腹いせに毒殺でもする気か?とか一瞬考えたが、流石にそれはないだろうと考え直し、言われた通りそれを口に入れて咀嚼する。


しっとりしたクッキーのような食べ物でほのかに甘い……カロ○ーメイトみたいな味がする。

食感や味的に食糧とかレーションとか言われるものなのだろうか。

食欲は無いが、こういうお菓子みたいな物ならまだなんとか食べられるのでお酒を飲みながらありがたく頂戴することにした。


「……」

「……」

「あー」

「……?」

「……悪かったな」


もそもそと、食べていた手が止まる。

ありえない声であり得ない台詞が再生され、思わず顔を上げてそちらを見た。

ここにはバランと私しかいない。

瞬時に聞き間違いかと考えたがバランがどことなく気まずそうにしており幻聴の線は無くなった。


ゴクリと口に入っていた食糧を飲み込んで、何に対しての謝罪かを考える。


まずこの男が謝る状況ってなんだ、普通の謝罪じゃ無いだろ絶対。


そして私は瞬時に一つの考えに行き着く。



「バラン……」

「……」

「……これに毒った?」

「盛ってねーよ!」



「何でそうなんだよ!」といつも通りのテンションで怒られた。

私は食糧の袋を掲げていた手を下ろす。

よかった、何とか死なずに済んだ……半分は冗談のつもりで言ったんだけどね。


呆れたように大きなため息をついたバランは肩の力が抜けたようで、同時に私達の間にあった気まずい空気も和らいだ気がした。


「お前が全く戦力にならねぇってのは訂正してやる。少なくともあの奴隷を無駄死にさせることはないだろうよ」

「戦力……になれたのかなぁ?」

「あ?」

「いや、バランの動きがすごすぎてちょっと自信が」


乾いた笑みを浮かべてそう言った私をバランはじっと見つめてきた。

その視線に耐えきれなくなり、私は慌てて捲したてるように早口で喋ってしまう。


「本当に同じ人間かよーってくらい高く跳んだりしてたじゃん、それに獣人相手にすごい動きとかするしキャロルが言ってた通り滅茶苦茶強いし、だから――」

「――奴隷狩りの言ってた通り冴えてるじゃねぇか」

「え?」


バランは感心したようにそう言うと



「俺は獣人と人間の混血ハーフなんだよ」



と言ってニヤリと笑った。


「ハーフ?」


思わずバランを足の先から頭のてっぺんまでジロジロと見ていると「外見は人間寄りだから耳も尻尾もねぇよ」と若干イラついたように言われた。

確かに思い返してみれば人間離れした動き、それに私がした獣人の強さに関する質問に答えたのは他でもないバランだ。


「母親が獣人の奴隷、父親はどっかの馬鹿な貴族なんだと」


し、しかも父親が貴族……?

ここにきてものすごい暴露である。

私が感じていたチンピラのような獰猛さも恐らく獣人の血が関係していたりするんだろうな。

いや、ガラの悪さはやっぱりバランの性格だな、多分。


「……あ、もしかしてそれでノラとシャーレイのこと気にしてくれてるの?」


合点がいった。

母親が奴隷だった関係からあの二人のことも気にかけてくれているのか。

なんだかんだ私を馬鹿にするだけだったバランが本気で怒っていたのは私があの二人を連れて行った時だったし。

しかし私の予想は「ちげぇよ」といとも簡単に切り捨てられ、私は反射的に「じゃあ何で?」と聞き返してしまう。


ここまで聞いてしまったら気にになるのでできれば洗いざらい話してほしい。

酒を煽っていた手が止まる。

しばらく言いあぐねている様子だったバランだが、手を止め頭をガシガシと乱暴にかくと諦めたように話し出した。


「俺も詳しくは知らねぇが、貴族と奴隷の合いの子だった俺は物心つく前に奴隷として他所に売られた」


怒りでも悲しみでも、過去を懐かしんでいるわけでもない。

バランの声はまるで紙の上の文字を読むかのように淡々としていた。


「そこの貴族が根っからのクズでな、奴隷の命を道具――いや、それ以下の玩具みてぇに扱う奴だった」


奴隷を人としてではなく道具として使う。

それは私がこの世界に来たばかりの時、エクレアに勧められてあの二人に会うまで持っていた固定概念だった。


「この村の奴らみたく家族同然の扱いを受ける奴隷もいれば、文字どおりゴミ以下の扱いを受ける奴だっている」


そう、あるのだ。

存在してしまっているのだ、この世界には。

かつて私が思い描いていた奴隷の姿が。


「――俺は奴隷を無駄死にさせる奴が嫌いだ」


バランは私の目の前まで歩いて来て、私を見下ろしながら言った。


「買われた奴隷の人生をどうするかは、買った人間で決まる」


奴隷の人生。

私はあの二人を対等な存在だと思うようにして来た。

奴隷としてではなく一人の命ある存在として。

でもそれでは足りなかった、いやだったのだ。

対等な存在として見ことがいけないのではなく、私は二人の人生を左右する立場にあるという自覚が足りていなかった。


「お前は今、二人分余計に人生を背負っちまってんだよ」


そこまで言ってからいつもの調子に戻ったバランは軽い口調で「ま、重かったら捨てちまえばいいさ」と言って元いた椅子に戻ろうとする。


それがなんだか私を気遣った言葉に聞こえて、キャロルが『不器用』だと言っていたことを思い出した。


私が椅子から立ち上がる。

これだけは言っておかないといけないと思うと体が自然と動く。



「私は二人の人生を背負ってるつもりはないよ」


バランは視線だけこちらに向け、私を見つめる。

目はそらさない。


「でも」


私は息を吸うとはっきりと言う。



「一緒に歩みたいとは思ってるよ」


背負う、ではなく私は二人にはそれぞれ自分の人生を歩んで欲しいと思っている。

背負うのではなく隣で。


そう言い切ったところで、バランはこちらを振り向き口のはしを釣り上げてニヤリと笑う。

不思議の国のアリスに出てくるチシャ猫のような、決して善良ではないが愛嬌のある笑みだ。



「――神の前で堂々と宣言か、いい度胸してるじゃねぇか」



そう言ってバランは私の持っていたジョッキに自身の瓶を乱暴にぶつける。


つられるように、私も笑った。

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