悪夢
「はい、ではこれで今日の稽古は終わりにします。よく頑張りました姫様」
マリアンナが稽古の終わりをつげ、優しくわたしに微笑む。
騙されてはダメだ。当たり前なことなのだけど、礼儀作法に関してはドルクルーンの稽古よりもマリアンナの稽古は厳しい。失敗したからといって体が痛くなるわけではないけど、満足のいく結果になるまでひたすらやり直しをさせられる。精神的に疲れて、おろそかになり、それでやり直しをさせられるという悪循環というものになる。
そんなマリアンナの稽古は最後まで一切の油断がならない。正直、ドルクルーンの稽古の時にする精神統一よりも精神が鍛えられている気がする。
「はい、ありがとうございます」
ぺこりと角度と速さに気を付けて頭をさげる。今度こそマリアンナは終わったとばかりに少し雰囲気を和らげた。
そもそも礼儀作法と言ってもわたしは基本的に立場は上なので、上の立場の者として下の者に侮られない様にする態度を教えられる。基本的には威厳を保っての返答などだ。
威厳と言われてもよくわからないわたしは天才的な発想で今までの社交をやり遂げてきた。それは、口数を少なくして、必要以上に喋らないことだ。
前回の社交では、殆どを「そうですね」と「はい」でやり遂げてみせた。なぜか終わった後にマリアンナから冷たく睨まれたが、とくに相手も困っていなかったので問題はなかったはずだ。
「マリアンナ、終わったからもう行ってもいいかな」
はやる気持ちを抑えながらマリアンナに聞いてみる。マリアンナは一度時計に目をやると、にこりと微笑んだ。
「大丈夫だと思います。重要な話はもう終わっていると思うので、今から姫様が訪ねても問題はないと思いますよ。ですがっ!」
走ろうとしたわたしの首ねっこをマリアンナが掴んでとめる。
「走らずに、淑女らしくゆっくりと歩いて行きましょう」
「……むり、じゃない。むりじゃないです。わかった、わかりました、歩く歩くから!」
わたしの首ねっこがみしみしと悲鳴をならした。
くそう。ドルクルーンに怪我がどうのとか言ってたのはどこの誰なんだよ。
仕方なくわたしはマリアンナと一緒にゆっくりと歩いていくことにした。
「やはり帝国の狙いは、クローム家の聖玉か」
「今回のウィルトース様の報告でそれは間違いないかと。帝国の内政をかんがみても今この国と戦争をすることに何ら利がありませんから」
「ドルクルーンの言う通りです父上。それに帝国は百年前にもガルブレオに戦争を仕掛けています。それ以来ガルブレオ家の聖玉は帝国のもとにあります」
「だが、わからぬ。何故今なのだ。ガルブレオのことなら知っている。かなり強引な手を使って侵略したため、帝国内部で分断が起きたと記録にある。我々以上に帝国は当時のことを知っている筈だ。なのに、何故今なのだ。帝国内で何か起きているのか」
わたしは今後悔をしている。
こっそり入って驚かそうとマリアンナに離れていてもらって、自分は気配を消して部屋の前に来たのはいいけど……。
まさか、こんな重大な話をしているなんて思わなかった。しかもドルクルーンまでいる。
「……最近帝国で起きた変化は第二王女を、宰相が殺そうとして処刑されたことでしょうか。新しく変わった宰相が何か関わっている可能性がありますね」
「宰相如きにあの男がどうかなるようには思えぬが、時期的には安易に否定も出来ぬな」
「エイフォン様、ウィルトース様、帝国内部もそうですが、今厄介なのはこの国にいる内通者です。今回の遠征で奴に動きはありましたか?」
内通者!? どういうこと、この国に帝国の内通者がいるの。話はどんどん重大になっている。わたしはこの話を聞いてもいいのかな。今からこっそり離れるのは簡単だけど、内通者のことが気になる。帝国との争いはお兄様たちの仕事だけど、内通者についてはわたしも知っていたほうがいい気がする。
わたしは離れることはせず、お兄様たちの会話を聞くためにさらに聞き耳をたてる。
どうしよう、わたしの知っている人だったら。
