幕間

第24話

 その日、青年の集落は騒がしかった。妙な男が青年の故郷を訪れたからだ。人間にしては体躯は大きく、腰には剣を携えている。

「俺さ、悪魔の住む集落に訪れるのは初めてなんだ」

 集落を治める長の住む家屋へと導かれた勇者の男は珍しそうに周囲を見回す。そんな男を警戒するように何人もの悪魔が取り囲む。

「お前がうわさのロイエスとかいう人間か。で、要求はなんだ?」

 陽気な男とは対照的に長――ゼノリウスの表情は険しい。少なくともこの訪問を快くは思っていないようだ。

「気が早いね。まあそういうことなら結論から話すよ。俺たちの要求はあんたらこの地から去ってくれること。それが望みだ」

「……なぜ、我々が去らねばならんのだ」

 よりいっそう険しさを増すゼノリウス。

「ここから一番近い村で子供が何者かに襲われたらしくてな。おちおち外にも出られないと困っている。んで、勇者ギルドを通して俺の所に依頼が来て、こうしてはるばるやって来たわけだ」

「我々ではない。第一、人間なんぞ眼中にない」

「まあそうだろうな。だけど、俺も依頼を受けたからには手ぶらでは帰れねぇからよ――」

 瞬間、ぴりっと空気が張り詰めた。誰もが一戦を交えることを想定し事態に備える。

 そんな緊張感の中、ロイエスは言った。

「しばらく俺をここに滞在させてくれ」


「なんでオレがこんな人間の世話を……」

 集落の青年はため息交じりにぼやいた。

 ロイエスの提案は斜め上のものだった。それは真偽を見極めるためにしばらくこの集落に滞在し調査させてほしいというものだ。依頼内容はあくまで人間側の一方的な決め付けであり、それが本当に事実なのかを確認したい、そんな考えからの提案だった。

 その提案をゼノリウスは集落にいる間は大人しくしていることを条件に承諾した。滞在している間の世話を自身の息子に任せる運びとなり、青年はロイエスと行動をともにしていた。

「しばらく宜しく頼む」

 当のロイエスはまるで観光に来たかのような能天気さだ。

「あんた、本当に勇者なのか?」

「こう見えてもな」

「だったら変わってるな、滞在したいなんて。その腰の剣でオレたちを倒せば終わりだろ」

 嫌味っぽく言う青年。話で聞く勇者はみな傲慢で身勝手だ。相手の事情を考えもせず、武力行使で解決する。そんな奴らばかりだ。

「それが一番手っ取り早いんだろうが、それは俺の流儀に反するからな」

「流儀?」

 奇妙なことを言うロイエスに青年は不思議そうに首を傾げる。

「自分の道理だけでなく相手の道理も知る。一方の意見だけで決めるのは楽だが、それは本当の解決とは言えない。まあ要は相手の事情も訊けってことさ」

「それでしばらく滞在するってことなのか?」

「ああ、この集落の者が原因じゃないのなら本当の原因がなんなのか見極める。そのため滞在だ」

 それはロイエスにとって信念とでも言うべきものなのか、それを口にする彼の言葉は自信に満ち溢れていた。

「やっぱり変わってる」

「どう思われようが構わないさ。さあ、調査を開始しよう」


 集落から程近い小高い丘。鬱蒼とした森の中に開けた場所としてその丘はあった。そこから遠方に人間が暮らす村が見える。その村が今回勇者ギルドに依頼を出した村だ。

「やっぱりオレらがなにかをしたとは思えないな」

 今見えている村と関わりはない、と青年は断言する。

 嘘を言っているようには見えなかった。実際、村を見つけるのにロイエスと同じくらい時間がかかっていた。悪魔たちが人間の村を襲ったところでメリットはない。そう考えるとやはり彼らが原因ではないような気がしてくる。

「他に思い当たることはないか? どんな些細なことでも構わない」

 そう問われて青年は考え込む様子を見せて、

「オークが確かこの辺にいたはずなんだか、そういえば見ないな」

 思い出したように言う青年。

 それを聞いたロイエスはおもむろに丘の下を覗き込む。丘の下にも鬱蒼とした森は広がっている。

「下へ降りよう」

「降りるって丘の下に繋がる道はない……って、まじか」

 言うが早いか、ロイエスは足を掛けられる場所を探して降り始める。

「強引だなぁ」

 やはり変人だ、と思いながら青年も丘の下を目指す。

 しばらくして丘の下の森に辿り着く。

「こんな場所に来てもなにも変わらない……」

 そう青年が声を出そうとしたのをロイエスが制する。

「静かに。あれが見えるか?」

 抑え気味の声で言ってロイエスが指を指す。

 その方向に青年が視線を向けると、そこにはオークがいた。

「オーク? どうしてこんなところに」

 青年は遠目からまじまじとオークを見る。見た目こそなんの変哲もないオークだが、雰囲気や様子がどこかおかしいような気がした。

「かなり気性が荒くなっている。魔獣化しかけているかもしれない」

 いつになく真剣な眼差しと声音で状態を推察するロイエス。初めて会ったときの印象から想像もできない。彼の勇者としての一端を垣間見た気がした。

「魔獣化?」

 青年は初めて聞いたというように聞き返す。

「ああそうか。この呼び方は人間しかしてないか。簡単にいえば、自我を失って暴走した生物の総称だ」

「そんなふうに呼んでいるのか。で、あのオークがどうかしたのか?」

「おそらくだが、あのオークが原因だと思う」

「なにか根拠でも――」

 そう言いかけたとき、オークが機敏な動作でこちらを振り向いた。双眸は赤色に染まっていて呼吸音も激しい。こちらの存在に気付いた途端、一切の時間的空白なく襲い掛かってきた。

