悪夢2


 愛しき城内の悍ましき光景。兵士の死体と赤く燃える炎。忘れもしない血と様々なものが燃える臭い。耳を劈く悲鳴と怒号。そして、幼い私の手を引き走る女性の後ろ姿。


 ああ、やはり続きを見るのか。

 当然だ。これは私が全てを失った日なのだから。


 何度も見たその夢に、私は何度も自答を繰り返す。忘れられる筈がない。褪せる筈がない。この日、私は大切な者達を失い、その後大切な理を知り、今に至るのだから。


 心の悲鳴を聞きながら、私はその夢に落ちていく。





「姫様こちらです!」


 マリアンナに手を引っ張られて階段を降りる。


「はぁっ、はぁっ……」


 吐く息が痛い。心臓がうるさいくらいに音を鳴り立てる。

 見ないようにしている兵士の死体や、燃える炎が嫌でもわたしの目に入る。耳を塞いでしまいたいほどの誰かの悲鳴と誰かの怒号。鼻の奥を痺れさせるほどの悪臭がわたしの胃をかき乱す。


 なんで、なんで、なんで──。


 考えないといけないことはたくさんある。けど、わたしは、この状況の原因や自分の生存よりも、マリアンナが最初に言ったお兄様達のこと以外考えられなくなった。

 信じたくない。信じられるはずがない。お父様とお母様が殺されたなんて、お兄様が怪我をしているなんて。


「姫様急いでください!」


 普段はお淑やかにと口うるさく言うマリアンナがお淑やかの欠片も見せないで必死でわたしを引っ張って走っている。本来なら笑い飛ばしてしまいそうなそれは、状況の悪さを思い知るのに十分だった。


「ここを降りて地下にいき、脱出通路へと行きます」


 地下へと続く階段の元までたどり着く。見覚えがあるその景色を見て頭の中で地図が出来上がりわたしの足が止まる。


「姫様? いけませんっ!」


 初めて動きを止めたわたしをマリアンナは不審そうに振り返ってみた後、わたしの目的に気づいたのか、握られている手に力が込められていく。だけど、わたしはそれを振りほどき目的地へと走る。


「お兄様っ!」


「姫様、止まってください! なりません!」


 マリアンナの呼び止める声がするけど、振り返ることもしないでわたしは走る。マリアンナが言っていたお兄様が怪我をしながらも敵を足止めしている場所へと。


 お兄様が怪我をしているなんて嘘だ。お兄様は強いし、フランだっているのだから無事に決まっている。


「お兄様、フラン無事でいて!」


 目的の場所に近づくほどに倒れている兵士の数が増える。見慣れた兵装をしている人達も、見慣れない人達も、関係なく血を流し倒れていた。幸いなのはこの場所には火が上がってないことだ。嫌でも見えてしまうそれを少しでも見ない様にと前だけを見て走り抜ける。


 暫く走ったあと目的の場所の扉の前へとたどり着いた。

 城の中でもわたし達の自室や祭壇等がある最奥の東塔と西塔を繋ぐ中央大広間。西側三階にあるわたしの自室へはこの場所を通らないと決してたどり着けない。

 その場所をお兄様達が守っている筈なのに、敵や味方の死体があるということがマリアンナが必死でわたしを止める一つの答えを導いていた。

 マリアンナの言葉を裏付けるその事実にわたしは目を塞ぎ、否定してここまで走ってきた。


 だけど、わたしは扉の前で倒れている一人の女性を見つけて、その事実を突きつけられた。


「……うそ、だ」


 綺麗な銀色の髪が血でべったりと赤く染まり、白い肌からは、目を塞ぎたくなるほどの多くの傷がついている。誰の血で溜まったのかもわからない血だまりに体を沈めて、あの大きな瞳は虚ろのまま半分閉じていた。俯せに倒れているその背中には剣が三本乱暴に突き刺さっている。


