第29話

「順を追って説明して。苦しんでいるってどういうことよ」

 開口一番にヒルダはそう言った。

「ごめん。つい先走っちゃた」

 一呼吸するアリーゼ。

「あくまでわたしの推測なんだけど、雷神竜は現れてからずっと街のほうには来ていない。もし攻撃する意図があるなら最初から街を狙っていたはず」

「言われてみれば……」

 ヒルダはここに来るまでの景色を思い出す。街はアリーゼの言ったとおりで、神山も落雷の痕跡こそあったものの、動物たちが被害を受けているように光景は見受けられなかった。

「そこでわたしはもう一度、今までの様子を考え直してみたの。あの竜は現れてずっと鳴きながら上空でうねるように動きをしていた。それってなにかに抵抗しているように見えない? そのなにかが苦しくてずっと鳴いているんじゃないかって、そう思ったの」

「『鳴いている』じゃなくて『泣いている』か」

 その考えのもとで改めて聞く雷神竜の鳴き声はとても悲痛なものに思えた。

「その考えでいくとして、なにか手立てはあるの?」

「ヒルダちゃんも知ってるよね? わたしの先祖のロイエスさんがこの神山で精霊王から力を授かったって話」

「……アリーゼ、貴方まさか」

 こくりとアリーゼ。

「今のわたしが認めてもらえるかは分からないけど、雷神竜を救うにはこれしかない」

 ロイエスは授かった力で様々の種族と人類の問題を解決してきた。その力と同じものを少し間だけでも使うことができるのなら、まだ可能性は残されている。

「逸話の再現ってわけね。分かったわ。なら貴方はもっと先を目指しなさい」

「ヒルダちゃんは来ないの?」

「私はここで万が一勇者が来たときに足止めしておくわ。時間的にもそろそろ駆け付けてきてもおかしくないし。まあ彼らの邪魔をするのはちょっと気が咎めるけど」

 勇者が本格的に集まってくれば間違いなく雷神竜を倒すために行動するだろう。勇者を目指す者が勇者の邪魔をするのは相反した行動だ。

「ごめんね」

「なんで貴方が謝るのよ。救うって決めたんでしょ。だったらそれを貫きなさい。それに私にだって勇者として譲れない矜持があるの。それに準ずるまでよ」

 ふっと笑いかけるヒルダ。

「さあ行きなさい」

「うん!」

 鼓舞されたようにアリーゼはさらに上を目指して先を目指して進み出す。

「アリーゼ、貴方は私をかっこいいと言ってくれてたけど、今の貴方のほうがずっとかっこいいじゃない。……悔しいけど」

 少女の少しばかりの悔しさが混じった独白は落雷の音にかき消され、誰にも聞こえることはなかった。


 まるで神域に入ったかのようだった。あれだけ絶えず聞こえていた落雷も竜の鳴き声もここには届かない。空さえも暗雲はなく澄み渡った青空がそこにある。見えないなにかに守られ世界から隔絶されている――そんな印象を受ける場所だ。

「この辺……なのかな」

 雰囲気が変わったのをアリーゼも感じ取っていて、周囲を探るように見回す。ロイエスが神山のどこで精霊王から力を授かったのか、詳しい場所までは残っていない。文献として残っているのは、山頂付近の精霊たちを象った像が祀られている場所。それだけだ。過去に何度か調査団が入って調べたが発見には至っていない。それだけにアリーゼの今していることはある種の賭けでもあった。

「早く見つけないと」

 賭けでもなんでもいい。可能性があるのなら全て試したい。

 雷神竜を助けたい。

 みんなを助けたい。

「お願い……」

 祈るような呟き。

――風が吹く。

 そのとき、唐突にそれは現れた。まるで今まで霧がかかっていて見つけられなかったように。

「本当に、あった」

 なんの前触れのない発見にアリーゼはしばし面食らう。何度も調査団が入っても見つけられなかったこともあり、その驚きはひとしおだった。

 驚いたのも束の間。この機会を無駄にはしまいと、アリーゼは一つ深呼吸をして歩み寄る。

 大小様々な像。文献には古代の人々が精霊たちへの感謝を表したとして作った――とある。見た目からもかなり古くからあるように感じるが、それでいて決して劣化や破損がない。まるでここだけが時間が止まったようだった。

 像に見られているような気分でアリーゼは進む。無数にある像の中で一際存在感を放つ大きめ像。精霊たちを束ねる長であるかのようにそれは中心に鎮座していた。一目見てそれが精霊王を模したものだと直感的に分かった。

 その像の前に立つ。見定められているような、そんな感覚が全身を覆う。

 なにを言うのか決まっているのに、アリーゼは言葉に詰まる。それでもなんのためにここまで来たのか、それを何度も反芻し口を開く。

「精霊王とここにいる数多の精霊たち。わたしは貴方たちにお願いがあって来ました」

 風が、止む。

「今、この神山の麓では大変なことが起きています。竜が大暴れして山を傷付けています。麓の街にもいつ被害が出てもおかしくない。その原因となっている竜もなにかに苦しんで暴れているんです。このまま事態が進めば竜は勇者たちに討伐されしまう。わたしはそんなの納得できない!」

 静寂な空間に涙の混じった少女の叫びが響く。

「今のわたしには竜を救う力も勇者たちを従わせるほどの人望もありません。……それでも、わたしは竜と街の人の両方を救うことを諦めたくない。もしこの願いを聞き入れてくれるなら――」

 そして、少女は言う。

「大それた力なんて望みません。助けも求める者を救える、そんな力を少しの間だけでいいんです。わたしに、貸してください」

 切実な願い。両手を組み祈りを捧げるようにアリーゼは強く強く願い続けた。

「――みんなを助けたいんです」

 刹那。精霊たちの像が黄金の輝きを帯びる。次々と輝きは伝播していく。そして、その輝きは精霊たちの像から伸びてアリーゼの形見の剣へと収束する。

 鞘に収まった形見の剣が強く強く輝いた。それは今までにも何度かあった輝きとは比較にならないほど強く、そして温かさがある。

「これ……」

 気付いたアリーゼは鞘から剣を引き抜く。黄金の輝きを纏う剣は不思議なことに錆が消えていた。まるで本来の姿を取り戻したかのように。

「力を、貸してくれるんだね」

 精霊たちの像、形見の剣を見て直感的にそう思う。

「絶対に救ってみせます」

 力を貸してくれた精霊たちの前で固く誓う。

 もう時間はあまり残されていない。一礼にして踵を返すとアリーゼは今も苦しんでいるであろう雷神竜のもとへと急いだ。

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