解放



 ドアの前に置かれた食事を僅かな光を頼りに食べる。一日一回になった食事でわたしは何日ここにいるのかを把握する。今日で七日目だ。数字にしてみれば短く思えてしまうけど、心が壊れそうな程長く感じる。僅かな光が頼りのこの部屋の中では一秒が何倍にも感じ、目の前の闇が底無しに広がっているように思える。


 光の魔道具に魔力を注ぎ続けながら膝を抱えこむ。手に握った魔道具はそうして小さく座ることで何とか足下まで光が届く。ドアに背中を預けてこの七日間わたしはずっとそうやっていた。魔力を注ぎ続け無くなれば意識を失い倒れる。そして目が覚めた瞬間に手に握っていた魔道具に魔力をまた注ぎ続ける。


 魔力切れの気分の悪さから吐いたもので床は塗れている。そんな酷い臭いにもわたしの鼻は慣れたのか、それとも壊れたのか一切臭いを感じなくなった。粘つく感触の気持ち悪さももう感じない。何も変わらないのは暗闇への恐怖だけだった。



「……ぉぇっ」


 寝た気がしない。食べた気がしない。新しい汚れが開きっぱなしの口から溢れていく。そろそろ魔力が切れそうな予兆だった。いつもと同じだ。そう思っていると背中を預けているドアに力が込められたのを感じた。


 ……食事の時間か。重たい体を引きずるようにしてドアから少しだけ離れる。


 ……あ、でも、さっき……食べた。


 時間の感覚が壊れた鈍い頭が少し前に食べた事を思い出した。

 一日に二回になったのだろうか。そんな事を考えながらドアを見る。ゆっくりと中を気にするようにドアが開かれていった。差し込む光が眩しくて目を細めた。光に目が慣れなくて顔までは判別出来ない。でも男性的な影からシュトレーネではないことはわかる。


 アイゼだ。きっと食事を持って来てくれたのだろう。いや、もしかしたらもうこの部屋から出られるのかも知れない。



「……アイゼ」


 呼んだ声に返事が返ってこない。それどころか人影は未だにドアの前で立ち尽くしていた。いつもならすぐに入ってきて優しく声をかけてくれたり、汚れた部分を拭いてくれたりするのにそれもない。

 ようやくわたしの思考はアイゼなのかを疑い始めた。


「……アイゼ、なの?」


 少ししてわたしの問う声に人影は戸惑ったように答えた。


「く、おん、さま……?」


 聞こえてきた声は震えていた。いや、それどころじゃない、わたしの素性を知っている。

 アイゼじゃない。アイゼの声じゃなかった。そしてもちろんあの男の声でもない。けれど他の誰かまでを考えることが今のわたしにはできない。靄がかかったような思考ではそれ以上を考えられなかった。


「……だ、ぐぁっ――」


 誰なのかと問う声は言葉にならなかった。喉に激痛が走り、起こしていた半身が強く床に打ちつけられた。息が逃げ、首が痛くて上手く呼吸が出来ない。

 すぐにお腹に重さが加わり、首の締めつけとで起き上がることが出来なくなった。


 慣れてきた目が男の姿を写す。見たことがない男だった。息が荒く、目は見開き血走っている。そしていつのまに脱いだのかわたしの体の横に男の着ていた物が投げられていた。


「クオン様、クオン様クオン様クオン様クオン様クオン様クオン様クオン様だああああああああああああ!」


 悲鳴はあがらない。あげれなかった。首を絞められているせいで出す筈だった悲鳴はこの部屋の外にも漏れないようなか細いものだった。


 ――いや、いやいやいやいやっ!


 逃げ出そうと手足を必死に動かした。けれど顔を殴られたその隙にわたしの両手は頭の上に拘束された。


 声が出せない。喉にもう男の手はないのに、怖くて声が出ない。叫びたいのにわたしの口は震えるだけで正しく動いてくれない。


「ああ、王族、王族のクオン様だぁ。クオン様は僕なんかと違うんだよね。だって王族だもんね。天と地だよね。聖霊と虫けらだよね。ああああ、きっと体の作りも下賎な女とは違うんだ。獣人よりも、エルフよりも、貴族よりも、緑の民よりも、極上の快楽を味わえるんだよね。ああ、あああああ、聖霊よ聖霊よぉおお、ありがとうございます! 今までの試練はこの日の為にあったのですね! 今までの女はこの日比べる為に抱いてきたのですね! ああ、ごめんねクオン様時間かけてしまって、この出会いに聖霊に感謝の祈りを捧げたいんだけど、そんな時間ただの無駄だよね。聖霊なんて今ではクソだよね。邪魔だよね。邪魔といえばその服も邪魔だよね。やっぱり着たままもいいけど、最初はありのままの王族の体が見たいし、やっぱり最初は生まれたままの姿で犯したいから。もちろん二回目からは服を着たままでもいいよ、僕は何度だって出来るし、クオン様も王族だから何度だって出来るよね? この間ここで犯したエルフの女みたいにすぐに気絶したり壊れたりしないよね? だって王族だもんね、特別だもんね!」


「い、や、ごめっ…ゆ、し、て」


「大丈夫だよ心配しないで。みんな最初の方はいつも泣くんだよね。でも気持ちいいことに気付いてからは自分から求めてくるようになるから。顔も笑顔になるから安心してね。あ、でも兄様の指示しだいではずっと泣き顔のままだったりするけど、まあクオン様は王族だし特別だから大丈夫だよ。あ、あまり動かないでね傷がついちゃうから」


 気付けば男は手にナイフを持ちわたしの服を裂いていく。ほんの少しの隙間だけを開けてナイフがわたしの体を滑るように動いていった。着せられていた古着は抵抗も見せずに真ん中からぱっくりと裂けた。


「ああ、綺麗だ。やっぱり全然違う。綺麗だよクオン様」


「おねが、しま、す、やめ……」


 ナイフの切っ先がわたしの胸をつつく。刺すのではなく、肌の柔らかさを確かめるような動きだ。少しでも動けば刺さってしまう事を感じさせる僅かな痛みは更にわたしの体を硬直させた。溢れた涙は男の舌で舐め取られる。男の足がわたしの両足の間に入り混む。それに対する嫌悪など感じている余裕はない。ただ、自分がこれから何をされるのかだけが頭を占めて、思考は更にぐちゃぐちゃになる。


「たす、けて……」


 弱々しく震える声はただ男を悦ばせるだけだった。ナイフを投げ捨てたその手はとうとうわたしの下腹部へと伸ばされる。自分の物だと刻み込むようにゆっくりとした動きで胸を辿りお腹を経由してその更に下へと指が這っていく。


「――――っ!!」


 突然男が指を止め、のし掛かった。耳元から聞こえるのはさっきとは正反対の力の無い細い呼吸音だった。何がどうなったかわからないまま固まっているわたしの体が、不意に感じた生暖かいものにびくりと跳ねる。その感触は上に乗っている男の体が横に退けられるまでずっとわたしの体を伝う。


「はぁっ、はぁっ……大丈夫ですかクオン」


「……っぁ、い、ぜ」


 ぁぁ、アイゼの声だ。


 男の体が横に退けられてアイゼの姿が現れる。息も髪も乱れていて、僅かに体が震えている。手には剣が握ってあり、その先は真っ赤な血に塗れていた。


「――アイゼ!」


 動かなかった体が嘘のように跳ね上がりアイゼに抱きついた。未だに怖くてわたしの体は小刻みに震えている。アイゼの体も震えている。心臓の音も速くて、きっとアイゼもわたしの音を聞いている。だんだんと二人の震えが合わさり、そしてお互い安心させるようにどちらからでもなく徐々に収まっていった。




「もう動けますか?」


「うん。ありがとう――っっ!」


 あれから落ち着くまでアイゼはわたしを抱きしめてくれていた。その間これからの話をしながらわたしが問題なく動けるように魔力を注いでくれた。

 震えも魔力不足による気持ち悪さもなくなったわたしはアイゼから離れたあと自分の格好に気づき羞恥心で顔が真っ赤に染まる。


 真ん中で裂けた服はわたしの体を隠すことなく晒している。そしてその状態でアイゼに抱きついていた。


 あああああああっ、そりゃ心臓の音だって聞こえるよ! だってわたし直接だもん。直接胸くっつけてたもん!

 急いで両手で上と下を隠してみたけど多分今さらだ。


「……これを着てください。時間がないのですぐに動きますよ」


 顔を背けたアイゼが手渡してくれた貫頭衣を抵抗もなく被る。部屋の外に投げられていたものだ。汚れが目立つけど今のわたしが気にすることではない。そもそも汚れているのはわかるけど臭いは今のわたしにはわからないし、わたしもおそらく変わらないだろう。


「さっきの話だけど、本当にそこで大丈夫なの。アイゼがいた村なんだよね」


 アイゼの後ろをついて行く。

 わたし達がここを出て一番に目指すのはアイゼがいた村らしい。故郷というわけではなく、ただアイゼが最後に身を寄せていた村だ。好きな恋人のために自らあの男に自分を売ったといつか言っていた。

 アイゼの恋人がいる村だ。わたしならそこを探す。


「大丈夫です。旦那様は私を高く評価しています。まさか私がそこまで愚かだとは思わないでしょう。それにこれを渡す為によるだけですからそんなに長居はしません」


 探せばどこにでもありそうな赤い小さな宝石がついた指輪だ。物に固執しないアイゼがなぜか唯一持っているものだ。大事な物だと最初は思っていたけど、それにしては扱いが悪かったりする。大切に保管するわけもなくポケットに入れてるので何度か落としているのを見たことがある。



 あと少し。あと少しで裏門につく。さっきの男の部下が三人来ているそうだけど、さすがアイゼだ。一人とも出会うことなくここまでこれた。裏門につけばシュトレーネが待っている。

 そこでシュトレーネと一緒にこの隷属の輪を解除してもらってすぐに出れば気づかれてもわたし達はもう屋敷の近くにはいない。


 あと少し。あと少しでわたしは自由を取り戻せる。人間に戻れるんだ。

 その後はアイゼとシュトレーネの三人でしばらく身を隠しながら王国の貴族と接触する。そして兵を集め王国を取り戻す。

 その全てがもう少しで始まるんだ。


「クオン、ここで隷属の輪を解除しておきましょう」


 裏庭へと続くドアの前でアイゼは立ち止まった。


「え、なんで」


 なんでアイゼが今そんなことを言うのかわからなかった。だって計画では裏門の前で解除する筈だ。


「自由を司る風の精霊よ 世界を駆け抜けるその御身の息吹をどうかこの者に」


 暖かさを感じる風が吹き上げた。その温もりは首を一周するとわたしの髪を巻き上げて上へと消えていった。

 直後首輪がひび割れて、地面にぼろぼろと落ちていく。


 ――完全に解除すると、旦那様に気づかれる恐れがあります。


 アイゼはそう言っていた。自由になれた感動よりもわたしはなぜアイゼが今解除したのか、そのことでいっぱいだった。


 だって今解除したらシュトレーネは――。


「時間がありません、急ぎますよ」


 動けないでいるわたしの手を引きアイゼはドアを開けて裏庭に出た。


 計画では門の前でシュトレーネが待っている筈だった。けど、そこにはシュトレーネではなく壮年の男が立っていた。

 見つかった。それだけでもわたし達の足が一度止まってしまうのには十分だった。

 違う。門の前の男じゃない。ただ止まってしまったわけじゃない。わたし達の足をその場に縫い止めたのは後ろから聞こえてきた声だ。


「ほう、これは驚いた。まさか本当に解除できるとはな」


 ぞくっ。聞こえてきたその声にわたしの体は震えた。それは間違えるはずもない。わたしを奴隷に貶めたあの男の声だ。


 挟まれた。

 アイゼとわたしが同時に振り向く。


「ッなんで――」


 あり得ない。なんでそこにいる。わけがわからない。違う。いやだっ、わかりたくない!


「……隠し事が随分上手くなりましたねシュトレーネ」


 ――なんでシュトレーネがあの男の隣に立っているの。


 わたし達を逃がさないように後ろにはあの男と二人の獣人の男、そしてシュトレーネが立っていた。






 目も合わせようとしないシュトレーネの隣であの男がやれやれと言った風に息を吐く。


「さて、逃亡もここまでだアイゼ。ああ、罰などは気にするな。今回のことでお前の力の一端が見えた。私はそれで満足している。だが、今は逃げる気を起こさないように制圧はさせてもらうがな。ゴルドー、頼んだ」


「承知しました旦那様」


 裏門の前に立っていた壮年の男が剣を抜き一歩前に出る。わたしを守るようにアイゼもまた剣を抜き構えた。


「ああそうだゴルドー。魔法と加護の力には気をつけろ。……と言ってもお前には要らぬ心配かも知れないが」


「……それは隣の女奴隷にも気をつけろと捉えてよろしいでしょうか。私の気のせいでは無ければ見覚えのある人物なのですが」


「まぁそういうことだ」


「……はぁ、旦那様は何度注意すれば危ない橋を渡るのをやめて下さるのでしょうか」


 飛び交う会話のその隙を探る余裕が今のわたしにはない。会話の内容も、話しながらも着実と距離を詰めてくる壮年の男にもわたしの意識は向かない。


 なんで、シュトレーネが向こうにいる。裏切った? わたしはまた裏切られたのか。

 ああ、いやだ。マリアンナとの最後の光景をどうしても思い出してしまう。頭が痛み出し、気持ち悪くなってくる。激しく打ち鳴らす心臓の音さえもあの時を思い起こさせる。


「違う、違うシュトレーネは違う。わたしを裏切ったりしない、だって、いや、何か、絶対理由があるんだ。だって、シュトレーネはわたしに優しかった」


 否定しようと出てくる言葉の全てが意味を持たない。それは出てきた言葉だけじゃなく記憶も同じだ。

 優しい? 親切だった? 一緒に過ごした? だからなんだ。そんなものが何の根拠にもならないことをもう既にわたしは知っている。

 ただそれを認めたくないだけだ。それでも好きになった人を信じたいだけだ。そして結局はわたしの心を守りたいだけなんだ。







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