亡国の姫
しあわせな過去
「姫様っ! どこへ行かれるのですか!」
後ろからの怒鳴り声にびくっと体が跳ねる。
ゆっくり振り向くと、額に青筋を浮かべて、顔を赤くしているドルクルーンが立っていた。
ドルクルーンは、「失礼します」と言って逃げられないようにわたしの体を抱きかかえると、稽古場まで速足で歩いていく。もちろん稽古をさぼろうとした説教も忘れていない。
ちっ。うまくサボれると思ったのに……。
くどくどと続くドルクルーンの小言を聞き流して、次はどうやって逃げようかと考える。
「……聞いていないですね姫様」
「……な、なんのことなのかな。ちゃんと聞いていたよ」
びくっとまた体が跳ねる。
どうやらわたしの体は素直すぎるらしい。わかりやす過ぎると、ドルクルーンが溜め息をついた。
わたしも自分の体に溜め息をつきたかったけれど、怒られそうなので何とか我慢する。
稽古場について、わたしを降ろすとドルクルーンはわたしの頭に手を乗せて厳しい表情を浮かべる。
「いいですか姫様。かの国の王はこの世界は弱肉強食だと言いました。ですがそれを言ったかの国の王は、」
「滅んだんでしょ。弱者を踏みにじりすぎて、強者となった元弱者に倒されたんでしょ。もう何度も聞いたよその話」
わたしが逃げ出す度にドルクルーンは同じ話をする。大昔のどこかの国の王の話らしいけれど、あまり興味がでない。
この世界が弱肉強食だとは思わない。確かに力が強い人と弱い人がいるけれど、別に力が弱いから生きていけないわけではないし、力が強い人が弱い人を虐げてもそれよりも強い良い人が助けてくれる。
それに力が強くても弱くても、皆助け合って生きている。そうやってこの世界は成り立っているとわたしは思う。
わたしの考えていることがわかったのかドルクルーンはわたしの顔をみてふっと表情を緩めた。
体だけではなく、顔もわかりやすいのだろうか……。
「そうです。この世界はかの国の王が言う弱肉強食の世界ではありません。皆それぞれ共存して生きているのです。ですが強き者と弱き者がいるのは確かです。そして一方的に弱き者を虐げる者がいることも事実です。ですがその者はかの王のように報いを受けるでしょう。虐げてきた弱者にか、それとも正しき心を持った強者にか。いたずらに力を振りかざせばあるのは破滅だけなのです」
そこまで言ったドルクルーンはもう一度厳しい表情を浮かべた。
その表情で次に何を言われるのかわかったわたしの心が少し沈んだ。そしてドルクルーンはそれがわかっていてわたしに言葉を続ける。その声には少し悲しさが滲んでいた。
「姫様は、両方の立場をお持ちです。ですから正しき強者の心を身につけなければなりません。姫様は私達を導く立場にあるのですから」
ドルクルーンが言う両方の立場。わたしはこの国での絶対的な強者という立場で生まれてきたけど、持って生まれた力はこの国での弱者と変わらない最低限の物だった。
わたしはグリウェル王国の王、エイフォン・クロームの娘として生まれた。
本来貴族や王族は平民より魔力量が多く、魔法の扱いに長け、そして何よりも平民は持ちえない加護というものを持って生まれてくる。
お父様が言うには大昔の祖先が聖霊から授かった力が受け継がれているらしい。それを授かった者が貴族となり、そしてその中で聖霊に愛された者が王族となっていて、貴族以上に強力な加護を受け継ぐらしいけど……。
わたしにはそれが無かった。魔力も平民よりはあるが、貴族の下の方で、加護は受け継がれなかったのか開花しなかった。
八歳になると我がままな子供から卒業し、立派な貴族として育つことを聖霊と祖先に誓う洗礼式が行われる。一週間かけて行われるそれは初日は聖霊神殿で多くの貴族が集まって八歳になる子供たちを大人達が祝う。
二日目からは順番に聖霊神殿にある儀式の間へと行き聖霊と祖先に祝詞を唱えながら魔力を奉納する。その時に頭に声が響き加護の力に目覚めるらしいのだけど、わたしにはそれがなかった。あったのは変な、そして悲しい夢のような光景だけだ。
幼いわたしにもそれがどういうことなのかはわかる。わたしは出来損ない、それかお父様とお母様、どちらかと血が繋がっていないか。
