奴隷2
旦那様が王都に仕入れに行かれて二週間が経ちます。本来ならあと五日は帰ってこない筈なのに、今晩通信の魔道具、リコルに明け方にはつくと連絡がありました。
貴族や余程の金持ちしか持っていない珍しい魔道具を壊さないように慎重にもとの場所に戻したあと、急いで旦那様を迎える準備に取り掛かります。
「シュトレーネ起きなさい。旦那様が明け方には帰ってくるそうです」
まずは旦那様が居なくてはめを外しているシュトレーネを起こします。最初は機嫌が悪そうな顔でこちらを睨んでいましたが、寝ぼけていた頭が覚めて状況を理解すると顔を青ざめさせて掴みかかってきました。
「ふざけるな! 何で、まだあと五日くらいは帰ってこない筈だったじゃないか!」
「何かあったのでしょう。明け方に急いで帰ってくるなんて、少し厄介なことでもあったのかも知れません。それに何が理由であれ、迎える準備はしておかないとお仕置きされますよ」
お仕置きという言葉にビクリとシュトレーネの体が震えたのがわかりました。シュトレーネの手が自身の首輪を触り、意志の強そうな勝気な目は、力なく伏せられました。
「……あんな奴、死んでしまえばいいのに」
「……さあ、時間が惜しいです。早く準備に取り掛かりましょう」
ぽつりと呟いたその言葉を聞こえなかったふりをして、迎える準備の指示を出します。
シュトレーネがここに来てから半年が経ちますが、まだ自分の置かれている状況に納得していないみたいですね。
「……意志が強い、とも言えますか」
去っていくシュトレーネの背を見て呟きます。自分には無いその強さがどこか羨ましく、そして可哀想に見えました。
旦那様は非常に警戒心の強い方です。商売柄恨みを持たれたりすることも多々ありますし、取引先の情報流出は命に関わることなので、大店の主とはいえども旦那様が信頼できるのはごく僅かな人数しかいません。ですので旦那様の身の回りの世話をするのは、命令には逆らえない私達のような奴隷がすることになっています。もちろん誰でもいいわけではなくて、貴族相手に高い値で売れるような高級奴隷のみになります。
一月ほど前に二人売れて行き、今では私とシュトレーネしか世話をする者がいません。誰かが奴隷に落ちないことを喜ぶべきなのか、二人で旦那様の世話をする大変さに悲しめばいいのか複雑な気持ちです。
そんな事を考えながら準備をしていると、ちょうど陽が昇り始めました。それから少しして帰宅を知らせるベルのような魔道具が鳴りました。
シュトレーネと共に急いで門の前へと行き、旦那様の姿が見えるのを待ちます。竜車の姿が見え、その速さを目測で図ります。
……何があったのかと思いましたが、どうやら街中で竜車を急がせる程のことではなさそうですね。
「お帰りなさいませ旦那様」
「お帰りなさいませ」
シュトレーネが感情の込もっていない声で後に続きます。いつもの事なので旦那様に気にした様子はありません。
……いえ、何だか少し目が輝いているような気がします。シュトレーネは関係ないと思うので……問題では無く、良い事があったのでしょうか?
「アイゼ、高級奴隷の部屋の準備は出来ているか」
竜車から降りた旦那様が荷台へと移動しながら聞いてきました。「問題ありません」と答えて、シュトレーネと共にその横につき、荷台の扉を開けます。
そこには枷を付けられた者達がいました。それ自体はいつも見ている見慣れた光景なのですが、今回は一人違う者がいました。
大きさから見て……まだ子供みたいではありますが。何故布に包まれているのでしょうか?
