奴隷3



「クオン」


 お父様達が優しく微笑んでいる。わたしが同じくらい、いいや、それ以上の笑顔で返すと、お兄様は手をわたしの前に差し出した。


「もうっ、お兄様。わたしはもう子供じゃないよ」


 まだ小さかった頃、魔力が弱いことを知ったわたしは、そのせいでおいて行かれない様にと周りの大人達と同じ速さで歩こうとしてよく転んでいた。そんな私をお兄様は心配して、一緒にいるときは手を繋いでわたしの速さに合わせてくれていた。

 でも今はわたしがどんな出来損ないでも、みんながわたしを大切に思ってくれていることを知っている。だからおいて行かれるという焦る気持ちは無くなったから、お兄様にエスコートしてもらわなくても大丈夫だ。


 ぷくぅっと膨らんだわたしの頬を見てお父様が可愛いと騒ぎ始め、フランは詰め寄ってくるお父様に困っているのか無言で頷きを繰り返している。それをお母様が呆れながら止めていた。その様子を見てわたしとお兄様が笑う。


 楽しい。わたしはこの家族に生まれてよかった。暖かい温もりに満ちたこの場所に生まれてよかった。


「お兄様、わたしはもう子供じゃないんだからね。本当だからね!」


 そう言いながらもわたしは結局お兄様の手を握る。その優しさが嬉しくて、お兄様のことが大好きだから。


「──ひっ!」


 手を握った瞬間その温もりは消えた。

 場所は火が上がる城の中。お兄様達は血だらけでその火に呑み込まれそうになっていた。


 助けようと、動こうとした体はそれとは反対の方向に動き出す。誰かがわたしの手を引っ張って走っている。振り返りその人を見ると良く知っているわたしの好きな人の後ろ姿だった。


「マリ……アンナ?」


 違う。この人はマリアンナじゃない。


「誰、いや、離して!」


 敵だ。

 この人を敵と判断した瞬間、その人の姿が眩い光に呑まれて行く。呑み込まれて行く敵が最後に振り返りわたしを見た。

 目があったその顔は恐怖に泣き崩れるでもなく、突然のことに理解が出来ないものでもなかった。瞳に涙を溜め、自分を責めているように思える表情だった。

 そしてその敵は、完全に呑まれて消える前に僅かに微笑んだ。その表情はわたしのよく知る好きなマリアンナと同じだった。





「……マリアンナ」


 夢から醒める。知らない天井を見て、夢ではなかったんだと思い知らされる。


 首を触ると温度を感じさせない冷たい物が嵌められていた。人では無くなったその証に、嵌められた時のことを思い出した。


 気持ち悪い。

 わたしはこれからどうなるんだろう。どれだけ考えても最悪な想像しかできない。でもそれがわたしの未来なんだろう。


「……死ねばよかった」


 あの時死ねばよかったんだ。みんなと一緒にわたし達のお城で。わたし達の場所で。

 死ねばよかった。マリアンナに裏切られた時に、マリアンナを裏切ってしまった時に。わたしだって一応王族だ。マリアンナがどうしてわたしを裏切ったのか今考えればわかる。


 わたしが死ねばマリアンナは助けられたかも知れない。お父様やお母様、お兄様までもが死んでしまって、残る王族の血を引く者はわたしだけ。それも、加護も持たず、魔力も少なく、剣の腕もお兄様に劣る出来損ないのわたし。

