奴隷4
「どうだったアレの様子は?」
書類に目を通しながら旦那様は優しく問いかける。その声に隣に立っているシュトレーネの体が強張ったのがわかりました。
シュトレーネにはこの優しさが許せないんでしょう。価値だけで左右される売り物に向けられた優しさは売り物である自分達にとっては怖気が走る恐怖そのものです。
シュトレーネから考えを移し、先程のクオンの様子を振り返ります。
半年後、闇の大市で売られると言う事を聞いたときのクオンの表情は、思った通り絶望の色を写していました。ですが、その絶望は昨夜の泣き崩れたときや、部屋に入ったときに見た死にたいと言ったときよりは薄れている気がしました。
それでも、その表情は私の胸を締め付けるには十分なものでした。
私の意思なのか血に流れる記憶なのか。厄介なことにそれがどちらなのかすらもわからなくなってきます。
そして私は責任の無い言葉を言ってしまいました。
何故知識を教えると言ってしまったのか。今更ながら後悔をしています。私はその立場を捨てた筈なのに。
「他と何も変わりません」
伝えたクオンの様子に旦那様は嬉しそうに口元を緩めました。それを見た瞬間私の背筋を悪寒が走りました。
何故今更悪寒などしたのでしょう? 見慣れた筈の歪な優しさの笑顔に悪寒を感じたのは最初の数回だけです。
「どうしたアイゼ。珍しい表情をしているな」
「珍しい表情ですか?」
ちらりと私を見た旦那様は資料を机に伏せ私と向き合います。旦那様が仕事を一時的にも中断する程に今の私は珍しい表情をしていたのでしょうか。
ちらりと横を見るとシュトレーネも驚いた表情でこちらを見ていました。
旦那様の前でシュトレーネがそんな態度をとることの方が私としては驚きですけども。
「自覚が無いのでどんな表情をしていたのかわかりませんが、仕事の邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「いや面白いものが見えた。初めて見るとても人間らしい表情だったよ。ただ私にとってもお前にとっても良いものではないがな」
そう言って旦那様は資料を取り仕事に戻りました。言外に用は済んだという事なので、シュトレーネと共に部屋を出て、次の仕事に取り掛かります。
「そういえば私はどのような表情をしていたのですか?」
隣を歩くシュトレーネに尋ねます。旦那様とシュトレーネがあれ程驚くのですから余程変な顔をしていたのでしょう。自覚がない無意識で作られた表情がどんなものだったのか少し気になりました。
シュトレーネはどう言えばいいのか考えるような顔をしたあと答えました。
「怒っているような、悲しいような、いや何か不満を抱いているような……、わからない。とにかく色んな感情が混ざり合ったような顔だった」
何とも曖昧な答えでしょうか。
はっきりとはわかりませんが、確かにそれは旦那様の言う通りあまり良くない表情ですね。
どうしてそんな表情をしてしまっていたのか。答えは何となく想像できます。厄介なことにどうやら私という存在は本当に彼女を助けるつもりなのかも知れません。
「……なぁ、あの子は一体何者なんだ。貴族だというのはわかるが、お前が今まで誰かを気にする事なんてなかったじゃないか。誰が来て、誰が売られて行ってもお前はあんな表情を欠片も見せなかった」
同族である私が来た時も。そう言ったあとシュトレーネが少しだけ悲しそうに目を伏せました。
確かに私はシュトレーネが来た時も大して何も思いませんでした。一つ言うのならば、奴隷商に捕まるとはなんて不運な子なんでしょう、と自分のことを棚において呆れを抱いたような気すらもします。
なるほど。そんな私が感情を表に出してしまうなんて、何者なのかと気になるのも当然のことですね。ですが自分のことばかりのシュトレーネにはあまり言われたくないです。貴女も大して他人なんて気にしないでしょう。
「クオンは……」
