奴隷5
わたしが奴隷におちてから一月が経った。あの男は最初に言っていた通り無暗矢鱈に隷属の輪を絞めることはないし、今の所生活に困るようなことをされてもいない。一日の食事も三食とまではいかないけど二食ちゃんと与えられている。
話だけ聞くと本当に奴隷なのかと疑われそうだけど、わたしの首についている輪が、お前は人ではないといつもいつもわたしに知らしめる。これはご飯ではなく家畜に与えられる餌なんだとわかる。
そうやってわたし達のような高く売れる奴隷には真綿で優しく絞めるように奴隷ということを心に刻んでいくのだとアイゼに教えて貰った。
「クオン、暗い顔をしているな」
シュトレーネが少し戸惑いがちにわたしの頭に手を置いた。目を見ると本当に心配してくれているのがわかる。慣れていないのかぎこちなく撫でられるその不器用な優しさがわたしは好きだった。
「大丈夫。ちょっと色々と考えてただけだから」
安心してくれるように笑って答える。強がりだと自分でもわかっているけど、人を思いやることでまだ自分は人なんだと、まだ心に余裕があると自分に思い込ませる。
シュトレーネはアイゼと同じ緑色の髪と目をしていて、顔つきも少し似ている。一度気になってアイゼに聞いてみたら同じ村に住んでいて、その村の者は全員が緑色の髪と目をしているらしい。
顔は似ているんだけどシュトレーネとアイゼの性格はあまり似ていなかった。
シュトレーネはわたしと同じで奴隷と言う身分を受け入れてなく、たまにあの男に対して激しい怒りの感情を見せたり、ふとしたときに凄く悲しそうな顔をする。一度だけシュトレーネのそんな姿に耐えれなくて、後ろから抱き着いたことがある。悲しい時わたしはよくフラン、……そしてマリアンナにしてもらっていたから。
そんなことがあってからかわたしとシュトレーネの距離はぐっと近くなったと思う。最初の方は掃除や奴隷が食べる料理とかはアイゼが教えてくれていたけど、そのことがあってからシュトレーネが色々教えてくれるようになった。
「あとはもう料理を運ぶだけだから、クオンは私達の分を部屋まで運んだら終わりでいいよ」
「……わかった」
足が重たい。わたしの足を重くしているのは二人の優しさとわたしの心の醜さだ。
わたし達とは違う奴隷達、あの男からは下級奴隷と呼ばれている人達には一日に一度わたし達がご飯を運ぶことになっている。それも仕事なのだけど、二人は一度もわたしにはさせてくれない。理由は何となくわかる。きっとわたしに見せたくない光景が広がっているんだと思う。
同じ奴隷の中でも上下があり、まだ下がいることにどこかで安心している自分の心に嫌気がさす。
違う。
わたしはこんなのじゃなかった。わたしは心だけは王族であろうと頑張っていた。貴族の中で落ちこぼれだったからこそ、民達への慈愛の心を忘れたことはなかった。お父様達から教わって育まれたわたしの心はこんな醜いものではなかった。
奴隷になると心まで変えられてしまうのか。わたしは大切な人も、人でいることも奪われて、大切な人と育んだ心までも奪われるのか。
いやだ。こんなのわたしの心じゃない。わたしの心まで奪われてたまるか。
知らないといけない。わたしはもっと色々なことを知らないといけないんだ。奴隷という世の中の醜い部分を知って、そしてわたしはここから──。
「仕事は終わりですかクオン。なら今日も一緒に食べましょうか」
部屋に戻る途中に偶然会ったアイゼがいつもの笑顔で笑う。
この一月、アイゼから色々なことを教わった。ここがどこなのか、この周辺の地理と他の国の話、魔法の話とかアイゼは驚くほど博識だった。たまにする聖霊や加護の話ですら王族だったわたしが知っているよりも詳しく知っていた。
そんなに色々話してくれるのにアイゼは自分のことを話そうとはしない。それはアイゼだけじゃなくシュトレーネも同じだった。緑の髪と瞳の住人が暮らす村のことを聞いても話してはくれなかった。
