7 名無しは依頼を受けてみる


目が覚めてベッドから起き上がる。

今何時だろうと思って「あ、そういえば時計ないじゃん」と言うことに気づいてカーテンを開けると辺りはまだ薄暗く賑やかだった町も静まり返っている。

なんだ、まだ夜明け前じゃないか。

一度寝たらなかなか起きない私は「火事になっても目覚めないんじゃないの?」とか「死んだように眠っていた」と元の世界で母親に言われていたので、まさか夜明け前に目が覚めるとは思わなかった。


お腹も空いたがこの時間ではまだどこもお店を開いていないだろう。

さて、それまでどうしようかと考えていた私はある違和感を覚えた。

……何か大事なことを忘れている気がする。


ギルドに登録もしたし宿もこうして無事に泊まれた。

食事?いや違う、それは後からでもいいことだし。

何も食べていないので歯を磨く必要もない訳だ……とそこまで考えて大事なことを思い出した。

日本人にとっては忘れてはいけない例の

一日の疲れを癒し、身を清めることが可能で時には交流を深めることもある


――すなわち『お風呂』である。


思い立ったが吉日! 私はカバンを持って部屋の鍵を閉めてから一階に向かう。



受付に昨日のおじいさんがいなかったらどうしようかと思ったけどいたので安心した。

おじいさんは私を見ると驚いた様子だったがすぐに笑顔になり「おはよう、随分と早いんだね」と挨拶をされて私も慌てて挨拶をする。


「おはようございます。あの、実はお伺いしたいことがありまして」

「なんだい?」

「お風呂に入れる場所を知りませんか?」


この世界にお風呂というものが存在しているのは知っている。

実は村でも普通に入っていたのだが、この街まで移動していた三日間の間はもちろん野外なので入ることはできなかった。

銭湯とかあるのだろうかと考えていたら「ここの地下にあるよ、案内しよう」と言っておじいさんが立ち上がる。

地下? 地下に風呂があるの!? ってかここ地下あるの!?

おじいさんは二階に上がる階段の反対側の壁にある扉を開けて進んでいく。

扉の先は階段になっていてしばらく進むと、木でできた横にスライドするタイプの扉があって中に入るとそこは脱衣所になっていた。

四角い棚が設置されていて元の世界の銭湯とよく似ている。


「ここが大浴場だよ。本当は予約制なんだが今この宿にいるのは君だけだから好きに使ってくれて構わないよ」


そう言っておじいさんはウインクをする。

おじいさん……イケメンかよ。


「ん? 今この宿に泊まってるの私だけなんですか?」

「あぁそうだよ。ここは初心者冒険者専用の、正確には銅色のギルドカードの冒険者しか泊まれない宿だからね」


話を聞くと、この宿はギルドが収入の少ない初心者冒険者のために用意した専用宿なのだという。

だから格安でいい部屋なのかと納得した。

昨日ギルドカードを確認していたのは名前ではなくギルドカードのの方だったということか。


「数日前までこの宿に泊まっていた冒険者も銀色シルバーになったからね。今は君だけしかいないよ」


そこまでいうとおじいさんは「それじゃあ、ゆっくりしておいで」と言って上に上がって行く。

脱衣所に入ってから扉を閉める。そして思いっきりガッツポーズをした。


「やったー!! 大浴場!! 貸切!!」


一人しかいないことをいいことに私は服を乱雑に脱ぐと浴場に足を踏み入れた。

予想はできていたが大浴場にはシャワーは設置されておらずシャンプーやトリートメントは勿論、石鹸も無い。

村でも石鹸を使用しているところを見たことがなかったが、ここも本当に湯船に浸かるだけの空間のようだ。

とりあえず木でできた桶があったので湯船のお湯をすくって頭からかぶる。

それを二、三回繰り返してから湯船に浸かった。


「ふはー……生きてるって感じがする」


思わず独り言を言ってしまう。

やっばりお湯に浸かるだけでも違うもので心も体も癒される気分だ。

長い間湯船に浸かることが苦手な私だが、今日ぐらいはゆっくり浸かっておこうと思う。

最後にもう一度桶でお湯を汲んで頭と体を洗った後、脱衣所に置いてあったタオルで体を拭く。

自分でやって置いてん何だがぐしゃぐしゃの服を着るのはなんか嫌だなぁと思いつつ、街に出たら服も買おうと決めて諦めてその服を着た。


使ったタオルをどうしようか考えながら受付に向かうと、そこにいたのはおじいさんではなく茶色くゆるいウェーブがかった髪をした女の子だった。

ここの従業員かと思っていると女の子は私のところまで来て「タオル、お預かりしますよ」と言ってくれたのでそのままタオルと一緒に部屋の鍵も渡して私はギルドに向かった。








ギルドに向かう途中にあったパン屋さんで適当にパンを購入して食べながらギルドに向かうと、昨日と同じように大勢の人がいた。

とりあえず何か私でもできそうな依頼を探しているが正直自分の身の丈にあったものがどれかよく分からない。

私のような『銅色』推薦と書かれた依頼があるにはあるのだが、内容はピンキリで『お使い』から『ゴブリン退治』まで多種多様だった。

掲示板の前で右往左往していると後ろから声をかけられて反射的に振り返る。

そこにいたのは昨日お世話になった受付嬢の女の子だった。


「えっ、受付の――」

「あっ申し遅れました! 私、受付をやっています、マリンです」


そう言って勢いよくお辞儀をする少女『マリン』。

彼女の水色の髪と合わさってイメージぴったりな名前だなと感心する。

そんなことより彼女は一体どうしたのだろうか?

まさか昨日のギルドカード発行の時に何か手違いがあったのかと思っていると彼女は私に一枚の紙を見せて来た。

その紙には『グリーンスライム討伐』と書かれていた。


「グリーンスライム?」

「先ほど入って来たばかりの依頼なんです、初心者向けなんですけど……」


「ご迷惑でしたか?」と形のいい眉を下げてぱっちりとした大きな目に涙をためて悲しそうな顔をしてこちらを見てくる。

思わず「いえ、是非やらせてください」と即答するとパアァッと表情が明るくなった。

うん、かわいい子は笑顔が一番。

それに依頼を決められずに掲示板の前で右往左往するのもどうかと思うし、他の人達に邪魔にもなっていただろうからお世辞抜きに丁度よかった。


人生初の魔物との戦闘だ。


依頼『グリーンスライム討伐』

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