「姫様、何を考えているんですか。貴女様は、間違いなくクローム家の者です。お父上様とお母上様にそっくりではないですか。……稀に力に目覚めない者もいると聞きます。ですがそれが姫様がお二方の子ではないという証明にはなりません」
……ドルクルーンの言う通り、証明にはならない。それに、お父様とお母様はわたしにとっても優しい。お兄様も少し厳しいけど、けれどそれが気にならないくらい優しい。
愛されている。子供のわたしでもそれくらいわかる。お父様達だけじゃない。ドルクルーンもそうだし、わたしのお世話をしてくれる人達は皆わたしのことを大切に思ってくれている。
それがわかっただけでさっきの心のもやもやはいなくなり、自然と頬が緩んだ。
「もう大丈夫そうですね。では姫様、剣の稽古をしましょう。姫様の身を守る力を鍛えましょう。もちろんさぼろうとしたことは忘れてませんから、その分きっちりとお相手しますから」
「……ドルクルーン先生、手加減を」
「姫様が身を守る為です。そんなものは勿論致しません」
「うぅ、けちっ!」
「けちとかじゃないでしょう。ほら早く剣を構えて」
うぅ、やっぱりドルクルーンはちっとも優しくない。厳しすぎる!
「では、今日のところはこれで終わりにします」
三時間程たってドルクルーンが地面に横たわっているわたしと時計を交互にみて言った。
間に休憩という名の精神統一を挟んではいたけど、それでも立つのが嫌になるほどに全身も痛いし、なにより疲れて動けない。息をするのにも落ち着かず、わたしは床におでこをつけて、ぜぇ、ぜぇ、と呼吸を繰り返す。それに対してドルクルーンは汗ひとつかかず、息も少しも乱れていない。むしろすっきりしている気がする。
うぅ、絶対わたしで日頃の不満を発散しているな。許すまじこの戦闘狂いめ。
お兄様がこの間ドルクルーンをそう言っていたことを思い出す。
「……精神統一が全然なっていません。前から言っているように姫様には集中力が足りないのでそれを鍛えないと上達はないですよ。剣の筋は、若様と同様素質があるのですから、もっと集中できるようにしましょう」
「ぜぇ、ぜぇ……」
ドルクルーンの教えに返事をする余裕も今のわたしにはなかった。
厳しすぎる。いや、厳しくしないと駄目な理由はわかるのだけど、それでもわたしだってまだ十二歳の女の子だ。もう少し手加減というか、せめて顔に打ち込んでくるようなことはやめて欲しい。ドルクルーンの馬鹿馬鹿、堅物、仏頂面戦闘狂い。
声にするほどの余裕がないから頭の中で悪口を言っていると稽古場の扉が開けられた。
「失礼します。って、何ですか姫様その格好は!」
入ってきた女の人は床に寝ているわたしをみるとびっくりしたように声を荒げた。そして凍えるような目つきでドルクルーンを睨む。
この人はわたしの身の回りのお世話してくれる女官長のマリアンナだ。長い綺麗な栗色の髪が特徴的で、いつもわたしが綺麗だと褒めて触ると照れたように微笑む。普段は優しいが、怒ったらとても怖い。凍えるような目つきで睨まれるとわたしは背中がぞっとして目を離せなくなる。
今回怒られるのはわたしじゃないみたいでほっとすると同時に強い仲間を得た気持ちになる。
「ドルクルーン様、確か前々回も言いましたよね。姫様は嫁入り前の大切なお体です。万一のことがあったらどう責任をとってくれるのですかと。前回はこのように長引くこともなく、ましてや姫様が立ち上がれない程に痛めつけられることもなかったので少し安心したのですが、ただの偶然だったみたいですね」
「う、いや……これは」
詰め寄るマリアンナとじりじりと後ろに退いていくドルクルーン。もちろんわたしはマリアンナの味方だ。
いいぞいいぞ、もっと言ってやれー。
「元騎士団長様は剣の事ばかりで女性の体の大切さがまだよくわかっておられないみたいですね。姫様のお顔や体に傷でも残ったり、子を産めなくなったりした場合は貰いてがいなくなる可能性だってあるのですよ。それとも何ですか、その時はドルクルーン様が責任を持って夫になってくれるのですか。王様や妃様や若様に婚姻のお申込みができるのですか?」
「い、いや……」
あ、あれ、何だかおかしな話になってないかな?