 そんな出来損ないを連れて帝国兵から逃げることは難しいと思う。だからマリアンナはあの時、わたしを帝国兵に引き渡そうとしたんだ。


 わかっている。マリアンナの行動は仕方ないことだってわかっているのに、それでもわたしは、全てをわかっていても悲しいし苦しい。


「今になって、そんなこと思っても仕方ないのに……」


 横になったまま、起き上がろうとも思わないわたしは、生きる気力を失ってしまったんだと思う。このまま生きていても絶望しか待っていない。


「……死ねばよかったのに。いや、今からでも、まだ」


「それは出来ません」


 あの奴隷商の男かと思い体が強張る。あれだけ動く気がしなかった体が無意識のうちに動いていた。

 部屋に入ってきた男は、奴隷商の男ではなく、壁際に控えていた緑の髪をした男の人だった。


「自分から死ぬのは無理ですよ。旦那様は隷属の輪に自殺を制限する制約をつけていますから。隷属の輪がどういったものかはわかりますか?」


 笑顔で優しく問いかけるこの人の首にもわたしと同じ輪が嵌められている。この人も奴隷なんだとわかると同時に何で笑顔でいられるのかわたしにはわからない。


「隷属の輪というのは奴隷には必ずつけられる輪のことです。首輪が主流ですが腕や足に嵌めるタイプの物もあったり、希少ですが体内に埋め込むタイプもあります」


 何も言わないわたしを見て知らないと思ったのか、男の人は隷属の輪について話始める。


 隷属の輪とは奴隷に嵌める制約魔法が掛かった輪のこと。数の少ない制約魔法の使い手が魔力を込め作った輪の事を言う。

 制約内容は魔力を通す主人が決め、奴隷の用途によって小さな違いはあるけど、大きなところでは変わらず主人の命令に背かないこと、主人に対して危害を加えないことらしい。

 首に嵌めるタイプが主流で、軽いものだと腕や足に嵌めるタイプがある。この二つは最悪手足を切り落としてしまえば解放されるのでわたし達のような一生を奴隷として生きていく者ではなく、軽犯罪を犯した労働奴隷がその期間つけられる物だ。隷属の輪は制約魔法が掛かっている分かなり高価らしい。


 そして一番数が少なくて、その特異性から所持を禁止されている体内に埋め込むタイプの輪。


「これは輪と呼ぶにはあまりに小さく小石程の大きさもありません。ですが制約魔法の使い手が魔力と生命全てを絞り出して完成したものです。込められた力は先の物の比ではありません。ゆえに完成された制約魔法、本物の制約魔法だと言われています。飲み物や食べ物に含めて体内に入れる方法もありますし、傷口から入れる方法もあります。そして入れられた者は自身が奴隷になっている事にも気づかずに行動を縛られることになります」


 無意識の内に操られたり、自分でそうしたかのように思い込ませたりすることが出来る。それはもう制約という言葉を超えていた。


 その隷属の輪があることは知っていた。けど、そんなに規格外な物だとは知らなかった。今わたしがつけられているこれだって魔力はわたしの持っている魔力の何倍も込められて作られた物だって聞いた。それよりも多く魔力を込め、自分の命を削り、本物の制約魔法と言われているなんて知らなかった。そんな話お父様達からも聞かなかった。


「……この魔法は火の精霊に愛されたある者が一人の女性の愛を求めたために生まれたものです。愛する者の尊厳を踏みにじってでもその愛が欲しくて、自分自身を火の精霊に捧げるように、魔力とその生命を使い出来たのが制約魔法と言われています。そしてそれが込められたのが輪とは到底言えない小さい物なんです」


 それが制約魔法の始まりだと男の人は言った。その後に輪の形のそれが出来て、数が増え隷属の輪と呼ばれるようになったと言う。


 この話が本当かどうかなんてわたしにはわからない。ただ作り話だとは思えなかった。

 国王であるお父様だってこんなに詳しくは教えてくれなかった。知らなかったのか、わたしに教えたくなかったのかはわからないけど、隷属の輪と制約魔法に関する知識は一般的なものではないことくらいわかる。


 この人は一体何者なんだろう。なんでこんな知識がある人が奴隷なんだろう。


「今の話は聞いたことがなかったですか?」


「……最初の方、隷属の輪は制約魔法が込められた輪だということとその種類のことはお父様から聞いたことがあったけどそれ以外は知らない」


「……そうですか。わかりました」


 男の人はわたしの答えに少し考える素振りをしたあと笑顔に戻った。


「そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前はアイゼです。アイゼと呼んでください。貴女の名前を教えて貰ってもいいですか」


「……わたしは、クオン」


 わたしはクオンだ。もう、グリウェル王国の姫、クオン・クロームではない。

 名前を答えるのに少し間があったのが気になったのかアイゼは首を傾げた。


「貴族ではないのですか?」


「何でそう思うの」


「見た目もそうですが、何より旦那様が最高級奴隷と言いましたから。ただの平民にそうは言わないでしょう」


「……もう貴族じゃない」


 あの奴隷商の男はわたしが王族だと知ってるんだ。そう言えば、これを嵌められる時もそれらしい言葉を言っていた気がする。


 わたしを王族と知っていて帝国に引き渡さないんだ。帝国にばれたら相応の罰を受けるはずなのに、そのリスクを負ってもわたしを奴隷にしたことは得だということなんだろうか。


 そう考えるとあの男の笑った顔が思い浮かんでゾッとする。


 怖い。

 わたしを人間として見ていないあの目が怖い。物としか見ていないあの目が怖い。


「……怖いのも無理はありません。最初は皆そうやって怖かったり絶望したりするんです。でもいずれ自分が奴隷であることに、物として扱われることに慣れて怖いという感情も無くなります」


