第27話

 神山に入って数時間。落雷の爪痕は至る所にあった。自然が蹂躙されている光景はアリーゼは心を痛くする。

「ひどい……」

 木々が割れ、大地が抉られている、そんな見るに堪えない光景。

 頭上には今もなお暗雲が立ち込めている。街のほうはまだ無事だが、いつこうなってもおかしくない。

 凄惨たる有様を見たアリーゼは焦燥感にも似た思いで先を急ぐ。

 ここまで来る道中で雷神竜が現れた理由について何度も頭を悩ませたが、明確な結論は出せていなかった。

「もっと近くまで行かないと」

 思い当たらない以上、危険を承知で可能な限り近付いて様子から推察するほかない。経験が不足している自分がいったいどれだけの可能性を思い付けるか不安だが、できることは全て試す意気込みだ。

 そのとき激しい雷光が暗雲の中からほとばしる。轟音を伴い落雷した。

 よほど近くで落雷したのか、地震かと思う振動がアリーゼを襲い、つい体勢を崩してしまう。その直後、周囲の木々の一本が不意に揺れた。そのまま運悪くアリーゼのほうに倒れてきてしまう。それが落雷で破壊されたせいだと瞬時に悟った。

「しま――」

 気付いたときには遅かった。体勢的に魔法を発動するまでに先に倒木がアリーゼを下敷きにするだろう。

「火炎の鞭(フレイムウィップ)」

 突如飛来した鞭状の火炎が倒木を吹き飛ばす。ほどなくしてよく見慣れた少女――ヒルダが駆け寄ってきた。

「やっと追い付いた。貴方って意外と健脚なのね」

 少し息を切らした様子のヒルダ。このなにが起こるか予測不可能の山中を必死に追ってきたのだろう。

「ヒルダちゃん、どうしてここに?」

 思わぬ救世主に驚きながらアリーゼは尋ねる。

「訊きたいのはこっちのほうなんだけど……まあいいわ。貴方のことが心配で追ってきた。他の参加者たちは協力して街の人の避難を始めている。みんな、貴方を見て心を動かされたのよ」

「私を……?」

 そんなことになっていたとは微塵も思っていなかったアリーゼは目をぱちくりさせる。

「そう。だから訊きたい。アリーゼ、貴方のやりたいことを私に教えて」

 雷鳴が轟く中でヒルダは一心にアリーゼを見つめる。

「……ヒルダちゃんは無謀だっていうかもしれないけど、それでもいい?」

「貴方の突拍子もない考えは今に始まったことじゃないでしょ」

 笑ったように表情を柔らかくするヒルダを見て、アリーゼは自分の中で張り詰めていたものが少しだけ緩まるのを感じた。

「わたし、あの竜を助けたい」

「……さすがの私もそれは予想できなかったわ。真っ先に止めたいところだけど、貴方のことがだからなにか策があるんでしょうね」

 驚きつつも、止めることはせず先を促す。

「ゼノウさんが言ってたの。どうして襲ってきたのか、原因を見極めろって」

 またどこで落雷する。頻度は時間が経過するほど増加している。

「原因ねぇ……。まあ確かに本来こんな場所にいるはずでない存在だから、なにかしら原因があるかもしれないわね。でも、そんなのどうやって見極めるのよ」

「ここからまだよく見えないし、近付いて原因を探りたいと思ってる。それにあの様子だと可能性は低いけど、竜族ならもしかしたら対話もできるかもしれない」

 本音を言うと、今のアリーゼの言葉を聞いてヒルダは止めたいと思った。明らかに度が過ぎているし、仮に近付けたところで対話は難しいと思っていた。いくら竜族が人語を理解できるとはいえ、暴走状態ではそれでどころではないだろう。

 それはアリーゼだって分かっているはずだ。それなのに彼女からは一切迷いが感じられなかった。代わりに伝わってくるのは、必ず助けるという強い意志。それに根負けしたようにヒルダは息を吐いた。

「分かったわ。貴方に協力する。私はなにをすればいいのかしら?」

「と、止めたいんだね、ヒルダちゃん」

 言いたいことを全て出して止められると思っていたのか、今度はアリーゼが少しだけ驚く。

「あら、止めてほしいの? 本音をいえばもちろん止めたいわ。でも、以前に貴方はそんな突拍子もない作戦で私を救ってくれた。だから今度は私が貴方を助ける番。それに勇者を志す者として救える命があるなら助けたいしね」

