奴隷


 月が頂上で輝く空の下、静寂の中一台の竜車が駆ける。

 防音効果の魔道具に加え、この時間は人通りが全く無いペラソルの森の脇道を走っているにも関わらず、御者台に座る男は何かに見つかるのを恐れているように竜の背を鞭で叩く。

 少しして南門が見え、初めて男は竜車の速度を下げた。そして自然と上がっていた口角を下げいつもの表情を作る。


 男がわざわざ森から一番近い西門を避けて南門に来たのには三つの理由がある。一つは少しでも足が付く可能性を避けるため。そして残りの二つは今まさにこの竜車を止めようと両手を広げている兵士にある。


 男は一つの賭けに勝ったと心の中で、南門にいた目の前の兵士に称賛を送る。

 口元がまた緩むのを感じ、急いでもとに戻した。

 あくまでも平静に、普段通りを意識して兵士との会話を始める。


「ブランチの旦那、こんな遅くに街を出るんですかい?」


「ああ、急ぎの仕事があってね。それより騒がしいが、何かあったのか?」


「ああ、今緊急通信が入りましてね。旦那にだから言いますけど……」


 そう言い兵士は周囲を一度気にして、男の近くに顔を寄せた。


「……どうやら帝国の兵共が城を襲撃したらしいんですよ」


「帝国兵が? それで、どうなったんだ?」


「頭がすげ変わりました。まぁ、私ら雇われの兵士にとっては金さえ払ってくれるのなら頭が誰であろうと関係のない話なんですがね。ただ、騎士団はどうでるか」


「ふむ。暫く国は荒れるな。この国が帝国の物になるのなら、騎士団は勿論この国の貴族が扱い次第では黙っていないだろう。さて、どうなるのやら」


「旦那、嬉しそうな顔しないでくださいよ。私らは戦争なんてごめんですよ。ここでこうやって適当に門の開け閉めして、金を貰えればそれでいいんです。誰が好き好んでお貴族様達の為に命をはるかって話しですよ。おっと、長話が過ぎましたね。旦那、悪いんですが荷物を検めてもいいですかい?、一応、緊急通信で言われてるもので」


「ん、ああ構わんよ。私の荷物を確認するということは探し人でもいるのか? わざわざ緊急通信を使うということは、王家の誰かに逃げられでもしたのか」


 男は自然な流れで御者台から降り、兵士と共に荷台の扉を開ける。荷台の隅にあるものに一度素早く目を向けた後、勘付かれないようにそっと胸を撫で下ろした。

 荷台の中には裸の上から布を被せられて手足に枷が嵌められた男女が八人いた。人族の男二人と、人族の女二人。エルフの女が三人と獣人族の女が一人。そして、枷は嵌められていないが布で足首から頭までを簀巻きにされた者が隅に倒れていた。


 兵士の表情が女を見て厭らしく歪む。


「察しがいいですね。旦那の言う通り、クオン様が従者を連れて逃げたらしいんですよ」


「ほう、クオン様が」


「はい。私は時々街で見かけたことがありますが、ありゃあ美人な姫様でしたよ。数年後にはあの美姫にも並ぶんじゃないかと思うくらいの」


 男と背中越しに会話をしながら、兵士は荷物を検めていく。必要以上に女の体を触っては、「違うな、クオン様ではないな」とわざとらしく呟くのを繰り返す。


 欲望塗れのその行動に呆れるが、その欲に塗れた頭の悪さを利用しているので、男はこの商品達に触るくらいは目を瞑った。

 一人気に入ったのか発育途中のエルフの女をまさぐりだしても何も言わない。勿論この兵士が、門兵の長ではなかったり、全く融通の利かないような奴だったならば、金を請求するか腕を切り落としていただろう。買う気がないのにべたべた触る奴ほど鬱陶しいものはいないしそういうのを嫌う客もいる。