言いかけてはっと気づきます。シュトレーネは同族です。物心つく前から、いかに守り人の一族が重要なのかを教え込まれてきました。私達の命など守り人の命よりも軽いものだと叩き込まれました。
そんなシュトレーネがクオンのことを知って果たして旦那様の前でそれを隠し通せるでしょうか。旦那様は商売柄人の機微にとても敏感です。シュトレーネの変化などすぐに見破るでしょう。そしてシュトレーネは旦那様に問われた時、嘘をつくことができません。制約魔法にも穴はあります。私達一族の事はその穴でうまく回避できても、明確な質問に対しては曖昧にはぐらかすのは難しいでしょう。
シュトレーネには言わない方がいいかもしれませんね。既に旦那様には私がクオンの事を気にしていることは当然ばれています。それでも旦那様は大きく気にする事はないでしょう。私が何を思ったって隷属の輪がある限り何も出来ないと思っているのですから。
「クオンは不思議な子です。何故か惹きつけられます。それは貴女も決して違わないのではないですか?」
仮にもシュトレーネも同族です。風の精霊の加護と始祖の血が薄くても流れています。私程ではないにせよ、感じるところはある筈です。その証拠にシュトレーネもクオンのことを気にしていたではないですか。
「……私は、別に。ただ、可哀想だなと思ってるだけだ」
自分のことばかりだった貴女がそう思っていることが惹きつけられている証拠です。とは言わずにいつもの笑顔でこの場を流します。
「シュトレーネ、明日から彼女もここに加わるのですが彼女は元貴族です。なので私達がするような下働きを全くしたことがないでしょう。一から教えていくことになると思います。それと旦那様には私が面倒を見るようにと言われていますが女性同士の方が何かと都合がいい事もあるでしょう。主には私が見るつもりですが貴女も多少は気にしてあげてください」
「……あの子はリリの時のようなことをされるのか」
ぴくりと自分の顔の筋肉が動き、それを誤魔化すようにそのまま笑顔を深めました。
以前いたエルフの女性の事を思い出します。夜になるとよく泣いていてその度に私が慰めてあげました。クオンと違って寝付くまででいいので楽でしたけど、だんだんと彼女の壊れいく様を見るのは正直億劫でした。
夜になるとよく泣いていて慰めて、次第に私を拒絶するようになり、そして最後は私を求めてくるようになりました。私というよりは男をですね。発情期の獣のように、色魔の魔物のように。
人とはここまで人を変えられるものなんだと少しだけ驚きました。人の悪意とは、果てが無く、尽きることもなく人を歪めていくのだと再認識しました。
シュトレーネもリリが何をされていたのかは知っていたのでしょう。その変化も。だから今回クオンがそうなるのか心配なんでしょう。
「大丈夫ですよ。クオンは綺麗なままで売られるでしょう。勿論売られた先ではわかりませんが、ここにいる間はそういう扱いはされませんし仕込まれません。その方が高くつくと旦那様は思っています」
希少価値の問題です。とりわけ貴族は血と加護に異常なこだわりを見せます。貴族の女性が初夜に流す血は大多数の貴族の中では神聖視されているとも聞きます。王族が、王族であるがまま手に入るのなら値段は跳ね上がるでしょう。渋る貴族もそれならばと懐が必要以上に緩くなるはずです。
ですからクオンには売られる半年までの間はそういった心配は必要ない筈です。
「よかった」
シュトレーネの安心が他人ごとではなく自分のことのように思えました。
……私も自分に言い聞かせて安心したのかも知れません。
「まぁ何はともあれまずは簡単な仕事を覚えてもらいましょう」
「……ふむ、帝国には想像以上に優れた参謀がいるらしい」
仕事の一休止にと報告書を読みながらブランチは思わず感嘆の息を漏らす。
紙には王族や王国のその後が書かれていた。恐らく帝国軍の一般兵が知る情報よりも遥かに詳しく書かれたそれをブランチは満足そうに読み進める。