「貴方は、そうなの。貴方は慣れてしまったから、笑顔でいられるの」


「私は……。そうですね、私は自分から人をやめましたから最初から恐怖なんてあまりなかったのかも知れません」


 そう言って笑うアイゼの表情に少しだけ悲しさが見えた気がした。会って初めて見たその表情が気になってわたしはこの人のことを知りたいと思った。


「それは──」


「さて、自己紹介も済みましたし本題にうつりましょう」


 自分から人をやめたっていうのはどういうことなのか聞けないまま話を打ち切られた。

 あまり聞いてほしくないのかも知れない。アイゼに話す気がないのなら、わたしにはもう知る方法がない。

 そして何より次に続く言葉がわたしの体を震わせた。


「クオンのこれからについて、旦那様から指示を貰ってきました」


 わたしのこれから。そんなものは決まっている。わたしのこれからに自由なんてなく、人権もない。何よりもわたしの意思がわたしの未来に関係しない。


「いやっ、聞きたくない!」


「クオンに訪れる未来のことです。聞かなければいけませんよ」


 聞きたくないと耳を塞ぐのに、アイゼはわたしに近づいて話しかけてくる。


「いやだ。絶望しかないのに誰がそんなこと聞きたがるの!?」


「たとえ絶望しかなくても、クオン自身の未来です」


「聞きたくないっ。何で、何でわたしがこんな目にあわないといけないの!」


 わたしが何をしたっていうんだろう。みんなを失い、家を失った。信頼していた人に裏切られ、その人を殺めてしまった。そして自分を失った。

 わたしに加護が無かったから?

 わたしが先祖や聖霊に愛されていなかったから? だからわたしはこんな目にあうんだろうか。


「貴女に力がなかったからです」


「……えっ」


「貴女が何を失ってどうしてここに来たのか知りません。けど誰かを恨むのなら貴女自身を恨みなさい。我が子を守れなかった親を、いるのなら兄姉を、そして自身の身すら守ることの出来なかった貴女自身を恨みなさい。そうすれば納得できて現状と向き合えるでしょう」


 わたしに力がなかったから? だから何も守れなかった。


 ──違うっ!


「違う、悪いのは帝国兵だ! あいつらがわたしの家族を殺した! 大切な人達を殺してわたしをこんな目にあわせた! わたしが恨むのはあいつら帝国兵だ!」


 何も知らないくせに! わたしがどんな目にあって今ここにいるのか、誰を失ってきたのか何も知らないくせに!


「この世は弱肉強食だと昔ある男が言いました。確かにクオンは帝国兵によって色々なものを失ったのかも知れません。だから帝国兵を恨むなとは言いません。でも、それを守れなかった自分を恨まずに奪った側だけを恨むのは間違いです」


「違う、この世は弱肉強食なんかじゃない。みんな助け合って生きているし、そう言った王は最後は虐げていた弱者に殺された」


「そうですね。皆が助け合ってこの世界が成り立っているのも間違いではありません。でも、その男を間違いだと言って殺した者達はその時は男よりも強者だったことを忘れてはいけません」


 何が言いたいの。この世が弱肉強食だなんてそんなことあっていいはずがない。強者なら何をしたって許されるなんてことあるはずがない。弱者なら何をされても仕方がないなんてことあっていいはずがないんだ。


「間違っている。貴方は間違っている。悪いのはわたしから全てを奪った帝国だ。誤った力の使い方をする者は必ず報いを受けるときがくる」


 そうだ。ドルクルーンも言っていた。騎士団が、他の貴族達がきっと帝国に仕返しをしてくれる。お父様達を殺された復讐をしてくれるに決まっている。


「騎士団や他の貴族達がきっと復讐してくれる。今も仇を討とうと、王国を取り戻そうと戦っているはずだ」


 そうだ。例えわたしの未来に絶望しか待ってなくても、帝国が王国に敗れるのならそれでいい。騎士団が、貴族が、国民みんながきっとわたし達の仇を討ってくれるはず。お父様は王として尊敬できる人だった。そんなお父様を支えるお母様も社交も完璧だし、みんなから好かれていた。そして騎士団団長のお兄様は、騎士団からはもちろん国民にも英雄として敬われていた。このまま帝国の支配をすんなりと受け入れる筈がない。


「……王国を取り戻そうと戦う、ですか。そうなって……そして無事とりもどせるといいですね。そうなることでクオンの気が晴れるのならば、これから王国がどうなっていくのか旦那様に聞きましょう。ですがクオン。貴女自身の未来のことも貴女は知らなければいけません。知らずに流されるまま生きていくのと、知ってどう考えるかは貴女次第なのですから」


 アイゼの言葉の最後に違和感を感じた。そして、隷属の輪の話の後でアイゼがわたしに知っていたかと聞いてきたことを思い出す。

 アイゼはわたしに何を知れというんだろう。わたしの未来に絶望以外の何を感じろというんだろう。

 何か意味がありそうなその言葉に、わたしは自分の未来を知ろうと思った。


「……わかった。アイゼ、教えて。わたしの未来について、これから先わたしに何が待っているのか」

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