15 名無しは腰が抜ける


地響きにも似た音はどうやらこちらに向かってきているようだった。


本能的な恐怖から今すぐにでもこの場を離れたいが、未だに抱えられたままの私は動くことができず抱えられた状態で身を固くするしかない。


森の中からは動物やこの森に住んでいるであろう小型の魔物がうじゃうじゃと出てくるがどれも私達には何もせずに横を通り過ぎていく。

魔物を見たシャーレイが警戒して弓を構えるも御構い無し、まるで見えていないかのようなスルーっぷりに逆にこちらがあっけにとられてしまう。

え、なにこれなにが起こってるの?

森中の生き物が私達をスルーしてどっかに行くんですけど?

表情から読み取るのは難しいけど命がけで何かから逃げているような、さっきまでゴブリンから逃げ回っていた私と似たものを感じる。


何かとんでもなく恐ろしいものが来るという漠然としたことしかわからない。


さっきのゴブリンなんかの比ではない恐怖で森から視線を外せなくなっているとふと辺りが暗くなり、気付いた次の瞬間には目の前の景色が変わっていた。

ノラが私を抱えたまま横に飛んだようだ。

地面に何かが叩きつけられるような音を耳で拾うが私は冷静に目の前の、目で見た情報を整理しきれない。

私達がさっきまでいた場所には木でできた何か、これは……そうだゴブリンの使っていた棍棒に似ているがそれよりも遥かに大きいものが地面に叩きつけられていたのだ。

もしノラが私を抱えていなかったらと思うとゾッとする。


視線の先の棍棒が動いた。

棍棒から手に、手から腕、そして腕から更に上にと視線を上げる。


「オークキングだと!?」


持ち上がった棍棒の奥にシャーレイが立っていた。

よかった、避けていたみたいだ。

しかし安心している場合ではないなんだこいつはデカイ、巨大すぎるだろう。

私達の頭上に影を作るほどの大きさの武器を使うこの魔物は更に大きかった。

オークキングと言っていたが私はそんな魔物は知らない、でもなんかヤバイってことだけは分かる。

『オークの王様』ってことだろう。

オークという魔物がどういう魔物かなんとなく姿形はわかるが『キング』とかついてる上にシャーレイの慌てっぷりから現時点で私達では対処できないのは明白である。

でもこのオークキングとかいう魔物よくよく冷静に観察してみると身体中のあちこちから血を流しているし牙が一本しかない。

なんだか動きも遅いしもしかして満身創痍なんだろうか。


「ナナシ! 逃げるぞ!」


シャーレイが走り出したのに合わせてノラも走り出す、そして追いかけてくるオークキング。


「あれ満身創痍っぽいけど倒せたりしない!?」

「この戦力では無理だ! 牙を折れば無力化できるが弓では牙は折れない!」


本来なら剣や斧でへし折るらしいが生憎このメンバーじゃ難しいだろう。

後ろから地響きを出しながら追いかけてくるオークキング、あれが満身創痍なのは牙が一本折れていることも理由の一つなのか。

もう本来のゴブリン退治は十分に達成しているわけだしこのまま逃げ帰るのもアリだろう、この二人の足なら逃げ切れるだろうし。


「……しかし惜しいことをしたな」


隣で並走しているシャーレイが苦虫を噛み潰したような顔をして吐き出すように言った。


「やっぱり敵前逃亡はエルフ族的にアウト?」

「いや、そうではない。むしろ敵わない相手に無理に挑むことの方が恥ずべきことだと私は思うぞ」


「自分の力量も測れずに無謀な戦いを挑むことこそ愚かな行為だ」と言ってから彼女は未だに諦めることなく走って追いかけてくるオークキングに一瞬視線を向けてから私を見て「金欠と言っていただろう」と言ってきた。

まさかそんなことを言われるとは、寧ろ聞かれていたことに驚く。


「えっ、確かに言ったけど」

「私とノラを買ったから金欠なんだろう? オークキングの牙は高値で取引されていると聞いたからな」


「すまない」と言うシャーレイに逆にこちらが申し訳ない気持ちになる。

聞かれていた上に彼女にそんなことを思わせていたとは……彼女もノラも何も悪くないのに。


「私が自分で選んだんだよ、だから謝らないで」


二人は何も悪くない、寧ろ私みたいな人間が君達二人を買い取ってしまい申し訳ないと思っているぐらいだ……そう言おうとした時、ノラが足を止めた。


――え、何考えてんのこいつ。


今まで話していたシャーレイも慌てて立ち止まる。


「ノラ、何をしているんだ! このままじゃ――」

「あいつの牙、欲しい?」

「……はぁ!?」


ちょっ、もうすぐそこまで来てるんですけどオークキング。

シャーレイがノラに早く逃げるように言うがノラは全く動こうとしない。

私達の隣まで走って来て弓を構えながら「私が足止めするから早く逃げろ!」と言っているがそれを丸々無視してノラはこちらから視線を外そうとしない。

なんて言ったこいつ、欲しいかって?

そりゃ欲しいに決まってる。

でもそれは相手が倒せる時に限るに決まってるだろう何言を言っているのだ。


「欲しい?」


もうすぐそこまで来ている敵にも目を向けず同じ質問を繰り返すノラに、再び来た恐怖から私は頭がおかしくなったのかやけに落ち着いた声で「欲しい」と頭で考える前に言葉が出て来た。

シャーレイも構えた弓を下ろして目を見開いている。

目は口ほどにものを言うとはよく言ったものだ。

私の答えを聞いたノラは静かに私を地面に下ろすとオークキングの方に走って行く。


向かってくるノラに気付いたオークキングは立ち止まり、再び棍棒を振りかぶって地面に叩きつける。

しかしその攻撃は当たることはなく一体どんな脚力をしているのか、ノラは大きく跳躍してそれを躱す。

そして空中で体を捻ってオークキングの顔面に後ろ回し蹴りを叩き込んだ。

「グガァオオオ」と断末魔を上げて地面に倒れるオークの王様、宙を舞うへし折られた牙。

私もシャーレイも何が起きたのか理解できずにいるが、当事者ノラは何もなかったかのように歩いて私達のところまで戻って来た。

オークキングの牙を引きずりながら。


開いた口が塞がらない私達、シャーレイは倒れたオークキングに釘付けで動けず私は腰が抜けてしまい動けない。

みっともなく地べたに座り込んでぼけっとしている私の元まで来たノラは態々私に合わせるようにしゃがみ込んで「ん」と今しがた自分でとって来た牙を差し出して来た。

彼の足は手の時と同じように黒く変色し鋭い爪が生えた物に変わっており、靴はボロボロに破けて使い物にならなくなっていた。

――靴がいらないって言ってた理由はこれか。


余談だが、私はこの日人生で初めて腰が抜けて立てないという経験をした。



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