ドルクルーンは困ったようにただ狼狽えていた。それもそうだ、立場的にドルクルーンがこの二択を答えられるわけがない。了承すると、二十以上も離れているわたしを娶ることになるし、断ると傷物にしたあげく王族を拒絶することになる。この場での言葉だけだとしてもそう軽々しく答えられるものではない。
それを平気で叩き付けるマリアンナはやっぱり怒らせたくないと思う。
「はっきりと仰ってください。姫様との婚姻のお申込みをするのですか、しないのですか」
「う、い、いやそれは……」
「そんなのわたしが嫌だよ!」
答えられないドルクルーンの代わりにはっきりとわたしが答える。
ドルクルーンを助ける為ではなくわたしの為だ。ドルクルーンと結婚なんて絶対に嫌だ。起きた時もご飯食べてる時も寝る前にも小言を言われそうだし、一日の予定が稽古付けになっちゃいそうで、想像しただけでも憂鬱になる。
わたしは全力で否定をする。もちろん考えていたことをそのまま言ったら怒られそうなので優しく、そして短い言葉で否定をする。
「ドルクルーンと結婚なんてしちゃったらわたしはリュドの変木みたいになっちゃうよ!」
「まぁまぁ!」
わたしの言葉にマリアンナは目を大きくして微笑み、ドルクルーンは苦い顔をする。
リュドの変木は、小さい頃お母様が読んでくれた物語りに出てきた木だ。有名な旅人が自身の旅を書いたもので、ある山間の地の渓流に流れるリュドの木はぐるぐる同じとこを回るらしい。
全てがそうではなくて、回っているリュドの木はその身をどんどん水に削られ次第に細々として沈んでいってしまう。
ドルクルーンと結婚なんてしたら、小言、稽古、小言、稽古の繰り返しでわたしはその変木のようにどんどん元気をなくすと思う。
「姫様……、いや、なんでもないです」
何かを言いかけたドルクルーンだけど苦い顔をしたまま途中で止める。
わたしにはわからないけど、マリアンナはドルクルーンが言いかけたことがわかったみたいで、「よかったですね」とドルクルーンに冷たい笑みを見せていた。
「さぁ姫様、稽古の時間はおしまいです。取り敢えずその傷を治してしまいましょう。その後はお召し物を変えないと、そのままではウィルトース様のお迎えに行けませんよ」
マリアンナの言葉にわたしは勢いよく立ち上がる。
もうそんな時間!