何にしても不思議なほどにアイゼは何でも知りすぎている。そしてアイゼはあの日わたしに知って考えろと言った。
ねぇ、アイゼ。わたしの心がまだ壊れていないのはもしかしたらという希望を貴方が持っているかも知れないからだよ。
だからわたしは笑顔を作る。この生活で身につけた強がりな笑顔。人であることに縋りついている笑顔を作る。
「うん。アイゼ、今日も色々教えてね」
ねぇアイゼ、貴方は本当は知っているんじゃないかな。
この一月でわたしは人では無くなったんだと、奴隷になったんだという事を沢山思い知った。だけどわたしもシュトレーネも奴隷という身分を受け入れていない。
けどアイゼはわたし達とは違う。奴隷を受け入れているように見える。自身の暗い未来を受け入れているように見える。
でもアイゼと話していくうちにアイゼは本当に奴隷なのだろうかと疑ってしまう。
その姿は何もかもを諦めて奴隷として生きているように見えるけど、逆に心に余裕を持っているようにも見える。売られて行く恐怖をアイゼからは感じないんだ。
ねぇ、アイゼ。貴方の隷属の輪は本当に貴方を縛っているの? わたしはときどき貴方が凄く自由に見えるんだ。
「今日はこの前少しだけした聖霊の話をしましょうか」
具が見当たらないスープを飲み終わったところで待っていたかのようにアイゼが話しだす。アイゼの手にはまだ少しだけ温もりが残ったスープがある。
アイゼは聖霊が絡む話をするときは無意識でしているのか、手を温めるみたいにスープが残った器を両手に持っている。そして懐かしむような優しい表情をする。
「多くの者が知っているように聖霊とは五つの根源を司っていています。光の聖霊イグアータ、闇の聖霊クシャナ、火の聖霊ヴァルムート、水の聖霊ウンディーネ、風の聖霊コアトル」
アイゼの言う通り、この名前を知らない人はいないだろう。聖霊からの加護を持つ貴族は勿論、平民だって知らない人はいない。
全ての恵みは聖霊から賜ったもので全ての感謝は聖霊に帰結する。誰もが知っている教会の教えの一つだ。生きていくうえで得た幸福は全て聖霊からの授かりものだから、感謝と信仰の心を忘れてはならないという意味あいが込められている。
「ですが、本来彼らは聖霊と呼ばれる存在ではありませんでした」
「……アイゼ何のつもりだ」
聖霊が聖霊ではない?
アイゼが何を言っているのかわからない。アイゼを責めるように睨んでいるシュトレーネにはわかっているみたいだけど、何でそんな目で睨むのかそれもわからなかった。
もしかしたらシュトレーネは教会の人だったのかも知れない。聖霊を聖霊ではないと貶められて怒っているのかも。そう一瞬思ったけど二人の会話からは教会の人から感じる厚い信仰心を感じられなかった。
教会の人じゃない? なら何でシュトレーネは急に怒りだしたんだろう。
「自分が何を言っているのかわかってるのか。今までの話は気にするほどでもなかったが、さすがにそれは掟に触れるぞ」
「クオンは元貴族です。聖霊のことくらい知っても問題はないと思います」
「駄目だ。元貴族でも現貴族でもこれ以上は掟に反する。クオンは守り人の一族ではない」
またわたしの知らない言葉がでた。守り人の一族。聞いたこともないけど、シュトレーネの言い方は貴族よりも尊い者に向けられるような感じだった。
「シュトレーネ、クオンが元貴族であるように、私達も元がつくのです。奴隷となった今この首輪だけではなく、掟にまで縛られるのは馬鹿らしくありませんか?」
「……そうだったな。お前は昔からそういう奴だった。誇りである掟を煩わしいと思っている異端な奴め。私達が私達である理由すらも馬鹿らしいと言えるのだな!」
シュトレーネが勢いよく立ち上がりアイゼに掴みかかった。今まで見たことがないくらい顔は怒っている。けど、震えている声からは怒り以外の感情が読めた。
アイゼにはわからないみたいだけど、わたしには何となくわかる。掟が何の事なのか、どういったものなのかは知らない。けど、それはシュトレーネの中でとても大切で、シュトレーネという人である為の拠り所だったんだと思う。