 胃を押し上げて喉から込み上がってくるものを何とか抑えて、声を、名前をしぼり出す。


「……フラン」


 信じたくないその姿にわたしの震える足は走ることが出来なくて、ゆっくりとフランのもとまで歩いていく。

 近づくごとに、強い勢いを持って込み上げてくるものを何とか抑えながらふらふらと歩く。涙で見えなくなる目で、それでもわたしはフランのもとまで歩く。

 フランが目の前まで来たとき耐えられなくなりわたしは口を押えて蹲った。


「うぉえっ……」


「姫様、大丈夫ですか」


 追いついたマリアンナが背中をさすってくれる。それでもわたしは少しの間、吐き続けた。


 少しして口から何も吐かなくなると、もう一度フランのその姿を見る。

 涙で滲みぼやけてても、綺麗だった髪や肌が赤く汚れていても、そこに倒れているのは間違いなくフランだった。


「……ねえね。ねえねっ! うそだよね、だってねえねは、強いって言ってたのにっ!」


 小さい頃の懐かしい記憶が込み上げてくる。まだわたしが素直で、フランのことをねえねと呼べた頃の記憶が。

 周りの視線と気恥ずかしさで呼べなくなっていたけど、そんなものどうでもよかった。もっと呼べば良かった。もっと一緒にいたらよかった。もっと、もっと、もっともっと!


「ねえね、ねえね、お願いだから、何か言ってよ。お願いだから……、お願い……うぅっ」


 倒れているねえねの顔を抱きしめる。半分閉じた瞳がわたしのほうを向いているけど、そこには何も感じなかった。そしてわたしは、ねえねがわたしを見ているときにその瞳に浮かんでいた優しさに気づく。

 何を考えているか読めない。その瞳から何も読み取れない。そう思っていた、けど違った。そこには優しさがあった。わたしのことを大切に思ってくれている優しさがその瞳には宿っていた。

 何で気づかなかったんだろう。今になって気づいてももう遅いのに。その優しさに笑顔で返すことも、ありがとうと伝えることももう出来ない。


「おにい……さま。お兄様は!?」


 暫く泣いていたわたしは抱いていたフランの顔を優しく地面におろしたあと、扉を開けて広間に入る。


「おにい、さま」


 その広間は今までとは比べものにならないくらいの死体で溢れていた。まだ覚束ない足で、それでも踏まないようにと歩く。

 マリアンナも気になったのか、わたしを引き留める声がしなくなった。


 こつんと足が死体に躓いた。お兄様が見つからなくて、よく探そうと足元を気にしなくなってすぐだった。何とか転ばずにすんだわたしは気にせずお兄様を探す。


「ひっ!」


 一歩、二歩、踏み出したわたしの足をマリアンナの悲鳴が止める。マリアンナの視線の先を辿ってみれば、さっき躓いたあたりに行き着いた。


「姫、様……」


 マリアンナが怖いものを見る目でわたしと、躓いた死体を交互に見る。


 何でそんな顔をするんだろう。今はお兄様を探すことが大事なのに。


「姫様」


 いない。お兄様が見つからない。ここにあるのは死体だけみたいだ。


「姫様、姫様」


 これだけ探しても居ないのなら、もしかしたらお兄様は既に脱出したのかも知れない。それならわたしも早くここから離れないと。


「マリアンナ、これだけ探してもいないんだから、お兄様はもう城から出たのかも」


「姫様、違います」


「わたし達も早く出て外でお兄様と合流、」


「クオン姫様!」


 マリアンナの大きな声がわたしの言葉を遮る。わたしの肩を掴み動きを抑える。

 マリアンナの目には涙が零れそうなくらい溜まっていた。涙で滲んでいるマリアンナの瞳には絶望したように虚ろで光を失くした青い瞳がうつっていた。


 誰の瞳だろう?