心臓の音がうるさい。お兄様たちに聞こえるんじゃないかと心配になる。
わたしが知っている人達の顔が頭に浮かび上がってくる。みんな優しくわたしに笑いかけてくれている。その笑顔が嘘だったなんて、考えたくない。
速くなっていく鼓動を、追うように息が苦しくなる。静かにしないと、と思うと更に苦しくなり、次第に想像したものが怖くなって手が震えだした。
「っ誰だそこにいるのは!」
「フラン!」
お兄様とドルクルーンの声が聞こえ、わたしは自分で想像した怖いものから抜け出した。
はっとわれに返った瞬間、わたしの足は地面から離れた。浮遊感と手がわきに食い込む少しの痛み。
……捕まった。
見上げると大きな銀色の瞳と目が合った。わたしとは対照的な白銀色の髪がわたしの頭をくすぐる。
「……フラン、降ろして」
「……ムリ、です」
わたしのお願いを断ると、わたしの瞳をその大きな瞳でじっと見たままフランはお兄様たちの所まで歩く。
吸い込まれるようにわたしはフランの感情の読めない大きな銀色の瞳から目が離せなかった。
フランは、少し苦手だ。口数が少なく、淡々とした喋り方で、無感情のような大きな銀色の瞳でじっと見てくる。何を考えているのか、まるで思考が読めない。
ドルクルーンが言うにはそういう人は特殊な訓練を受けているか、元々そういう人なので対峙したときは相手の考えを読んだり、駆け引きは諦めて、剣筋から癖を把握したり、体の僅かな動きを見て先を制し、こちらも淡々と処理をするように対処をすること。
……なんで剣の話を思い出したわたし。とにかくわたしは嫌いではない。むしろ小さい頃から影ながら面倒を見てくれていたので姉のように慕っている。ただ少し苦手なだけだ。
幼かったころは何も考えず何でも言えたけど、成長して感情が読めないフランとどう話したらいいのかわからなくなった。
「ウィルトース様、聞いていたのは、クオン様、でした」
三人がフランに抱えられて連れてこられたわたしを見て驚いた。
「クオン、どこから聞いていたんだ?」
「帝国の狙いがクローム家の聖玉だというところからです」
お兄様の質問に丁寧に返す。これはマリアンナの稽古で身に染みてわかったことだ。怒られそうなときは丁寧な言葉を使えば何とかなる。
あ、反省はもちろんするよ。ただ怒られたくないだけだ。
わたしの答えにお兄様とドルクルーンの表情がまた驚きにかわった。そんな二人の肩をお父様は笑いながらばしばしと叩いた。
「凄いじゃないかクオン、この二人にそこまで気づかせないなんて。さすが俺の娘だ。才能に溢れている。可愛いくて天才だなんて、聖霊でも見劣りするぞ。ああ、そうだ昔からクオンは可愛くて──」
お父様が凄い褒めてくれる。すっごい嬉しいんだけど恥ずかしい。幼いころは純粋に嬉しくて嬉しくて凄い喜んだけど、今はそれが世間の真実ではなく、親が子供に注ぐ愛情表現だとわかった。
いくら剣の腕が良くても、いくら上手に気配を消せても、貴族の女性に必要のないものだ。騎士を目指す女性も少ない数だけどいるのはいる。けれど、王族の姫にはそんな道なんて存在しない。
そして、いくら顔が良くても、加護を持たない貴族なんて、平民と変わらない。下手に結婚して子供を産みでもしたらその子供も加護を持たない可能性もある。そんな危険な道を、家柄と体に流れる聖霊に愛された始祖の血に誇りがある貴族が歩くわけがない。体の関係を求めるならどこに繋がりがあるかわからない貴族相手よりも平民を相手にする方がはるかに楽だし手っ取り早い。
改めて考えてみるとわたしって本当に出来損ないだ。貴族の礼儀作法や、王族としての立ち居振る舞いよりも剣の方が出来てる。貴族の誇りと力の証でもある加護がないからといって、その分魔法が特別使えるというわけでもない。
まだお父様はドルクルーンを相手にそんなわたしのことを凄い褒めている。それをドルクルーンが愛想も忘れて、無表情で右から左へと聞き流している。
お兄様が一向に止めないお父様を見て困ったように笑ったあと、同じ表情でわたしを見る。
