第22話

 最終試験前夜のレジェドリクスから離れた神山の麓。そこにある勇者適性試験の運営本部。ゼノウは単身でその本部を目指していた。夜の闇に紛れるように進むその様はさながら夜盗のようである。

「まさかこんな盗賊紛いのことをやる羽目になるとはな」

 息を殺し本部へ少しずつ近付いていく。本部だけあり入り口を中心に見張りが見受けられる。この姿を見られたら最後、不法侵入者として拘束されるだろう。

 ゼノウが拘束の危険も顧みずに動いているのには理由があった。それは二次試験での竜の襲撃に関与していると自認する人物から手紙が来たからだ。最初は怪しさ全開の手紙ゆえに無視しようとも考えたが、このままさらにエスカレートして余計な犠牲を増やすのは憚られた。罠かもと思いつつも、その手紙に従ってゼノウは今動いていた。

「なにを企んでいるのやら」

 まさか犯人自ら名乗りを上げるとは思わなかった。おかげで探す手間が省けたが、やはり怪しさは拭いきれない。最大限の警戒をしつつ進む。

 本部の建物を目前にゼノウは周囲の警備の動きを窺っていた。ここまで来て捕まってしまったら水の泡だ。手紙に記されていた指定場所は、建物に入って二階にある長い廊下を突き当たった先の部屋だ。ご丁寧に侵入ルートまで記載されている。相手の意図が全く読めないのは少し不気味だった。

 侵入ルートは的確でまるで示し合わせているかのようである。難無く建物内に侵入に成功する。建物内部のルートももちろん記載されている。

 手紙に従って内部を進む。そうして、最奥にある部屋に辿り着く。この先に手紙を出した主、即ち首謀者だ。

 扉に手をかける。指定場所はどこかの資料室のようだった。部屋の壁を伝うように本棚が連なり、その真ん中に作業用の机がある。手紙の主を思われる人物が部屋で唯一の窓を開けて煙草を吹かしていた。男のようである。とりあえず、誰もおらずにおびき寄せられただけという事態は回避できたようだ。

「とりあえず罠ではなさそうだが、あんたが俺を呼んだのか」

 剣呑を孕んだ声で問う。

 問われて男は振り返る。ヘイトリッド――男はそう名乗った。左目は傷を負っていて隻眼だ。

「そんなに心配しなくても突き出すつもりはねぇよ。それに今の本部にいる奴はアンタを見かけてもなんとも思わないようにしてある。ここまで来るのに苦労しなかっただろう?」

「言われてみればそうだが……」

 実際、この部屋へ至る道程で一度も声をかけられることはなかった。単に見つからず進めていただけだと思っていたが、さきほど男が言ったとおりなのであればそれも合点がいった。そして、ゼノウは気付く。

「人が扱える魔法、じゃないな。お前、何者だ?」

「察しがいいな。さすがは大悪魔ゼノリウスの息子といったところか」

 自分の素性を知っていることに目を丸くする。ゼノウの警戒心は一気に急上昇し、目付きが鋭くなる。

「いったいどこまで知っている」

「アンタのことは色々と調べさせてもらったからな。アンタが気に入ってる教え子についても。アンタが過去に勇者を殺したこともな」

 くつくつとヘイトリッドは笑う。

「まあ、表沙汰になることはなかったみたいだけどな。さすがは悪魔の血を引いている」

 言い触らすつもりはないから安心しろ、と付け加える。

「さて、オレばかり相手のことを知っているのはフェアじゃねぇ。ここまで来てくれた礼に訊きたいことに答えてやるよ」

「二次試験での竜の襲撃、あれはお前が仕向けたのか?」

「そのとおりだ。知り合いの竜をけしかけたんだが、アンタに迎撃されて行方知れずだ」

「自分では手を汚さず、か。こんな腐りきった奴が本部の職員とは驚きだ」

「これがオレのやり方なんでね」

 ヘイトリッドがまるで意に介していない。それが当然かであるように振る舞っている。今すぐにでも取り押さえてやりたいが、迂闊な行動はできない。ぐっと堪えまずは情報を引き出すことに注力する。