 疑問に思っていたらマリアンナが首をゆっくりと振った。


「姫様……、ウィルトース様は既に亡くなられています」


 信じたくない。


 マリアンナが何を言っているのかわからない。お兄様が亡くなるはずない。お兄様が負けるはずない。だってお兄様はあのドルクルーンに傷を負わせたほどだもん。


「……何を言ってるの、お兄様が、そんなはず、」


「姫様っ!」


 マリアンナがわたしを抱きしめる。顔が耳に近くなりマリアンナの小さなうめき声が聞こえた。泣きたいのを必死で押し殺しているような、そんな声が聞こえた。


「見えますか、姫様」


 震える声でマリアンナが喋る。わたしの返答を待つこともなくマリアンナは続けた。


「私の、後ろ。姫様が、先程、躓いたあたりです」


 見えないはずはない。その場所はここから近く、ちょうど抱きしめられているわたしの視線の先のあたりだ。


 見たくない、聞きたくない。嫌だ、耳を、目を塞ぎたい。

 けどそれができない。わたしの耳は震えるマリアンナの声を拾い、動かない、表情が抜け落ちた一人を捉える。


「姫様、ウィルトース様は、そこにおられます」


「ぅ、うぁ、」


 違う違う違う違う違う違う!

 どれだけ否定しても、違わない。わたしの瞳にうつるのは、見たことのないお兄様の姿だった。


「ぁ、あぁ……あぁぁああああああああああ!」


 ああ、わかった。あの瞳の主はわたしだったんだ。


 そしてわたしは意識を失った。










「ウィルトース様、姫様、申し訳、ありません……」


 とても悲しそうな声が聞こえた。


 体の揺れで目を覚ます。ぼーっとした頭の中で誰かの悲しい声が少しだけ響いていた。


 重たい瞼をあけると、今わたしがマリアンナに背負われていることがわかった。ついでにここがもう城の中ではなく、どこかの森の中だということも。


「マリ、アンナ……。っお兄様は!?」


「姫様、起きられたのですね。少しお待ちください。今お体を確認します」


 マリアンナはわたしを背中からおろして体に触れ体調を確認しだす。

 わたしの心配をしてくれているのはわかる。けどそんなもの今はどうでもいい!


 マリアンナの手を払いのけて詰め寄る。


「わたしのことはいい!。お兄様とフランはどうしたの!?」


「……お二方は城の中です。意識を失われた姫様を連れて、隠し通路を使い城から脱出しました。ここはペラソルの森です」


「ここがどこだなんてどうでもいい! 今すぐ城に戻って。お兄様達をあのままにしておけない!」


 城にはお母様やお父様もいるのに。帝国の奴らなんかに渡さない。わたしの大切な人達なんだ。


「……それは無理です姫様」


「なんで!? 隠し通路があるんならそれを使えばいい。それを使ってお兄様達の遺体を運べばいいじゃん。帝国の奴らなんかに絶対に渡すもんか!」


「無理です!」


 マリアンナの怒声に体がびくりと跳ねる。

 怒りと悲しみでぐちゃぐちゃになっている心に少しの隙間ができ、わたしは目を覚まして初めてマリアンナの顔を見た。


「マリ、アンナ?」


 知らない表情だった。いつも怒るときみたいな厳しい目ではなく、間違いを諭してくれる優しい目でもない。今にも泣きそうに涙を溜めているけど、何かを覚悟したかのような強さを宿している。そして何よりもわたしに向けられている感情が信じられなかった。