 やがて兵士は満足したのか、女の布から手を抜き、隅にある簀巻きの方に顔を向けた。顔を見ようと手を伸ばしたところで男の言葉でその手が止まる。


「魔法国家のあの王女にも並ぶ、か。それは一目見ておきたかったな。ああ、その荷物は扱いに気を付けてくれ。ベルトラム様のご所望品だからな。掠り傷でもついたら首が飛ぶ」


「うへぇ、あのベルトラム様の。ならこの荷物の確認はいいです。私も危険な橋は渡りたくないんで。では旦那もう大丈夫です。ご協力ありがとうございます」


「ああ。私も貴重な話が聞けた。礼と言ってはなんだが今度商品の融通をしよう」


「へえ! それは有り難いです。では、クオン様みたいな女がいいですね。街で見かけたときから自分の物にしたかったんですよ」


「ああ、わかった。今度クオン様の似顔絵でも見て探すと約束しよう」


「ありがとうございます。では、道中気を付けてください。ペラソルの森で奇妙な爆発もあったらしいので、騎士と帝国兵がまだ戦っているかも知れませんから」


「ああ、ありがとう。気を付けるよ」


 男は鞭を振る。王都から離れ、自身の拠点となる街を目指して竜車を休みなく走らせた。











『あの人は間違ってなんていない。あの人は悪ではない』


 声が聞こえる。わたしと同じ金色の髪と青い瞳をした女の人の声。その人は起き上がる力も無いのか、ベッドに横になったまま窓から青い空を見ている。


 声は確かに聞こえるのに口元は動いていない。まるで、わたしが見ている光景とその人の声は違う時を流れているように思える。

 けど、空を見ているその瞳はとても悲しみに満ちていて、その人の声はとても痛々しく聞こえる。


『私の子らよ、皆の子らよ。どうか決して忘れないでほしい。あの人は誰よりも世界を愛し、誰よりも人を愛し、誰よりも世界から愛された』


 わたしはこの夢を知っている。これは洗礼式の時に見た夢だ。悲しそうな瞳も、その声もあの日見たものと同じだ。


『あの人は誰よりも人を愛していた。だからこそあのやり方しかなかった。誰にも理解されないと、否定され、悪だと罵られるとわかっていても、あのやり方しかあの人にはなかった。そして私達はあの人を否定した』


 女の人の頬に涙がつたった。瞳はより濃く悲しみを映し出し、声はより痛く、擦り切れそうなものになっていく。


『私達の、私の刃が、あの人を貫いた。

私の子らよ、皆の子らよ、どうか覚えていて欲しい。誰が悪だと言っても、かつての仲間に否定されても、世界中を敵にしても、あの人は決してぶれなかった。あの人はただ正しかったと。あの人を裏切ってしまったのは私達だったと。


これから先、あの人が悪だと伝え継がれていっても、私達だけは決してあの人の事を忘れないでいる。子に伝え、子から孫へ、孫からその子へ、血を巡り、力を巡り、言葉を巡ろう。

どれだけ時が過ぎ、どれだけ時代が流れても、血が薄れ、力が衰えても、この言葉は巡ろう。


これから先もきっと、人が生きていく限り、どの時代になろうともあの人の夢は決して叶うことはない。私も、皆も、あの人以外の全ての人は、等しく弱い生き物なのだから』


 その言葉を最後にこの女の人は静かに涙を流しながら瞳を閉じた。そしてこの夢は終わる。





 頭が痛い。体が重い。目を開くのも億劫に思えて、夢から醒めたわたしは目を開けるのをやめた。

 そうしていると自分に何があったのか、昨日一日のことと、楽しかった過去が頭の中を駆け巡った。

 意識を右手に持っていくと、わたしの手を引いていたあの人の温もりがまだ残っているように思えた。


 思い出したくなくてわたしは目をあけた。


「……みどり」


 見下ろすように緑色の瞳がわたしを覗いていた。


「目を覚ましました」


「そうか」


 わたしを見下ろしていた男性は、そう言うとわたしから離れて、同じ緑色の髪をしている女の人が立っている壁の方へと移動した。その人がいなくなったことで、奥にいたもう一人の男性と目が合う。目が合うと、金色の瞳が愉しげに歪んだ。