「なぜアリーゼを狙う? あいつはお前とはなんの関わりもないはずだ」

 そもそも生存圏が違う人類と竜族が関わることはまずないと言っていい。

「アンタが世話している教え子はロイエスの血を引き、奴が使っていた精霊剣を持っている。今ここでまた英雄が誕生されては困る」

 そう言うと、ヘイトリッドの顔から笑みが消える。

「アンタは今の世界の有様をどう思う?」

「はぐらかすつもりか」

「そんなんじゃねぇ。これは重要なことだ」

 そう言うヘイトリッドの顔は鬼気迫るものがあり、とてもはぐらかすつもりでいるようには見えなかった。

「良い、とは言えない。勇者の質は年々落ちていき、人類とそれ以外の種族の関係は悪化の一途を辿っている。いずれ取り返しの付かないことになると思う」

「アンタもそう思うよな。いや、アンタだからこそだ。オレもアンタも勇者に故郷を奪われた」

 部屋に沈黙が落ちる。廊下を巡回する職員は相変わらず部屋の様子に気付くことなく歩いている。

 沈黙を切り裂くようにヘイトリッドが口を開く。

「あいつら勇者どもは害虫だ。平気で他者の領域を侵し我が物顔で闊歩する。こちらの事情なんて考えず自分たちの事情だけで一方的に決め付ける。なにが融和だ、なにが対等だ。今の勇者はそんなこと歯牙にも掛けない」

 ヘイトリッドの中に渦巻く憎悪は加速する。

「この世界は一度作り直す必要がある。勇者はあまりにその規模を拡大しすぎた。だから、今ここで戦争を起こしどちらが上か、どちらが支配する側なのかをはっきりさせなければならない」

「そんなことをしてなんになる?」

「なんになるだと? アンタだって身に染みて知っているはずだ。あいつらの傲慢さを」

「はっきりさせたところで、血が流れればそれはまた新たな火種を生むだけだ。それではなんの解決にもならない」

「どの口が言いやがる」

「知っているからこそだ」

 そこでゼノウはふっと笑う。

「なにがおかしい」

「お前は勇者が傲慢だと言ったな。確かに多くの勇者は傲慢で利己的で目に余る奴ばかりだ。だが、二人。少なくとも二人、俺は己の信念に生きている勇者を知っている。俺はそいつらにこの先の世界を任せたいと思っている」

「二人? まさかアンタが世話をしている教え子がその一人だと言うつもりか。あのガキだって自分の力を自覚すれば同じように――」

「なんにも分かってないな」

 ぴしりと言い切るゼノウ。

「俺はずっと傍で見てきた。あいつなら再び勇者を誰もが尊ぶ存在にしてくれると、そう信じている」

 語る声に揺るぎはない。それはあの日出会ってからずっと傍で見てきた彼だからこそ言えるのだろう。

「だから、もしあいつの邪魔をするなら俺は全力でそれを阻止する」

「……そうか。残念だよ。勇者を憎む者同士、分かり合えると思ったんだがな」

 残念そうにヘイトリッドが言って――その直後、ゼノウの背後の扉が勢いよく開け放たれた。血相を変えて飛び込んできたのは本部の職員だ。明らかに平時の様子ではない。

 ゼノウがおかしいことに気付いたとき、すでにヘイトリッドの罠にかかっていた。

「話が違うぞ!」

「いったいなんのことだ? そもそもアンタとは仲間じゃないし、思想から決裂している。これ以上邪魔されても困るんでね。檻の中で大人しくしていてくれ」

 嘲るような冷たい笑み。ここまでがヘイトリッドが想定していたのだと今更ながら思い至る。

「お前……、なにをするつもりだ」

「試験もろとも、勇者をぶち壊す。どちらが上であるかを圧倒的な力の差を以てして刻み付ける」

 邪悪な笑みの奥に渦巻く確かな狂気と憎悪。明らかに試験を妨害する意図を感じさせる言葉を聞いても職員はなにも動じない。やはりヘイトリッドが魔法をかけているようだ。

「だったら今ここでお前を――」

「おっと、そんな手荒な真似をしてもいいのか? ここは適性試験の運営本部。もしここが襲撃されでもしたら試験は中止になるだろうな。そうなったら、いったいどれだけの夢や希望が絶たれるだろうなぁ」

 厭味な笑みが深みを増す。

「お前ぇ……!」

 曲がりなりにもヘイトリッドは本部の職員だ。本部が襲撃されたということになれば試験どころではない。そうなれば、アリーゼの夢どころか多くの試験参加者たちの将来を奪うことになる。おそらくそこまで見越してこちらを本部までおびき寄せたのだろう。

「そいつを連れていけ」

 ヘイトリッドの指示に従うように職員はゼノウを連行する。

「一つ言っておく。アリーゼはお前がどんなに邪魔をしようとも、決して折れない。逆に泣きを見ることになるのはお前のほうだ」

 ゼノウの言葉をヘイトリッドは負け犬の遠吠えとしか受け取らない。すでに勝った気でいるようだ。

「遺骸は持ってきてやるからよ、弔意の言葉でも用意しとくんだな」

 ゼノウは職員に連行されていく。

 ヘイトリッドの哄笑を止めるものは誰もいなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る