「シュトレーネ、この奴隷達はいつも通りに階級分けしてそれぞれの部屋に運んでおけ。アイゼは、これを高級奴隷部屋へと運び看病をしておけ。シュトレーネも仕事が終わり次第部屋に来い」
「かしこまりました」
返事をして仕事にうつります。
包まっている布を取ると、綺麗な金色の髪の少女が寝ていました。少女から大人の女性になる成長過程の容姿をしていますが、その美しさは幼さが残っている容貌からでもはっきりとわかります。髪も、肌も、顔の造形一つ一つが精霊から愛されているとしか言えないほど綺麗でした。
どこかの没落した貴族の子でしょうか。何にしてもこれは確かに高級奴隷ですね。この容姿なら誰もが欲しがるでしょう。成長途上の今でこれなのですから、あと数年もすれば貴族ですら中級、いや上級でしか払えない額になるでしょう。
優しく抱き上げると、腕がだらんと力なく垂れました。
「旦那様、この腕輪は」
垂れた腕には簡素な何も装飾のされていない腕輪が嵌められていました。そういえば枷をつけていないのもおかしいですね。必要を感じなかったのでしょうか。普段なら装飾品はとり、枷を嵌めて自由を奪うのに、この少女は人の目を避けるように布に包まれて隠されていただけでした。
「ああ、それか。外そうとしても外れないんだ。何の魔法具なのかわからないが、魔術具だった場合無理に外そうとして込められた魔法が発動したら厄介だからな、そのままにしている。もしかしたら家柄の証になる物の可能性もあるがな」
「……そうですか」
家柄の証と言う事は、やはり貴族の子供なのですね。貴族の子であるのならその一族を証明する物を持っていたら信憑性が増すでしょう。貴族の子であるという事は加護の力も宿しているという事です。その力が大なり小なり、子供を沢山産ませその子供を奴隷兵として育てることも出来ます。
容姿がこれだけ良ければその子供も加護を持ち容姿も良いでしょう。男が生まれれば奴隷兵として、女が生まれれば、自身の欲の捌け口と強力な兵隊を産む為の道具として利用できます。
……ここに来た時点でこの少女の人生はもう終わりを迎えたようなものですね。
貴族が没落する理由なんて限られています。領地の統治が下手だったか、敵対貴族に貶められたかです。逃げている最中に旦那様に捕まったってところでしょう。
その後一日経っても目覚めなかった少女を旦那様が心配して医者に見せることになり、客室へと運びました。医者は魔力切れの反動だから、じきに目を覚ますと言っていましたが、魔力切れで意識を失っても長くても一日経てば意識が戻っているものです。旦那様が言うにはもう三日以上も意識を失ったままなので、魔力切れだけではなく……精神的な物もあるのかも知れません。
何にせよ旦那様の機嫌の問題がありますので、早く目覚めて欲しいものです。
翌日も医者に見せることになったのでこのまま客室で寝かせておくことになりました。
そして医者の言う通り目を覚ました少女を旦那様がもう一度失神させたことで、また私が運ぶことになりました。しかも今回はシュトレーネのおまけつきです。
貴女はそろそろ慣れて欲しいものなのですが。全く、同族とは思えない程世話のかかる者です。
それにしてもわざわざ医者を呼んだり、あんなに上機嫌で奴隷となる瞬間を迎えられるとは思いませんでした。よほどあの少女に価値があるのでしょう。
少女を部屋に運んだ日、夜中私は叫び声で目を覚ましました。
「うああああああああああああああああああああ!」
起きてみれば、声は隣の部屋から聞こえます。痛々しく悲しい声でした。
隣はあの少女の部屋です。夜中に泣き叫ぶことは、新しく入った奴隷にはよくあることです。そしてその対処もまた私達の役目です。
起きて隣の部屋へと向かいます。ベッドの上で暴れたのか、枕やシーツが飛び散らかってました。そして横のままベッドから落ちたのか、ベッドの隣に少女が俯せで倒れてました。
ここまで激しいのは初めてです。だいたいが部屋の隅で震えて泣いているだけです。
初めてのことなので、ドアを閉めるのも忘れて倒れている少女に近寄ります。すると音で気づいたのか少女の顔がこちらを見ました。
「あ、ああああ、ああああああああああ!」