「ヒルダちゃん……」

「さあ、ぐずぐずしている暇はないわよ。行きましょう」

 その一言に背中を押されたようだった。自分ではやると決めたこととはいえ、ここまでの道中やはり一人では心細かった。憧れの人物の一人であるヒルダが手を貸してくれるというのは精神面で大きな支えとなった。

 二人は同時に空を見上げる。あの竜を間近で見るためには少なくとも神山の中腹までは進まないといけないだろう。

 そして、近付けば近付くほど落雷は激しさを増すはずだ。二人はよりいっそうの警戒をして中腹を目指して歩みを始めた。


 時間的には夜明けに近付きつつあるが、未だ上空に分厚い暗雲がのしかかっていた。

 中腹まで来るとそこには荒野を彷彿とさせる光景が広がっていた。落雷の影響で破壊された木々が炎上している。それだけでなく崖崩れも起きていた。ついさきほどの道中でも落雷が直撃して崩れた崖に飲まれそうになったのだ。強風も吹き荒れていて死地といっても過言ではない有様だ。

「見るも無残ね」

 思わずといった様子で呟くヒルダ。アリーゼも下とは比べ物にならない光景に心を痛めていた。だが、今はそんな感傷に浸っている時間はなかった。

 空気を切り裂くように激しい鳴き声が木霊する。今までよりもかなり近い距離だ。二人に巨大な影を落とした主は上空にいた。

 見上げなくても分かった。それは痛いくらいに気配を放ち、肌をぴりぴりと刺すような感覚をもたらす。

 神々しく輝く鱗を持つ竜――雷神竜が中腹まで来た二人の前に姿を現した。

「これが雷神竜……」

 思わず尻込みしそうになるほどの威圧感。対面しただけで戦意を喪失しそうになる。それでもアリーゼは気後れすることなく一歩前に出る。

(頼むわよ、アリーゼ)

 そんなアリーゼの少し後方でヒルダは様子を窺う。もちろん有事の際の備えは忘れない。

「わたしはあなたと話をしたくてここまで来ました。どうして暴れているのか、なんでこんなことになっているのか、わたしはそれを知りたい。貴方を助けたい。だから、もし貴方を苦しめているものがあるならわたしに教えてくださいっ!」

 熱が入ってさらに一歩踏み出す。アリーゼは真っ直ぐに雷神竜を見つめている。

 強風と落雷が渦巻く中腹で両者が時が止まったように見つめ合った。その傍らでヒルダは固唾を呑んで見守っていた。

『キュアアアアアアアアッ!』

 突如として雷神竜が鳴き声を上げる。その鳴き声に呼応するようにバシン! バシン! と落雷が頻発する。強風もその強さを増していく。

「ダメよ! アリーゼ。失敗よ。話し合える状態じゃない」

 さすがに危険と判断したヒルダが止めに入る。

「で、でもっ!」

 まだ諦めきれないアリーゼ。そんな彼女にお構いなく雷撃は止まる所を知らない。

「さすがにこれ以上は協力できない。いったん退くわよ」

 強引にアリーゼの手を引いていこうとするヒルダ。

 雷神竜は再び上空へと舞い戻る。上空に行っても雷神竜の鳴き声は絶えず聞こえてくる。ここまで離れてしまっては対話は不可能だろう。

「さあ早く――」

「待って」

 なおも渋るアリーゼにさすがのヒルダも若干の怒りを孕んで彼女を振り向く。アリーゼの気持ちはよく分かるが、今退かなければこちらの命が危ういのだ。ヒルダはなにかを言おうとして――しかし、その怒りはすぐにどこかに消えていった。

 上空の一点を見つめるアリーゼを見てはたと気付いたからだ。それはかつて二次試験で森から抜け出す方法を見つけ出したあのときによく似ていた。一点を見つめて大きく目を見開いている。

「貴方、もしかして……」

 上空でうねるように全身を動かして、絶えず鳴き続けている雷神竜を見ながらアリーゼは言った。

「貴方、もしかして――泣いているの?」

 現れてからずっと街に来ることなく神山に留まっていたこと。

 悲鳴のようにも聞こえる鳴き声。

 まるでなにかに抵抗するようなうねる動き。

 それがアリーゼにある考えをもたらした。

「ねぇ、ヒルダちゃん」

「なによ」

「退くのはもうちょっとだけ待ってもらえるかな? あの竜を救えるかもしれない」

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