第35話ハイデルベルクのお城の中で
ハイデルベルクはこじんまりとした美しい
森と川とに囲まれたすばらしい学園都市だ。
ユースから川を渡り大学内の学生監獄を見る。
理論闘争のきわみ、つるし上げられた学生が
ここに軟禁された。学生達の格調高い落書き
が四方の壁にびっしりと書かれている。
さしずめ欧州全共闘のアジトみたいだ。
お城の道を登る。城の入り口。狭いところに
3人のヒッピーが広げていた。どの作品も今
ひとつだ。ケッテを出せば売れるのにと思いつ
つ場所もなさそうなのでそのまま城内に入る。
ハイデルベルクのお城の見晴らし場の広い
スペース。町並みが全貌できる。観光客で一杯。
「あ、ここいいじゃん」
すぐに広げた。すると突然。
「ナイン。ニッヒト、ベック!」(あかん、帰れ!)
と怖い感じでドイツ人が声をかけてきた。見ると
先ほど入り口にいたヒッピーだ。ずっと我々を
つけてきたらしい。雰囲気で分かるのだ。
「アッソウ!」(ああそう)
といってすぐにしまった。彼はいろいろと情報を
教えてくれた。ヒッピーにも礼儀がある。ここは
国宝級のお城なので城内での販売行為はまかり
ならん、とのことのようだ。なるほど、姫路城の
中でやるようなものか。すいませんでした。
どのお城にもこのような見晴らし広場がある。
下は石畳でいろいろなイベントがこの広場で繰り
広げられたのであろう。不思議なことに欧州で
中世の時は日本でも中世で、ほぼ同時期に同じ
ようなことが世界で進行しているということは
誠に不思議極まりない。何か目には見えないが
我々も含めて宇宙には何か生命の法則というか
宇宙の意思というか、そんなものが厳然と存在
しているような気がしてならない。日常性の中
に埋没していると考え付く暇もないが、大自然
の何かに触れた時や、すごく孤独を感じたとき
などには必ずこの疑問が命の奥底から湧きあが
ってくる。オレって一体何なんだ?
中世のお城のこの石畳見晴らし広場にたたずんで
いると、いろいろな思いがよみがえる。
宗教改革もそうだ。マルチンルターは叫んだ。
「免罪符なんておかしい。それじゃあ金持ちしか天国
へは行かれない。修行せずしてお金で免罪できるなんて
絶対おかしい。本来の信仰に戻るべきだ」
先んずること300年。日本でも日蓮大聖人
という人が叫んだ。
「釈尊の教えとはひとつのはずだ。何故こんなに宗派が
別れているのだ?法華経にもどれ。南無妙法蓮華経!」
どちらとも坊主や聖職者は要らない民衆と直結すべきだ
といってるように思える。とにかく不思議なことに、
同じようなことが同じ頃に世界各地で起こる。
そして時の権力者とそれとくっついた既製の旧教団とに
大弾圧を受けるのだ。その繰り返しの中で、いまや当初
の改革エネルギーは完全に喪失してしまった。だから、
いまだに世界の各地で戦争や殺し合いの紛争が耐えない。
何一つ変わっていないのだ。誰かがどこかでこの負の
連鎖を断ち切らなければ21世紀、人類は生き残れない。
ハイデルベルク城の見晴台は居心地がいい。ネッカー川
が真下に見える。その向こうの丘の麓に小道が見える。
哲学の小径というそうだ。こんもりとしていて人影も少
なくかってゲーテも思索した。”若きウェルテルの悩み”
そしてこの頃からあの”ファウスト”の原型は彼の脳裏に
思索の中に生まれ出ていたのではないだろうか。
夕暮れのハイデルベルク、ものすごく哲学的な、
宗教的なゲーテの城であった。
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