目は虚ろで、意識がはっきりしているとは到底思えません。
けれど少女は掠れた声で、それでも力一杯叫びます。目からは涙を、鼻と口からもだらしなく水を流し、こちらに向かって手を必死で伸ばしています。
その姿からは眠っているときのような美しさや貴族の娘という雰囲気は一切ありません。
その姿を見て私の体は固まってしまいました。
旦那様のもとに来てからは何度も人が物になる瞬間を見てきました。その殆どが絶望したような表情をしたり、現実が受け入れられなくて泣いたり叫んだりします。中には、旦那様を殺して自由になろうとして、痛い目にあった者もいます。
ですが、その全てにこの少女は当てはまらないような気がしました。同じように絶望を深くうつした虚ろな瞳。現実を受け入れられないかのような泣き叫ぶ声。
よく見てきた姿の筈なのに、私は少女を見て取り返しのつかない罪を犯している気がしてなりません。
「た、すけて……」
気づけば私は少女の手を握っていました。
その瞬間、この少女がとても懐かしく思いました。勝手に親しみを覚えていく感情に戸惑いながら、その心当たりに行き着きます。
「……あり得ません」
その心当たりを否定します。もしこれが事実なら、この少女はこんなところにいていい存在ではありません。
手を握られた少女は叫ぶのをやめて、小さく震えるだけになりました。その変わりようが後押しをするようで嫌気がします。
私はまた縛られるのでしょうか。自分の意思とは関係なく、遥か昔の罪の意識に。
翌朝、寝ていたい気持ちを抑えて私は少女の部屋から出ます。
あの後、少女をベッドに戻して自室へと戻る度に少女は泣き叫びました。結局灯りの魔道具に魔力を通し、私は朝まで少女の隣にいました。
少女の方は少しして眠りに落ちましたが、私は全然眠りにつけませんでした。
「はぁ……」
寝不足のまま今日一日旦那様の世話をするのかと思うと朝から重たい溜め息がでます。
ですが、ちょっとした発見もありました。少女が落ち着いて寝付いた頃、私の中にあったあの無理矢理植え付けた様な懐かしさと親しみが消えていることに気づきました。
あれは気のせいだったのかも知れません。あの光景に少し心が痛み、そう錯覚したのかも知れません。そう思う方が合理的です。
「おはよう。……眠そうだな」
「……おはようございます、シュトレーネ」
「あの子はどうしている。夜は大変だったんだろう」
「まだ寝ています」
シュトレーネが少女の部屋へと視線を移します。
シュトレーネは新しい奴隷が来るたびに私が面倒を見ているのを知っています。本来なら私達二人の役目なのですが、シュトレーネは今まで叫び声で起きた事がありません。前にいたリリという奴隷の声も結構大きなものだったんですが、毎回私が起きて、寝かせつけに行ってました。
わかっているのなら、少しは起きる努力をしてほしいものです。女性同士の方が落ち着くということもあるでしょう。
「……あの子はどういう扱いになるんだ」
「気になるのですか?」
奴隷という身分に納得がいかず、常に自分の事しか考えていないシュトレーネが他人を気にするなんて珍しいです。
……シュトレーネもあの少女に何か感じたのでしょうか。
「いや、何か見たことがない程に綺麗な女の子だったから、値段も相当なものになるんだろう?」
「そうですね。貴族だと思いますし……加護の力も大なり小なり受け継がれているでしょうから、私達と同じか、力によっては私達よりも高いでしょうね。あの見た目もありますし、旦那様が最高級品と言ってましたからね」
未だに多くを知られていない私達一族は未知の部分では価値観がありますが、目の前にぶら下げられた加護の力とあの容姿と比べるとわかりやすい実利をとってしまうものでしょう。
「これから私達と同じように扱うのかどうかは旦那様の指示を待つしかないでしょう」
「……そうか」
何か言いたそうな、歯切れの悪い感じを残しながらも、シュトレーネは視線を戻し会話を終わらせました。それからはお互いに喋る事なく執務室へと向かいました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます