第五章

第28話

 神山を遠方に見据えることができる平地。神山の眺望がいいということで人気の場所だが、今は人の気配は一切ない。そこに男が一人立っていた。

 姿形こそ人だが、その男の放つ気配は人のそれはではなかった。今まさに男がしている所業も人の成せるものをはるかに超えていた。

「ちっ、意外と抵抗しやがるな。腐っても伝説の竜といったところか」

 露骨に舌打ちする男。彼が企てた計画は今の所上手くいっていない。

「まあでも、その抵抗も近く限界が来る。そうなれば、もう誰にも手は付けられなくなる。勇者と竜族の戦争に始まり、それはいずれ全ての種族に波及する」

 少しずつ破壊されていく神山を見ながら男は邪悪な笑みを浮かべる。

「もうすぐだ。もうすぐでオレの野望が……」

 彼の野望は成就までもう少しのところまで来ていた。だが、その成就を許されない者がいた。

「――〝降り注げ〟」

 上空より無数の炎弾が降り注いだ。それはさながら隕石のようだ。

 いち早くそれを察知した男は距離を取り始める。着弾地点を予測して安全な位置まで移動。だが、男が移動のために一瞬空から視線を外した――その瞬間。巨大な炎弾が凄まじい速度で男に迫った。

 気付いても回避できない距離まで肉薄。そのまま着弾し周囲もろとも爆発が男を襲った。

「ようやく正体を現したな」

 闖入者の黒髪の男――ゼノウは身構えてそう言った。

 爆風の中から現れた男の様子は今までと大きく変わっていた。片腕を竜化させていたのだ。隆々とした筋骨にびっしりと生える鱗はまさしく竜のそれだ。

「人間社会に潜り込んでからこの姿を他人に見せるのは久しぶりだな」

 ヘイトリッドは実に不愉快そうな顔をして言う。

「そりゃよかった。ようやくお前に一泡吹かせられた」

 ヘイトリッドと対峙するゼノウ。彼の紫の瞳は輝きを増し、手には黒刀を顕現させている。戦闘準備は万全。本気の状態だった。

「この程度で勝った気でいられても困るなぁ。オレのもとに来たところですでに事は動き出している。いまさら来たって……」

「その割にはずいぶんと焦っているように見えるが」

 あえて挑発的な口調で気を引く。図星だったヘイトリッドは露骨に不機嫌そうな顔をして、

「今まで見逃していてやったが――ちょうどいい。ここでお前をぶっ殺してあのガキの心を完全に折るとしよう」

 挑発に乗ってきたことにゼノウは密かにほくそ笑む。彼の狙いはこれだった。

(こいつを足止めしている間に頼む)

 ヘイトリッドが雷神竜を操っているのは明白だった。だからこそ、ヘイトリッドの意識を少しでも自分に向けさせてアリーゼの支援する算段だ。

「まさか雷神竜を持ち出してくると思ってなかった」

「もう老衰して使い物になるか不安だったが、腐ってもかつては名を馳せた竜だ。被害は甚大。しばらくすれば人間たちも黙っていないだろう。そうなれば戦争の始まりだ」

「そうか。だが、残念だったな。そうなる前にアリーゼがきっと止めてくれる」

 そんなゼノウの言葉をヘイトリッドは一笑に付す。

「まだそんな寝ぼけたことを言っているのか? どう足掻いたって無理だ。あのガキにロイエスほどの力はない」

「だろうな。でも俺は信じている。そして、俺に今できるのはアリーゼのためにも今ここでお前を倒すことだ」

 先手必勝。強い踏み込みで一気にヘイトリッドに肉薄する。

 黒刀は漆黒の炎を纏ってヘイトリッドに斬り掛かる。

「舐めた真似を。その程度でオレを倒せると思うなよッ!」

 竜化した片腕で黒刀をはねのける。

 全く斬り込んだ手応えがなく、黒炎もまるで意味を成していなかった。

「さすがに堅牢だな」

「そう簡単に倒されると思うなよ。次はこっちの番だ」

 言うが早いか、ヘイトリッドは全身を竜化させる。たちまち赤々とした巨躯の竜へと姿を変える。こちらが本来の姿なのだろう。そのまま飛び上がり、地表を覆い尽くさんばかりの燃え盛る業火を放つ。

「〝散れ〟」

 ヘイトリッドの放った業火に命令するが、全くといっていいほど効果はない。

「〝遮れ〟」

 ゼノウの護るように土の障壁が展開される。魔力によって強度が底上げされてそう簡単には突破されないはずだが、それでも業火に耐えきれず少しずつ熔解していく。

「くっ!」

 障壁を突破され、業火がゼノウの全身を覆い尽くす。火炙りのごとく彼の身体を燃やしていく。

「そのまま燃えかすに――」

「八天抜刀!」

 業火の海を突っ切ってゼノウが大きく飛翔する。八つの斬撃が放たれる。鱗の堅牢さを貫き始めてダメージを与える。飛行体勢が不安定にたまらず地に降りる。ゼノウも膝をついた。

「分からん」

 不服そうにヘイトリッドは問う。

「どうしてそこまでの力を持っていながら人間なんぞに拘る? あのガキとて仮に強くなったとしても人間の強さなど底が知れている」

「そうだな。確かに実力だけでいえばアリーゼはまだまだだ。だが、今いるどんな勇者さえも持っていない唯一無二のものがあいつにはある。だから俺はあいつを信じたいと思った。夢を託した」

 無理やりに立ち上がる。勇者にはなれないけれど、その志はゼノウだって消えていない。それが彼の闘志に火を付ける。

「あいつのためにも、俺が先に諦めるわけにはいかないんだよっ!」

「ふん。大悪魔の息子も落ちたものだな。人間に肩入れするなんて」

「変わった、と言ってほしいね」

 そう。あの日、ゼノウは変わったのだ。ロイエスと出会って。

「ほざけ。そこまで拘るというのなら、なおのこと早く貴様の亡骸を持っていくとしよう」

 ヘイトリッドが構えを取る。おそらく大技を放つつもりなのだろう。

(アリーゼ、頼むぞ。俺が時間を稼いでいる間に――)

 ここから届くわけもない願いをそれでもゼノウは思う。彼女ならば必ず成し遂げてくれると信じて。

 数刻後。二人の豪傑による凄まじいぶつかり合いが平地に響いた。

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