第23話デュッセルでの再会

どうしよう、どうしよう。彼女を部屋に上げたら

何が起こるかわからない。その気がないといえば嘘になるし。

とにかく寝不足でボーッとしてて、明日マメタンが来るし。


昨夜のポリスは強烈だったし。これほどタイミングが悪いと

何がなんだか分からなくなってくる。それでも時は止められない。

彼女と腕を組んで歩いてはいたがオサムはひたすらブスッとしていた。


とうとうアパートについてしまった。エレベータが下りてくる。

オサムは半分眠ったフリをしていたが、彼女はキョロキョロ、

何もかもがものめずらしいのだ。エレベータの扉が開いて


狭い廊下をわずかに歩くと突き当たりがもうオサムの部屋だ。

いざ、オサムの部屋の戸を開ける。彼女は肩越しに興味津々

少女のようなその瞳に思わず吹き出しそうになった。


「オー ビューティフル!」

何がビューティフルだ。そこにはソファーとテーブルがある

だけじゃないか。右てに台所が見える。扉があってトイレット

とシャワーの絵。ソファーの左手の寝室はドアがなくて丸見えだ。


椅子と机があって作りかけのケッテが並んでいる。

「こうやって作るんだァ!すごーい!あなたも仲間なのね」

そんな感じを彼女はオーバーアクションでやる。


「そうそう、イエスイエス」

と言いつつ、どうしたものかと思いながらほんとに困った。

明日この部屋にマメタンが来る、しかもずっと留まる可能性が高い。


それは実際に本当なのだと思うとほんとに疲れた。オサムはソファー

で眠りかけた。と、その時。あちこち見回っていた彼女が隣に座った。

にじり寄ってきながら彼女はテーブルの上に置いてある茶色の土の塊を


手にする。ずっしりと重いその塊は、前にアルトのディスコで10

マルクで買った、わずかにその香りのするハッシシのまがい物だった。

「それ、ハッシシ」


「うそ」

「ほんと」


「これは壁土粘土でハッシシじゃないわ」

「すこしかおりがするよ」


「うそよこれ」


彼女は今までのあどけなさは消えうせて突然むきになって怒り出した。

「絶対これは偽物よ。あなたはだまされたのよ」


日本人的な繊細さはどこへやら、半分ハーフのアラブのかたくなさが

むき出しになってすっかりしらけてしまった。


「ああそうかそうか。俺はだまされたんだ。こんなの吸い過ぎて体を

壊さなくてよかった。君のおかげだありがとう。さあ仕事だ帰ろうか」

オサムはなんだかほっとして彼女をユースへ送った。


その夜はもう何も考えずにぐっすりと眠った。


朝だ、今日マメタンが来る。ほんとに来るのだ。

『俺の人生も決まったようなものだ』

オサムはそう思った。まだ心の整理がつかない。


昨日の黒髪よりも、おとといのポリスのほうが

強烈だった。空中に乱れ飛ぶケッテ、もみあう人ごみ、

叫び声、すごい緊迫感。オサムはやると決めはしたが


はたしてポリスに一度も捕まることなく無事やり通せ

るだろうか?大きな不安が心を覆っていた。


「俺のフィアンセが来る。しばらく一緒に暮らす。

それから二人で旅に出る」

と金都の皆に報告した。後釜はユースですぐに見つ


かるから皆フィアンセ大歓迎だった。小さい小姑娘、

クライネショウクーニャンだねとママも喜んでくれた。

そしてとうとうその時はきた。


定刻4時きっかりにマメタンは現れた。背中にでっかい

リュックを背負って、両手を挙げて改札口から出てきた。

オサムはいつものトレスコにパンタロン。手すりに片肘か


けてサングラス。とてもきざだがここは外国ヨーロッパ。

片手を挙げて、

「はーい!」


映画だったらここでひしと抱き合い、あいたかったと涙で

くれる場面だろうが、オサムは彼女の挙げた両手の右手だけ

をパタと叩いて、


「ついに来たか、ごくろうさん」


と言った。何かつっけんどんな感じだ。まだ心の準備ができ

ていないのだ。今はカリスマでもなんでもない。不安一杯の

針金師のひよっこだ。まだ一度も売ったこともない。自信も


確信もない。見れば背中に大きな”不安”の二文字がくっき

りと見えたかもしれない。サングラスをはずすと目の周りに

くまができている。疲れきっていたのだ。


「まあ、ゆっくり話すから」


彼女のリュックを担いでとにかく部屋へ。居間から寝室へ、

壁一杯のケッテ。


「ええっ、すごいじゃない!」


さすが、彼女も驚きの声をあげた。


「ところが大変なんだよ」


重いリュックをベッドの上におきながら、オサムは大きく息を吸った。


「おととい俺の目の前で皆ポリスに捕まった。日本人の縁日

と石松という人二人はうまく逃げたが、とにかくすごかった」


オサムは作業机の椅子に座り腕をかけ、ベッドに腰掛けている

マメタンの瞳をじっと見つめた。


「一晩で十万円も夢ではないと思うけど」


疲れた目でじっと見る。少しこえたかはちきれんばかりだ。


「一晩で十万円?」

「ああ、一晩で十万円」


彼女がいぶかしげに見つめ返す。


「ただし、一度つかまると罰金か刑務所行き。最悪の場合は

国外退去だそうだ」


オサムはタバコに火をつけた。


「現に今一人、よれよれというのが刑務所に入っている」


マメタンはじっとして神妙にオサムの話を聞いている。


「もっか、針金をやっている日本人はこの三人しかいない。

絶対秘密にしておこうということで俺が特別に今四人目に

なりかけている・・・・」


「・・・・・・・・」


「今週末に初めて売りに出るつもりだけど、君にも覚悟がいる。

とにかく一度売ってみたい。さっそくでなんだけど、

製作を手伝ってくれまいか?」


ねぎらいの言葉も優しい一言もなく、今後の厳しい見通しを

ただ淡々と述べるオサムの不安が伝染したのかマメタンは

視線をずらしてうつむいた。


「ま、ゆっくり休んで考えてて、俺店行くから」


オサムはタバコの火を消して立ち上がった。出掛けに足が

テーブルに当たって上の置物がガタンと倒れた。それはそう、

あのハッシシまがいの壁土の塊だった。

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