情報は商売の要だ。情報戦を疎かにする商人に大成はないし、とんでもない失態を犯して破滅する危険さえある。奴隷商という特殊な商売をしている者達は尚更だ。仕入れにも売りにも細心の注意を払う必要がある。奴隷を買う者の大半は殊更詮索されることを嫌い、素性を隠して買ったりするのでその裏を取り売っても問題ないのか調べ、場合によっては売った瞬間にその街を離れて新たに拠点をつくる必要も出てくる。恨みを買いやすい商売なだけに失敗=死に繋がる危険性が付きまとう。ゆえに情報は何よりも、時には商品である奴隷よりも大切なものになる。
ブランチはこの報告書をあげた手駒の評価を上方修正した。
帝国は王族の貴族の半数以上を処刑し、そのどれもが力のある貴族だっただけに残された貴族は牙を折られたも同然だった。交戦に入ると思われた騎士団はブランチの予想を裏切り、大人しく帝国に従ったとのことだ。おかしな話で、王族の貴族の取り押さえにその騎士団も参加したと報告書には記されている。
王国領は全て帝国領になるが、処刑を免れた大半の領地持ちの貴族はそのまま統治することを許された。
領地持ちの貴族は王族に忠誠を誓っているわけではなく自身の領地を第一に考える。乗っ取られる前の段階ならばまだしも、王族が滅んだあとに王国と心中する気などさらさらない者が殆どだろう。自身の領地の統治をそのまま許されるのなら帝国に従うのも当然の理だ。
そして民衆は上が変わることにとても鈍い。自分達の暮らしが今までとたいして変わらないのなら、上が誰になろうとまさに雲の上のことだからだ。基本的に貴族と触れ合うこともないので、思う事もないだろう。
気になるのは騎士団をすんなりと取り込んだことだ。報告書には徹底抗戦の姿勢を見せる者達もいたそうだが、それすらも動く前にあっさりと制圧しているとある。どうやったかはわからないが、裏切者がいることは確かだろう。
僅か一夜で王族を滅ぼし、五日の内に反抗勢力を消し去るというあまりに速すぎる今回の事変。何年も前から秘密裏に綿密に計画がたてられていたことが窺える。
いつから。それすらもわからない。帝国もそんなに一枚岩だったわけではない。ましてや数年前に反逆罪で宰相が処刑されたというごたごたも起こっている。その内情でいつからこの計画を実行していたのだろうか。
「わからないことだらけだな」
ブランチから見ても痛快だった。あまりに謎が多い今回の事変。帝国側から見た結果は手放しで賞賛されるほどの大成功だろう。何しろ流れた血に対して得た結果が釣り合うわけがない程に大きい。これほどまでに少ない犠牲で国家を落とした事例をブランチは知らない。
何せこれは戦争ではない。戦争ならば王国もそんなに早く滅びなかっただろうし、仮に王族が死んでしまっても戦争ならば貴族や騎士団、民衆を抑えるのにもっと苦労したはずだ。
そこでブランチは思い至る。
実際にあった事例としては知らないが、似たようなものなら知っていることに。それは恐らくこの大陸に住む誰もが知っている物語の一つにあった。四人の勇者が聖霊達の力を授かり傍若無人の限りを尽くした魔王を倒す英雄譚。それに出てくる魔王の所業の一つに似ている。
計り知れない力を持った魔王が単身王城に出むき城中の兵士を殺し尽して国を乗っ取った話だ。
まさかそれを実践しようとする者がいるとは。諸国にとって失敗すれば馬鹿な奴がいたもんだで終われた話だが、成功してしまうととんでもない危険人物がいるとなってしまう。
これからの帝国の行動によっては魔王の再臨と呼ばれる日も来るのではないのだろうか。
「くっくっく。面白い。帝国の魔王は何を望むのか」
物語の魔王は破滅の限りを望んだとある。今回の帝国の魔王は何を望むと言うのか。王国の名を地図から消して何を得たと言うのか。報告書にはその答えが無く、謎は謎のままブランチは仕事に戻ろうと報告書を置きペンを執る。
ああ、謎と言えば、アイゼのこともわからないな。ふむ、少し気にしてみるか。
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