第8話アウトバーンで事故る

ユースの仕事はいわゆる皿洗いと雑役。つまりトイレ等の掃除、

ベッドメイキング、ジャガイモの皮むき等等。

かなり大きなユースなのでバイトが10数人いた。


そのうち日本人が4人。まだ来たばかりの画家のおじさん、

19才の留学生と長髪のギターリスト。

ギターリストが一番古株でその友人が今帰国中とのことだった。


ユースではとにかく盗難が多かった。

着いたばかりの日本人やカナダ人が狙われた。

あまりに頻繁に盗難事件が続くので皆で工夫して、


大きな張り紙を各所に貼り付け、

夜手分けして駐車場の見張りをした。


そうしたある晩、オサムは仲のいい黒人の留学生と二人で

車の中に隠れて見張りをしていると、ついに現れた。

カナダ人のツーリストナンバーのバンに人がいる。


ガサゴソガサゴソ間違いない。半ドアでダッシュボードをあさっている。

どうしよう?掴まえられるか。反撃されたら怖いな。

黒人学生がオサムの耳元で、


「アイハヴァアナイデア」(ええ考えがある)

「カムウィズミー」(ついて来い)

そっとこちらの車のドアを開け彼の後に着いていった。


彼は大柄だ。何かあったらすぐに逃げよう。

彼はバンの後方ではなく運転手側前方にそっと回った。

「ヘイユウ!」(てめえ!)


突然大きな声でフロントガラスに大型ライトをかざした。

キョを突かれた間抜けな顔。口を半開きにして、

目がまん丸。ほんとにびっくりしたんだろうな。


「アイノウユウ!」(お前知ってるぞ!)

再び大声。我に返って彼は大慌てで後方に逃げ去った。

黒人学生の大声が後を追う。


「ネヴァービバック!」(二度と来るな!)

それから急激に盗難が減ったのはいうまでもない。

見たことあるような口ひげのアラブ系の顔だった。


今でも時々思い出す。


生活も少し落着いてきて日本に電話を入れた。

広島の義兄の実家とくるみと勝秀に連絡した。その結果。

300ドルを持ってくるみがウィーンに来ることになった。


9月下旬だ。3週間のバイトも終わり、その日に合わせて、

修理した車に画家のおじさんに浮世絵のペインティングを

してもらい、そのおじさんと一緒にウィーンへ下ることになった。


出発の日、ユースの前で皆が見送ってくれた。

黒人学生とは「ヘイユウ!」と言っては大笑いをした。

マメタンには「必ずお金は返します」とみんなの前で誓った。


さよならまた帰ってくる。

快適なドライブで一路ハンブルグへと向かった。


ハンブルグは大きな港町。英語読みでハンバーグ。

そこのステーキはそうハンバーグステーキ?


ユースは町の中央、盛り場レーパーバーンのすぐ近くにあった。

欧州にはほとんどの国に公娼がいまでも健在だ。


画家のおじさんは金持ちだったので、

行こう行こうと誘われて一応一緒にのぞいてみたが

オサムは先に帰った。後で聞くと、


ぼったくられてバカにされて散々だったと、

画家のおじさんは目に涙して怒っていた。

やっぱり行かなくてほんとうによかった。


アウトバーンは快適だ。ハノーバー、ケルンとこのあたりは

車も多く工場地帯だ。ニーダーザクセンと言う。

ふと見るとホンダのN360が走っている。


アウトバーンでは日本の軽は無理だと思うが・・・?。

ハンドルを持ったおじさんの顔は真っ青だった。

よほどの日本ファンなのだろうな。


フランクフルト、ハイデルベルグ、シュトッツガルト、

アウグスブルグと下り、快適な全線無料スピード制限なしの

アウトバーンとユースホステルの旅。


と思いきや。アウグスブルグを過ぎてミュンヘンまで

あと20キロというところで、曇天の夕方、


緩やかな右カーブの下り坂、ゴトゴトという音と共に、

いきなり車体が大きく傾き右手に火花が見えた。


グリーンベルトにぶつかる寸前に急ハンドル、

車体は左に傾いて横転。オサムは助手席のおじさんの下敷きになった。

待つこと1,2秒。”俺は死んじまっただ”の歌が聞こえる。


とにかく一呼吸おいて、・・・助かったみたいだ。

「重いよ、おじさん外に出て!」


やっとの思いで上向きになった助手席のドアを開けて、

外ににじり出てみてびっくり。車はうまく路肩に横転。

向こうの方から男の人がタイヤを1本ころころと押してくる。


なんと右後部車輪がはずれ、車軸が路面とこすれて

火花を飛ばし、横転したらしい。


ドイツの人々は事故のときにすこぶる手際が良い。

発炎筒、事故表示板、パトカー連絡と速やかに

みんなしてさっさと処理をする。


このときもVWポルシェのハイウェイパトカーがすぐに来て、

皆でわっしょいわっしょいと車を起こしてくれた。

ど派手なヤーパンポップワーゲンでツーリストナンバーだ。


ハンドルが少しゆがみこの胸は痛むが何とか車は動きそうだ。

次のインター出口から修理工場までパトカーが先導してくれた。

ダンケ、ダンケ、フィーレンダンク(おおきに、おおきに)


ドイツの皆様方にあちこちでお礼を言いながら、

シュタルクヤパーナー(強き日本人)と胸を張り、

痛みを抑えて車を運転し続けた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る