「ひっ」


 喉の奥から悲鳴が漏れる。


 あの目は知っている。あの日わたしを殺そうとした帝国兵達と同じ目だ。

 その男が近づいてくるのを拒むようにわたしは寝ている体を必死で動かそうとするけど、体が重たいのと、思うように力が入らなくて、起き上がることすら出来なかった。

 そんなわたしを見てその男はより一層愉しそうに表情を歪める。


「心配したんだぞ。もしかしたらこのまま目覚めないのではないかとこの四日間不安で仕方がなかった」


 嘘だ。背中を冷たい何かが走った気がした。優しい声色だけど、その心配は人に対してではないものだと目が語っていた。


 この人はわたしの事を人だと思っていない。


 目を逸らし、壁際に立っている緑色の男性と女性を見る。さっきは気づかなかったけど首輪が嵌められていた。それを見て目の前の男の正体がわかり、わたしは満足に動かない体をさらに動かそうとした。


「賢い子だ。どうやら私が何者か勘付いたみたいだな。だが、そんなに怖がらなくていい。私は君を故意に傷つけるつもりなどないのだから」


 そう言って男はわたしの顎を持ち固定する。


「……いや、いやだっ」


「何故なら君は最高級品だからな。まさかこんな良いものが拾えるとは、わざわざ王都に出向いたかいがあった」


 顎を持っていない方の手をわざとらしく、ゆっくりとわたしに見せつけるように近づけていく。その手には二人が嵌めているものと同じ首輪があって、その行先はわたしの首に向いていた。


「私が何者か気づいているのならこれも何か知っているだろう?」


「いや、やめて、お願いっだから!」


「いいか、これを嵌められたらもう君は人ではない。家族を失い、国を失い、地位を失い、そして人として生きる権利を失う」


「いやだ、やめてお願いっ! 何でもするから! お願いします!」


 どれだけ逃げたくても体は動かない。どれだけ泣いて懇願しても、男は愉しそうに笑うだけだった。決してその手は止まらなかった。


 そして手はわたしの首の後ろに行き──。


「──さようなら、そしておめでとう。君は今から奴隷だ」


 パチリという音ともにわたしの人としての生が終わった。


「いや、いやぁあああああああああ!」


「うるさい、泣くな喚くな」


「うぐっ、うぇ」


 首が締まる。急なその痛みに息すら出来ずにわたしの声は消される。声が消えてすぐに首の締まりは緩くなった。


「げほっ、はぁ、ごほっ」


「このように隷属の環は主人の命令に逆らったり、害をなそうとしたり、無理に外そうとしたら締まって最悪の場合死ぬからよく覚えておくんだ。あとは……そうだな」


 にやりと男が笑うとその瞬間首輪が締まりまた息がで出来なくなる。その時間はさっきよりも長く、未だに締まり続ける。ミシミシと首の骨が鳴り始めても、その拘束は緩くはならなかった。


「い、いき、が」


「主人の気まぐれで自由に好きな時間好きな強さで絞めることが出来る。おや、ちゃんと聞いているのか? ああ、泡を噴き出したか。子供にしては絞めすぎたかな。まあいい。君達、部屋へ運んでおけ」


「げほっ、ごほっ……は、い。わかりました」


「うっ……」


 黒く塗りつぶされていく視界の中で壁際の女の人が倒れるのがわかった。落ちていく意識の中で男二人の会話が耳をすり抜けていく。


「何だ、シュトレーネも落ちたか。女子供は脆くて加減が難しいな。そうは思わないか、アイゼ?」


「……はい。では、その子とシュトレーネを部屋に運んで参ります。失礼します」

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