 可哀想。

 マリアンナの瞳はわたしのことをそう語っていた。


「姫様、私には姫様を守る力も、私自身を守る力もありません」


「……何を、言ってるの」


 嫌だ。わたしの心臓がこの先を聞きたくないとばかりに早鐘をうつ。


「この森にいるかも知れないんだ。草の根わけてでも探せ!」


 少し離れたところで男の怒声が聞こえた。声のしたほうに目を向けると、続いて鎧が土を踏む音や擦れる音が聞こえる。音からして少なくない数が何かを必死で探してる。


 考えるまでもなく、それはわたしだろう。

 音はどんどんと近づいてくる。このままここで話している時間もあまりなさそうだ。


 追われているというのにわたしの心臓は少し落ち着いていた。追われることよりも、マリアンナの話の続きの方が何故か怖かったからだ。

 とりあえずここから離れよう。そう言おうとして視線をもう一度マリアンナに戻す。


「お許しください、お許しください姫様」


 マリアンナがわたしの手を掴み、音のする方へと歩き出す。


「……え」


 どうして、嫌だ、わからない、嫌だ、何で、嫌だ。

 わからない、わかりたくない、嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ。


「申し訳ありません、ウィルトース様。私には、姫様を守るだけの力がありません」


「待って、待ってマリアンナっ! お願い待って!」


「申し訳ありません、申し訳ありません」


 マリアンナは音のする方へとわたしを引っ張っていく。鎧の音がどんどんと近くなっていくことがわたしの体を恐怖で縛り付けていく。そしてマリアンナの口から漏れる音が、わたしの思考を奪っていく。


 わたしの手を引く女の人が本当にマリアンナなのか、それすらわからなくなってくる。だってマリアンナはいつも厳しくて、でも時々それが気にならないくらいの優しさをくれる。気位が高く、貴族の女性の手本のような人だった。


 何がマリアンナをここまで追い詰めているのか。決まってる。帝国の兵達だ。


「守るから、わたしがマリアンナを守るから!」


 マリアンナに落ち着いて欲しいからつい口から出た言葉だった。さっきまで怖くて固まってた自分が言うにはあまりにもおかしな言葉なのはわかっている。


 でも、マリアンナは動く足を止め、振り向いてくれた。


 止まってくれた事に希望が湧いてくる。

 そして、振り向いたその表情で絶望へと変わった。


「何を、守れるのですか?」


「え……」


 振り向いたマリアンナは歪んだ笑みを浮かべていた。


「何を守れると言うのですか?」


「マリアンナ、何を」


「聖霊から授かるはずの力も無く、剣の腕ではウィルトース様に劣る。魔力も下級貴族並みで魔法も殆ど使えない。そんな姫様が、何を守れるのですか?」


 目元が熱くなってきてマリアンナの顔が滲みだす。


 わたしに力が無い事はわかっている。それでも、大切な人達を、マリアンナを守りたいと思っているのに!


「力がなければ、何も守れないのです! 私が姫様を守れないように、姫様には、誰も、何一つ守れないのです」


「うっ、で、でもわたしは、マリアンナを、守りたい」


 嗚咽が混じったその声にマリアンナは優しく微笑む。その微笑みはわたしの知っている厳しくも優しいマリアンナの表情だった。


 心臓が大きな音を鳴らす。早鐘を打ち、わたしに教えてくれる。この表情はわたしの知っている表情なんかではない。この人は、もうわたしの知っている人ではないと。


「それでしたら話は早いです。どうかこのまま大人しくついて来てください。姫様を帝国兵にお渡しすることで、私の身の安全と、そして、今後、この国が帝国の物となった時の、私のお家の立場が決まるのです」


 わたしの知っている微笑みでわたしの知らない人はそう話しかける。淡々と、処理をするかのように。


 そしてもう一度わたしの手を引き歩き始めた。


「……わたしは、どうなるの」


 顔はもう見えない。その人は、音のする方を向いていて、わたしは涙で滲んだ視界でその背中を見る。


 返事はすぐにはなかった。まだ僅かに残っている思いが、その間で薄れていく。

 そして、重くて、胸が張り裂けそうな程の間が終わりを迎える。


「……恐らく死ぬでしょう」


「……は、はは、あはは……」


 敵だ。


 これは、敵だ。


 体内の魔力が腕にはめてある環へと流れ出す。魔力が意識しないで体内を動くのは本来なら不快で気持ち悪いはずだけど、今のわたしにはそれを感じることがなかった。


「姫、様?」


 異変を感じたのか敵がわたしを振り返る。その背後から、さっきから聞こえていた鎧の音や敵の声が聞こえる。けど、わたしの視界には何も映らない。それでいい。何も見たくない。

 そう思った瞬間に目を潰すような光が広がり、潰れたのかわたしの視界は黒に塗りつぶされた。

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