「確かに原因かもな」

 見境なくというようにその動きは直情径行だ。議論の余地はない。

 ロイエスと青年はとっさに戦闘態勢に入る。

 オークはしなやかな脚で勢いをつけて飛び掛かる。ロイエスも自慢の健脚で素早い飛び掛かりに対応し隙を窺う。

「〝縛れ〟」

 そんな攻防の傍らで青年は魔法を行使する。命令を受けた周囲の蔓がオークを縛るために意志を持ったように動き出す。

 機動力が奪われたオークにロイエスは狙いを定める。そして、彼の魔法が放たれる。

「……あのオークを助けるために俺に力を貸してくれ」

 祈るような呟き。なにを言っているのかは聞こえなかったが、すぐ目の前に危険が迫っているとは思えない場違いな行動だった。

 そのとき、ロイエスが腰にずっと携えていた剣の鞘から黄金の光が漏れる。まるで今まで眠っていたのがその祈りで目を覚ましたかのようだ。

 振り抜くと同時に剣の光が三日月状に形を成す。発射された弾丸のようにオークに着弾し燐光を散らす。燐光がオークに降り注ぐ。それを浴びたオークがまるで冷静さを取り戻したかのように制止した。

「止まった……?」

 驚いた様子の青年。さきほどの話では暴走して自我を失った状態と言っていたが、今の戦闘の間で自我を取り戻したというのだろうか。

「拘束を解いてやれ」

 そう告げるロイエス。今の今まで大暴れしていたのだ。青年の顔はロイエスを訝しんでいる。

「頼む」

 再度の申し出に青年は渋々といった感じで拘束を解いた。

 拘束を解かれたオークは村から遠ざかるように森の奥へと姿を消していく。こちらのことなどすっかり忘れてしまっているかのようだ。

「元に戻ったのか? あんたの話じゃ自我を失っているってことだったが」

「いや、あれは完全に元に戻ったわけじゃない。精霊の力で一時的に正気に戻っているというほうが正確だな」

「つまり、また暴走するかもしれないってことか」

「ああ、明日またこの辺に来よう。根気よく続ければもしかしたら」

 オークが去っていった方向を見つめたままロイエスは呟いた。


 オークの一件のあと、ロイエスは集落の端で野営の準備を進めていた。集落の何人かは空いている場所を勧めてくれていたが、お願いして滞在させてもらっている手前、そこまで世話になるわけにはいかないと辞退した。

「ひょっとして寝るときも一緒にいるつもりなのか?」

 集落に戻ってからもずっと近くに青年を見てロイエスはそんなことを訊く。

「そんなわけあるか。いちおうお目付役でもあるから、あんたが寝るまではいなきゃいけない。寝たらすぐに帰るよ」

 少し離れて立ったまま仏頂面で答える青年。その言い草にロイエスは苦笑する。

「そういえば、あんたはあのオークをどうするつもりなんだ? 一時的にしか効果がないのならどれだけやっても意味はないと思うが」

 青年の言うとおり、一時的な効果であれば足繁く通い、何度も今日なようなことをしたとしても徒労に終わるだけだ。

「まあ確証はないし、賭けといえば賭けだな。それでも俺は諦めない。この力ならあのオークを救えるかもしれない」

 そこで青年は思い出したように言った。

「あのとき、あんたはいったいなにをしたんだ? てっきりオークを倒すのかと思っていた」

 青年からしてみれば、あのオークのせいで自分たちがあらぬ疑いをかけられた。あそこで倒してしまえば解決だし、むしろ逃がしたロイエスに少し不信感すら抱いていた。

「あんたの力はいったいなんなんだ」

「俺の力じゃないさ」

 そう短く返すロイエス。彼は腰から外した剣に手を当てて答える。

「俺はこの力を自分のものなんて思っちゃいない。人類が魔法を使えるのは精霊がいるからだ。彼らが俺の願いを聞いて応じてくれるから俺は勇者でいられる。まあ今では大半の奴は命令して魔法を使うようになっちまってるがな」

「じゃあ、あんたがオークの戦いで願ったことって」

 言うまでもないというようにロイエスは頷き返す。

「俺が破壊のための力を望めば精霊はそれに応えるだろうさ。でもそれって失礼だと俺は思う」

「失礼?」

「彼らは俺を信頼して貸してくれる。それなのに私利私欲のために、なんの信念もなく力を使うなんてことは俺はしたくない。精霊たちだってきっと報われない。だから俺は他人のために力を使う。人類だろうが、そうじゃなかろうが」