わたしはマリアンナのところまで行き、はやくはやくと急かす。
「わかりましたから、はい動かないでください」
マリアンナがわたしの打ち身のあるところに手のひらをかざす。薄く柔らかい光が手から溢れ、翳されているところが暖かくなっていく。その状態から少したつと酷かった打ち身が消えていた。
さっきまで感じていた痛みが無くなっている。
わたしは早く行きたいという気持ちを抑え、そわそわしながらマリアンナに確認をとる。
「もう動いていい」
「大丈夫ですよ。って姫様走っては駄目です! もうっ、私から離れないでください、って聞いてますか姫様、ちょっと待って、止まってください!」
後ろから聞こえるマリアンナの声を無視してわたしは走る。
部屋についた後息をきらしたマリアンナに着替え中ずっと怒られたことは言うまでもない。
「おーにーいーさーまー!」
着替えが終わり、門まで迎えに行く途中でお兄様を見つける。隣や背後に兵士がいるが関係なくわたしはお兄様まで走る。後ろでマリアンナからの冷たい視線を感じるがわたしには関係ない。わたしのことではないはず。お兄様を見つけて走らないでいられるはずがない。
お兄様はわたしに気が付くと優しく笑い、わたしを受け止めようと両手を広げて少し背を低くしてくれた。
そしてわたしは迷いなくお兄様の腕の中へと入り──こまなかった。
お兄様が低くなったことで見つけた男の人のもとへとわたしの体は行先を変える。お兄様の広げられた手を邪魔だとばかりに潜り抜け、その男の人、レオナードへと抱き着いた。
「レオナードお帰りなさい!」
なぜか静かになったこの場にわたしの声だけが大きく響いた。
そして背中に感じていたマリアンナの冷たかった視線が、今度は刺すような視線になったのは気のせいだと思う。うん、絶対気のせいだ。
「クオン様、ただいま戻りました。それと嬉しいのですが、それは私ではなくウィルトース様に先にしてあげてください」
レオナードが優しく笑ってくれた。それだけで嬉しくて離れたくないが、レオナードの言葉でお兄様の事を思い出す。
レオナードから離れ、お兄様に同じように抱き着いた。
「お帰りなさいお兄様」
「ああ、ただいまクオン」
わたしの頭を撫でてくれるお兄様だけど、その顔はわたしの方へとは向いていなかった。
「クオン、危ないから走るのはやめなさい。こけて怪我でもしたらと心配するし、マリアンナをあまり困らせたら駄目だよ」
「はぁい」
「そんな、ウィルトース様、お心遣いありがとうございます」
マリアンナを見るけどあの視線が嘘のように消えていた。少し顔を赤くしてお兄様を見ている。
そんなマリアンナにお兄様は優しく笑いかけた。それだけでマリアンナの顔はさっきよりも赤くなって、それをとっさに頭を下げることで周りに見られないようにしていた。
でも、わたしからは普通に見えるんだけどね。お兄様はかっこいいからマリアンナの気持ちは凄くわかる。顔よし性格よし、剣の腕もよし、そしてこの国で一番偉い立場の王族だもん。欠点を探す方が難しい。もちろんわたしのお兄様に欠点なんてないけどね!
「ではマリアンナ、クオンのことを頼みます。クオン、確かこれから、礼儀作法の稽古だろう。ちゃんとマリアンナの言う事を聞いて、真面目に稽古するんだよ」
「わかりました、お兄様」
わたしに視線を合わせてくれたお兄様にわたしはゆっくり丁寧な言葉で返す。
その返事に満足したのかお兄様はわたしの頭を優しく撫でたあと立ち上がって後ろにいる兵士たちの方へ振り返った。
「父上への報告は私だけでいい。あとの皆は解散してくれ」
「私はついて行かなくてもいいのですか」
「……私だけで大丈夫だ。レオナード、自由にしろ」
「そうですか、わかりました。では私は街にでも行きましょうかね」
「あっ、じゃあわたしもレオナードと街に行く!」
レオナードの言葉にわたしは頭を通さずにそのまま声に出してしまった。
自分が言った言葉を頭で理解する前にお兄様が厳しい表情で振り返り、後ろのマリアンナはわたしの腕を握った。もちろんマリアンナの目はドルクルーンに向けられたような冷たいものに変わっていた。
背中を嫌な汗が流れるけど、もう言ってしまった言葉は無かったことにできない。
「クオン、さっき私が言った言葉を忘れたのかい? これからクオンがすることは礼儀作法の稽古だろう」
「姫様、早く参りましょう。今日は特別に礼儀作法と並行して考えて話す、一日の予定を覚える、自制心を鍛えるということをお教えいたしましょう」
「……はい」
二人の言葉にわたしはしょんぼりとうなだれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます