第37話ダッホー狂気の収容所
ミュンヘンの北にダッホーエルシュトラーセ
(ダッホー街道)というのがあって、
ダッホーて何?なにがあるの?ときくと。
とにかく行ってみろとユースの住人がいうので
オサムとオオツキは行ってみることにした。
ああ、近づくとすぐに分かった。ユダヤ人収容所。
ヒムラーが最初に作った思想汎用の収容所。後年
大量虐殺ホロコーストになるのだが、ポーランドのアウシュビッツ
と並ぶ規模でずいぶん大きい。大規模なパネル展示
と大部分の施設が当時のまま残されている。悲惨だ。
入り口に次のように書いてあった。
『歴史的反省の上に立ち過ちは二度と繰り返しませんから』
確か広島の原爆の碑にも同じ言葉が記されていたと思う。
あやまち、歴史的究極の過ち。20世紀は戦争と殺戮の
世紀だった。人類の幸福を追求すべき科学技術の進歩が
大量無差別殺戮兵器を作り出して、実際に使用された。
中世の合戦とか日清戦争まではまだ軍人と軍人との戦いだった。
日露戦争ごろから急に死者が増え始め、第一次世界大戦で
さらに死者の数は倍増。第二次世界大戦では空爆の激化とともに
桁違いでしかも軍人以外の民間の死者が無差別に激増。
原爆、二度までも一瞬にして10数万人の命を奪った兵器。
悪魔の産物。一体何のための科学だったのか?かたや、
ヒットラーの登場による狂気のユダヤ人大量虐殺。システム化
された大量殺人。つい60年前のことだ。
百万とも二百万とも言われている。現実にこの出来事はあった。
何故そうなったのだ?流れは暴走し始めるともう止まらない。
歴史が繰り返し示唆しているのに不可能なのだろうか?
この世界から絶対悪の戦争をなくすなんて事は?
ダッホーの村はとても商売をするようなところではなかった。
大槻は憧れのカルマンギアを買ってオサムたちの
バンについてきた。バイロイトに向かう。
ワーグナーの音楽祭で有名なこの町の唯一の地下道
はほんとによく売れた。町の人もとても好意的で、
ポリスもフリー。とうとう新聞社がやってきて
写真取り。日本の芸術家の卵来る。すばらしき
ワイヤーワークという見出しだった。新聞に載る
のはこれで二回目だ。
ウルムという町で夜遅く着いて教会の前、ここの
教会はやたら天高くそびえていて、ちょうどいい、
寝袋に包まって車中泊。夜明けとともにひとのざわ
めき、なんと朝市のど真ん中に車を止めていたのだ。
ローテンベルクからフッセンのお城までを
”ロマンチック街道”という。なだらかな丘陵が続く
南ドイツの田園地帯だ。観光バスが結構走っている。
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