 それから彼は笑う。

「あのオークを救うためにもうちょっとだけ俺のわがままに付き合ってくれ」

「やっぱり変だな、あんた」

 そう言って青年は初めてロイエスの隣に座った。

「でも、あんたみたいな勇者なら好きになれるかもしれない」

「君は――そういえば、まだ名前を訊いていなかったな」

「いまさら訊くのか。まあいいか、ゼノウだ」

 いまさらな問いに苦笑して答える青年。

「ゼノウは勇者が嫌いなのか?」

「いいうわさはあまり聞かない。どいつもこいつも身勝手で傲慢だ。今までだって何度か集落の移動を余儀なくされた。そんな奴らはいなくてもいいと今までずっと思っていた」

「だったら、俺が勇者の在り方を変えるよ。俺が勇者の頂点に立って勇者を変える」

 真っ直ぐに青年を見てロイエスは言い切る。

「人類も他の種族も、もう誰も傷付かなくていいそんな理想の世界を作る」

「あんたならできるかもな」

 ふふっとそのとき青年は初めて笑った。

「そのためにもまずはあのオークを助けてやらないとな。明日からも宜しく頼むな」

 月下に響くは和やかな話し声は夜更けまで続いた。

 その日、初めて青年――ゼノウは勇者を少しだけ良い存在だと思えた。


 ロイエスが集落を訪れてから数十日後。ロイエスとゼノウは足繁くオークと接触した場所に通っていた。訪れるたびにオークは視界に入った二人に襲いかかった。それでも二人は根気よくオークを助けるために戦い続けた。

「今日こそ元に戻ってくれるといいんだがな」

 今まで毎日戦い続けて、さすがのロイエスにも少し疲労の色が見て取れた。連日、まとまった休息もなく魔法の行使しているのだから当然だろう。

「たいぶ落ち着いてきた印象はあると思う」

 ロイエスを労うように言うゼノウ。実際、最初の頃に比べれば凶暴性には天と地ほどの差があり、あと一息という段階のように思えた。

 もう見慣れた村近くの森。そこにいつもと同じように例のオークがいた。一瞥して両者は戦闘態勢に入る。オークがこちらに気付いたとき、もしまた襲い掛かるようであれば同じようにロイエスの魔法を浴びせられるように。

 おもむろにオークがこちらを向く。視線は合った。向こうも気付いただろう。ある種の緊張感のようなものが二人の間に張り詰める。

 沈黙が流れる。睨み合いのような時間が続く。

 先に膠着状態を破ったのはオークのほうだった。今までのように感情のままに突っ込んでくるようなことはなく、しばらくロイエスを見つめると森の奥に去っていった。見た目からしても理性を失っているような感じもしなかった。

「どうやら上手くいったみたいだな」

 静かに言うロイエスの顔に笑みが浮かぶ。彼が根気よく続けたことがようやく結実したまさにその瞬間だった。

「本当に元に戻った……」

 喜ぶロイエスの隣でゼノウは感嘆の声を上げていた。

「なんだ、信じてなかったのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだが……あの状態から本当に戻るなんて」

「まあ賭けではあったが、これで集落のみんなの容疑も晴れるし、村の人も怯えなくて済む。オークも無事で諦めなくてよかったと思うよ」

 そう彼は笑って言う。成果を誇示するでもなく、彼はただ全ての種族が誰も不幸にならなかったことに安堵していた。それは、どの勇者も持ち合わせていなかった博愛の心。分け隔てなく全ての種族の幸せを願う――それが彼の勇者としての本質のように思えた。

「さて、これでゼノウたちの汚名も晴れたわけだし、俺もそろそろ中央へ戻る頃合いだな。いつまでも世話になるわけにもいかないしな」

 集落に戻るぞ、とゼノウを促す。先を行くその背中にゼノウは投げかける。

 遠ざかっていく背中。今のままだったらもう二度と出会えないかもしれない。そう思ったとき、自然と言葉が紡がれた。

「なあ、勇者っていうのは人間じゃないとなれないのか?」

 そう訊かれてロイエスは一瞬きょとんとした顔のまま振り向く。

「前例がないからなんとも言えないが、勇者として必要な素質は誰にでもある。誰かに幸せになってほしい、困っている人を助けたい――そんな他人を思いやれる気持ちを忘れずにいることができれば、きっと勇者になれる。俺はそう思うよ」

 そう言ってロイエスはとびっきりの笑顔をゼノウに向けた。

「そうか。ならよかった」

「勇者を目指すのか?」

「あんたを見ていたらそんな生き方も悪くない――そう思えた。オレみたいに勇者に絶望している奴を救いたい」

「そいつはいい目標だ。なら今度また会えたときには俺が稽古を付けてやらないとな」

「是非頼む」

 二人は集落への道すがらそんな会話をし約束する。

 いつかまた会えると信じて。

 その約束が泡沫となって消えるのは、数十年後のことだ。

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