「クオン、今聞いたことは誰にも言ってはいけないよ。クオンは何も心配しなくて大丈夫だから」
「……うん」
小さく返事をしたわたしの頭をお兄様が優しく撫でる。小さな子供を落ち着かせるみたいなその手つきにわたしは少しむっとして頬を膨らませた。
「もう子供じゃないから、大丈夫だもん」
「そうか。そうだな、クオンはもう小さな子供ではないな。それで、クオンは何か用があって来たんじゃないのかい?」
「あっ、そうだった。稽古終わったから、レオナードのところに行ってもいいかなって聞きにきたんだった」
お兄様の表情が強張った。
わたしの言葉を聞いて笑みを深くするお兄様。静かに怒っているような、それともどうしようもなく困っているような、そんな顔だ。
でもわたしは知っている。お兄様はすごい優しい。いつもこの表情を浮かべるけど、結局はわたしに行ってもいいよと言ってくれる。そして後を追うわたしがちゃんとレオナードを見つけられるように場所を教えてくれる。
「……わかった。フラン場所はわかるな」
「はい、把握しています」
わたしがレオナードを追いかけて街に行くときに必ずお兄様に許可を貰いにいくのは、もちろん危ないからということもあるけれど、一番はフランがレオナードのところまで案内してくれるからだ。フランの加護のおかげで追いかけたはいいけど、会えずに終わるなんてことには一度もなったことがない。
わたしはフランの顔を見上げ、案内してねとお願いをした。
「……任せて、ください」
「姫様、あちらです」
立ち止まったフランが足をとめて指をさす。その先を見てみると、フランと全く同じ容姿をした女性が立っていた。
フランの加護の能力は自分の分身を一体作れることだ。見た目、性格、戦闘技術全てが全く一緒の分身を作りだせる。最初に与えた魔力量によって、維持できる時間が変わるって、小さい頃にフランから聞いた覚えがある。
フランは分身フランの方を指差している。分身フランは大通りに続く大きな道と、大通りとは正反対の方向に進む、少し細い道の二つの分かれ道の端っこに目立たないように立っていて、後者の方を指差していた。
フラン二人の間に挟まれるのは何だか変な緊張感を感じる。
感情の読めない大きな銀色の瞳に挟まれながらも、わたしは少し細い道へと顔覗かせて見る。
一つに束ねられた青い髪が尻尾のように揺れている。周りにいる他の誰よりもわたしの目はその姿をはっきりと映し出す。
レオナードだ。
「レオナード!」
わたしはレオナードの所へと走る。レオナードが名前を呼ばれて振り返るのとわたしがレオナードに飛び付くのは殆ど同時だった。
「おっと、これはこれはクオン様、そのようになされてはまた怒られますよ」
抱き着いたわたしの肩を持ちわたしと目線を合わせるように屈むと困ったように微笑んだ。わたしも同じように笑ってみせる。
「ほんとだね。でも今はお兄様はいないから大丈夫だよ」
「そうですね。でも気を付けないとそういう隠し事は想定外の所で知られたりするんですよ」
確かにレオナードの言う通りかも知れない。この間ドルクルーンの服に臭いにおいのするクサジの花の蜜を付けたとき何故かわたしがつけたとすぐにばれてしまった。あの時は口の端をひくひくさせたドルクルーンに見張られながら、剣の素振りを二百回させられた。
嫌なことを思い出していると、レオナードの視線が一瞬だけわたしの後ろを見た。
「クオン様、それで今日はどうやって私を見つけたのですか」
「ふふん! それはわたしの加護の力で見つけたんだよ!」
「クオン様の加護ですか……」
ごめんなさい、嘘なんだ。
実はフランのことは内緒にしなければいけない。お兄様にフランは、仕事柄あまり人に知られてはダメだと言われている。だから、フランがここまで案内してくれたことはレオナードにも誰にも言ってはいけない。
レオナードに嘘をつくのは苦しいけど、お兄様の言う事だから仕方がない。それくらいの分別はわたしにだってつく。