奴隷になってもそれだけを失わないでいたからシュトレーネは人であれたんだろう。
「勝手にすればいい! どうせお前も聖霊の事を知ったクオンも死ぬまで奴隷のままだ。知った所でどうにもならないし、知られたことも他の奴らにはばれない!」
死ぬまで奴隷のままだ。
それを聞いて恐怖に体が震えた。腕を抱えるようにして震える体を抑える。
それを考えなかった日なんて一度もない。何度も考えて怯えて震えている。それでもシュトレーネから言われるとその恐怖はいつもより強い実感を持っていた。
「……ち、違うんだクオン、私、そんなつもりじゃ」
「だ、大丈夫だよ。わたしは平気、大丈夫だから」
わたしに気づいたシュトレーネが動揺を隠すことなくふらふらとわたしに向かって歩く。
笑顔を作る。力が入らない体と顔に無理矢理力を入れる。平気だと思ってもらう為に、手を振り、口の端をあげる。そうやって、いつもの笑顔を作ってシュトレーネを安心させる。
「っすまない、クオン」
シュトレーネはそう言い残して部屋を出ていった。
「何もクオンにあたる必要はなかったでしょうに。すみませんクオン、どうか気を悪くしないでください」
いつも通りの笑顔が出来るアイゼが理解できない。シュトレーネがあんなに取り乱したのに。あんなにも怒って、悲しそうに出て行ったのに、その原因を作ったアイゼは何一つシュトレーネのことを気にもとめていない。
「何で笑っていられるの」
気が付けば声に出していた。
わたしは二人のことがわからない。緑の髪と瞳の住人のことを何も知らない。掟が何なのか、どれだけ大切なのかちっとも知らないしわからない。二人からしたらわたしは部外者なんだろう。
けど、シュトレーネのあんな顔を見てしまったら言わずにはいられなかった。
「シュトレーネがあんな顔をしてたんだよ。何でいつも通り笑っていられるの。わたしにはわからない。掟がなんなのか、二人が何者なのかわたしにはわからないけど、シュトレーネにとって掟って心の支えだったんだと思う。何でそれを馬鹿らしいなんて言い方したの」
「……掟が彼女の支えになっていたのは間違いないでしょう。それでも私は馬鹿らしいとしか思えないんです」
そう言ったアイゼの表情は真剣そのものだった。
シュトレーネだけじゃなく、アイゼにとっても掟とは心の部分を大きく占める何かなんだとわかった。
支えじゃなくて、悪いもの。真剣な表情からは恨みのような暗い意思が感じられる。
急に変わったその表情にアイゼへの非難の気持ちは知りたいと言う欲に上書きされた。
知りたい。二人の心を良くも悪くも占める掟のことを、二人が何者なのかを。わたしが全てを失っても、わたしに優しくしてくれる二人のことを、もっとちゃんと知りたい。
「……二人は一体何者なの。知りたいの二人のことを。わたしのことも教えるからわたしに二人のことを教えてほしい」
交換条件にもなってないのかも知れない。アイゼはわたしが王族だってことを知って態度を変えるとは思わないし、そもそも王族だった過去はこの場所で、同じ奴隷達にとっては何の意味もないだろう。だって今は人ではないのだから。
「……いつかは言わないといけないと思ってました。クオン、貴女は王族、いいえクローム家の者で間違いないですよね」
「う、うん」
何で知っているのか、いつから知っていたのか、そんなことを一瞬思ったけど、アイゼだから知っていても不思議ではないのかもと納得してしまう。
「やはり、間違いではないのですね。……クオン、それなら貴女には話す必要があります。私達の一族のことを、掟を、そして貴女達守り人の一族のことを」
真剣な表情をそのままにしてアイゼは話し始めた。その声には哀しみと諦め、そして覚悟、様々な想いが込められていた。
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