第四章
第25話
「ちょっと貴方、どこに行ってたのよ」
急いで宿屋に戻ってきたアリーゼをヒルダが出迎える。
「ちょっとゼノウさんを探しに歩き回ってた。今大変なことになってる」
「ええ。他の試験参加者もかなり動揺しているみたいね」
神山に出現した雷神竜のことはすでに知れ渡っているようだ。神山のほうでは断続的に落雷が発生している。こちらのほうまで広がってくるのは時間の問題だろう。
「最終試験はどうなるんだろう」
「さあ。まだ正式な通達はないわね」
「今は他の参加者たちはどうしてるの?」
「とりあえず、みんな広場に集まってるわ。どうしたらいいのか分からないって感じね」
「ヒルダちゃんは行こうと思わなかったの?」
「行こうとしたら、貴方の姿がなかったからこうして待っていたの」
さあ行きましょう、とヒルダに手を引かれてともに広場に向かった。
広場に着いて現場は沈黙に包まれていた。みな一様に重苦しい表情をしている。聞こえてくるのは地元の人が避難に向けて自主的に行動するその音だけだ。
――試験はどうなるだ?
――いったいどうなっている。
――早く逃げようよ。
そんな沈黙の中で時折聞こえる困惑と不安。試験を諦めて逃げようとする声まである。勇者を目指す者たちが直面した本物の窮地。もし雷神竜がこちらの存在に気付き、魔法を放てば一瞬にして塵と化すだろう。それを前にして尻込みしてしまうのはまだ一人前でない彼らでは仕方がないことといえるかもしれない。
「みんな怯えてるね」
「こんな緊急事態、過去を含めてもそうそうないわ」
遠雷は雷神竜の存在を誇示するかのように絶えず空気を裂くを音を轟かせる。それだけでもみなの不安感を加速させるには十分すぎるものだ。
「……わたしにできること、なにかないかな」
そんな中、ふと呟くアリーゼ。
そんな彼女を少しばかり驚いた顔で見るヒルダ。
「貴方、なにを考えるの? 気持ちは分かるけど、今回ばかりはさすがに……。前の竜の襲撃とは訳が違う。それに今は貴方の先生もいないのよ。大人しく勇者の到着を待つべきよ」
ヒルダの言っていることは至極当然だ。実力でも経験でも劣る試験参加者たちがなにをしたところで焼け石に水だ。下手に事態をかき乱すことになるくらいなら手を出さないのは懸命な判断だ。
「それは分かってる。でもさ、わたし見たんだ。ここに来るまでこの街の人の色んな姿を」
絶望に打ちひしがれる人。
困惑する人。
恐怖を前に泣き叫ぶ人。
そんな人々に声をかけ、必死に状況を打開しようと模索する人。
「きっと今、なにもせず、なにも考えず、こうして助けを待っているのは、きっとわたしだけだよ」
はっとするヒルダ。
「そして、そんな人たちを助けて、安心させるのが今のわたしたちがやるべきことなんだと思う」
そうして、アリーゼは一歩、また一歩、パニックの渦中にいる試験参加者を掻き分けて進む。
そんなアリーゼに気付いて、次第に試験参加者たちの注目が集まり始める。
「待って! 確かにアリーゼの言い分には一理ある。でも、今の私たちはまだ半人前ですらない。動くにしても勇者が到着してから指示を仰いだほうがいいはずよ」
しばらくすればこの異常事態に気付いて勇者が駆け付けてくるはずだ。それからでも遅くはない。そのほうが危険をいくらか抑えられるだろう。
「確かに今のわたしたちじゃ、きっとあの竜の足下にも及ばない。でも、危機は今、目の前に迫ってて助けなきゃいけない人たちがいる。今ここで怖じけて目を背けたらきっと勇者になっても怖じけたままだ。だから――」
そこでアリーゼは振り向く。
「立ち向かうべきなんだ。勇者を志す者として」
揺るがぬ瞳に確かな覚悟。目尻に薄らと涙。
それを最後にアリーゼは単身で荒れ狂う神山を目指して走り出した。
アリーゼがいなくなったあと、試験参加者たちは再びざわめき出す。彼女を無謀と言う者もいれば、自分もなにかできないかと言う者もいて様々だ。
「……本当に、あの子には教えてもらってばっかりね」
そんな中、ヒルダはふっと自嘲的に笑う。そうして、すっと目を鋭くして、
「貴方たち、よく聞きなさい」
よく通る声が試験参加者たちの意識を一気に引き寄せる。
「今から言うことは強制でもなんでもないし、命を惜しむなら今すぐ逃げてもらっても構わない。それでも、ほんの少しでも、かつて憧れを抱いた勇者たちの姿を覚えているのなら、この街の避難誘導に協力しましょう。それがきっと今の私たちにできる最善よ」
ぴたっとざわめきが止む。誰も即答はしない。当然だ。命を賭けるかどうかの選択をしなければならないのだから。
「……やるよ。俺だって勇者を目指してる」
一人が賛同する。しばらくあとにまた一人。そうして、伝播するように決意を固めた者が続々と現れる。みな根本は同じなのだ。
「私はアリーゼを追う。あの子一人じゃ危険だから」
試験参加者たちの想いは今一つとなった。各々が己のできる最善を模索して行動を開始する。
ヒルダもアリーゼのあとを追いかけ始めた。
神山に近付いていくにつれて落雷は激しさを増す。ぴりぴりと肌を刺す威圧感をアリーゼはひしひしと感じていた。
単身で飛び出すなどというこんな無謀ともいえる行動に出たのには理由があった。それは初めてゼノウにあって彼から言われたことだ。
「どうしてこの地域にいないはずの雷神竜が現れたのか、きっとなにか理由があるはず」
もしこのまま勇者たちが到着すれば、きっと雷神竜を討伐する動きになるはずだ。それは街の人を守るためには仕方がないだし、アリーゼもそれは理解している。だからこそ、勇者たちが到着する前に雷神竜が現れた理由、暴れている理由を突き止める必要があった。もしもこの暴走が本当の意志でないのだとしたら。
「絶対に突き止めなきゃ」
街の人の安全はもちろん、竜も救いたい――今のアリーゼの原動力はその一心だった。
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