わたしが加護の力に目覚めなかったことを知っている人はごく僅かしかいない。お父様とお母様、お兄様、そしてドルクルーンとマリアンナ、それとフランだけだ。家族でもない三人が知っている理由はお父様達が最も信頼してわたしを任せているからだ。
だからわたしは今まで加護のの力だとレオナードに嘘をついている。
「確か、対象の物を広範囲に渡って探す能力でしたよね」
「う、うん! そうだよ!」
ついこの間ついた嘘だ。加護が無いレオナードはどこか尊敬の眼差しでわたしを見ている。
うっ、罪悪感が……。
胸にもやもやした物が溜まっていき、レオナードの眼を見れなくなり、わたしはその眼を隣へと泳がせた。
ごめんなさい。心の中で謝ると、少しだけもやもやが消えたような気がする。
「それではクオン様、今日はどちらに行かれますか?」
そう言ってわたしに手を差し出すレオナード。もしお兄様や他の人がいたらレオナードはこんなことはしないだろう。その才能を認められ、将来を有望されていても、今は一騎士に過ぎない。レオナードに許されるのはわたしの近くに立ち、周囲を警戒することだけだ。隣に並んで歩いたり、尚且つ、手を繋ぎエスコートをするなど、許される行為ではない。
まぁ、でもレオナードはお兄様に信頼されているから、もし知られても、罪に問われることはない。少し厄介な仕事を暫く押し付けられるくらいだと思う。そもそもお兄様の前で何度か抱き着いているから、今更手を繋ぐぐらいどうってことはないと思うんだけど。
「どこでも大丈夫だよ。レオナードと一緒ならどこに行っても楽しいから」
わたしはそう言ってレオナードの手に自分の手を重ねた。一瞬だけ驚いた顔をしてレオナードはわたしの手を包み込む。
「これは、嬉しいお言葉です。それでは僭越ながら今日はクオン様がまだ行かれたことがない場所をご案内しましょう」
そして、わたしとレオナードは手を繋ぎ並んで歩いた。
ゆっくりと甘く幸せな微睡みから目を覚ます。段々と暗くなりつつある室内を見て、一瞬でその甘い幸せから現実へと戻される。
「──っ!」
急いで立ち上がり、目の前の光が弱まりつつある魔法具へと手を付け魔力を流し込んでいく。弱まっていた光が強くなっていき、その眩しさから目を細めながらも、光を見たまま一定の量まで入れると、手を離した。
「はぁ……」
部屋が明るくなったのを見渡して確認したあと、落ち着かせるように深く息を吐いた。
もう一度魔法具の下に座って震えを抑えるように膝を抱え込む。背中を壁につけて、顔を組んだ腕へと押し付けた。ちらっと横に目だけを動かして自分の剣がすぐ持てる場所にあるのかを確認した。
少し前に立ち寄った村のことを思い出す。あの時は剣を宿の部屋に置いて来ていて酷い目にあった。武器を所持しては入れない場所に用があったからと言って油断しきっていた。平穏が偽りだとよく知っているくせに。おかげで余計な手間を取ってしまった。剣があれば大人しく捕まることも、相手の油断と隙を伺う事もなくすぐに片が付いていたのに。
あのまま巻き込まれるのは面倒だと思い、ろくな情報も何も得られないまま、ここへと来てしまった。
「明日、情報を集めるところからか」
ぎゅっと腕に力を入れる。震えは少し落ち着きを取り戻していた。
目を閉じる。
あれから深い眠りにつけたことなんて一度もない。安心して寝られた日なんて一度もない。少しの間みる断続的な夢でさえ、私に安らぎを与えてはくれない。猛毒のような幸せと、その真実。そして誰かの悲痛な泣き声だ。
今日は猛毒の日みたいだ。甘い幸せのあとに見るのはいつも決まっている。その終わりだ。激痛にも似た苦しみが私に襲い掛かる。それを知っていながら私に抗う術はない。だってそれは私の原点であり、目的であるのだから。
「……くそったれが」
私はそのまま心が感じる激痛に身を任せた。
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