第17話
風の道筋に沿って進む行為は思っていた以上に劇的なものだった。木々の間を減速することなく潜り抜けていく。それはあたかもこの森が見知った庭であるかのようだった。
例の竜も二人が動き出したことを察知して再び追跡を開始する。その猛追には次は絶対に逃がさないという強い意志のようなものが感じられた。
「もうすぐだよ! ヒルダちゃん」
わずかにだか走る先で光が漏れている。このまま進めば森を抜け出すことができるはずだ。
――そのとき。
「きゃっ!?」
不意に地面に出ていた根っこにけつまずいてヒルダが体勢を崩してしまう。尻餅をつき、その隙を竜は見逃さない。雄叫びを上げてヒルダに飛び掛かる。
「ヒルダちゃんっ!?」
気付いたときにはとっさに身体が動いていた。ただヒルダを助けたい――その一心で剣を振り抜いた。
『グギャアアアアアアッ!?』
悲鳴を上げて後退する竜。蒼炎が堅牢な鱗に初めて傷を付けた。
「立てる?」
アリーゼが手を差し出す。ヒルダはその手を握り返して、今度こそ二人は森を抜け出すだめ光へと一直線に駆け出す。
「よかった! 外だ――って、ええええええええっ!?」
急に全身が浮遊感に包まれたかと思うと、真っ逆さまに落下し始める。森の外は切り立った崖になっていた。無我夢中だっただけに律儀に先を確認することを忘れていた。一難去ってまた一難。状況は目まぐるしく変化する。
「〝包め〟」
そのとき、待ちわびた人の声が耳朶に触れる。その声が聞こえた直後、落下の速度が緩やかに遅くなっていく。
「やっと戻ってきたと思ったら、とんでもないものを連れてきたな」
ゼノウは降りてくる二人を追うように迫ってくる竜を睨む。
「ゼノウさん! あれ!」
地上に降りたと同時に指差すアリーゼ。分かっているとというようにゼノウはうなずく。
「分かっている。あとは任せろ」
一歩踏み出すと同時にゼノウの纏う雰囲気が切り替わった。
二人を追って上空より飛来した竜は、立ちはだかるゼノウに邪魔するな、と殺意の込められた視線を飛ばす。ゼノウはそんな視線を向けられても臆することなく冷静に状況を観察する。
(相手は上位種族の竜。こっちは二人を庇いながら戦うとなると……。あいつがいる手前、あまり使いたくはないが)
ゼノウの紫がかった瞳がさらにその濃さを増す。直後、手元に一振りの漆黒の軍刀が顕現する。全ての光を吸収するかのような黒だ。
「どこから来たかは知らないが、ここは人類の生存圏だ。今すぐ自分たちの生存圏に戻るなら見逃してやる」
いちおうの温情を見せる。不可抗力とはいえ竜に手を出したとなれば、そのまま人類と竜の戦争に直結しかねないからだ。なにより、できることなら手を下したくない。
その問いへの答えは、魔法による攻撃という形で示される。
「退くつもりはないか」
そう一言呟くとゼノウも思考を完全に戦闘状態に切り替える。一拍ののち、ゼノウは駆け出した。
迎え撃つように竜は大きく広げられた両翼を羽ばたかせ、それらが無数の光刃となってゼノウに襲いかかる。高速で迫る刃は常人ではまず反応は不可能だ。
「す、すごい……」
アリーゼだけでなく、ヒルダも思わず感嘆の声を漏らしていた。
竜の懐へと接近しながら、全ての光刃を軍刀で叩き落としていたのだ。流れるような洗練された動きには一切の迷いや恐れを感じさせない。
「黒刀・七天抜刀(しちてんばっとう)」
懐へと潜り込む直前、納刀する。そこからさらに足を踏み込んで加速し抜刀。
――高速の七つの斬撃が迸る。
一瞬錯覚かと思うほどの光景だった。刹那に七つの剣の軌跡が閃き、怒濤の波状攻撃が竜を攻め立てた。堅牢だった鱗には無数の傷がつき、あれほど強大に見えていた竜が見る見るうちに弱々しくなっていく。
「これで終わりだ」
黒刀が黒の輝きを増す。
そのとき、竜が大きく飛び上がった。攻撃を警戒するゼノウ。だが、竜の狙いはゼノウではなかった。光刃を後方で見守っていた二人に向けて放つ。
「小賢しい真似を」
踵を返してゼノウは二人のもとへ跳躍し迎撃する。全ての光刃を処理し終えたとき、竜は忽然と姿を消していた。どうやら二人を狙ったのは逃げるための陽動だったようだ。
「逃げたか」
舌打ちをするゼノウ。あの竜には聞きたいことが色々とあったが、逃げられてしまっては仕方ない。二人に改めて視線を向けて安否確認を行う。
「無事か? お前ら」
「な、なんとか」
声をかけられた二人はそれをきっかけに初めて弛緩したように息を吐いた。さきほど一瞬とはいえ、魔法の標的にされたことで身体が強張っていたのだろう。
「竜はどうなったんですか?」
まだ整いきらない声のアリーゼ。
「逃げられた。聞きたいことは山ほどあったが、仕方ないな」
「じゃ、じゃあわたしたち、助かったんですね! やったね、ヒルダちゃん!」
ヒルダを振り向いてアリーゼは満面に笑みを浮かべて言う。
「そうみたいね」
ヒルダは涼しい顔をして応じる。いつの間にか呼吸を整えていつものクールなヒルダに戻っていた。
「えー、もうちょっと喜ぼうよ」
じゃれつくように身体を寄せてくるアリーゼを押し退けるようにヒルダは立ち上がる。
「このくらい自分の力で切り抜けられないとこの先勇者としてやっていけないわ。私は第二回戦の準備があるからもう行くから」
そう言ってヒルダはアリーゼを置いて去っていこうとして、数歩進んだとき立ち止まって振り返る。
「去る前に、これだけは言っておくわ。貴方――いえ、アリーゼのおかげで助かったわ。その、あ、ありがとう」
少し言葉を詰まらせながら言うヒルダ。その気恥ずかしさをごまかすようにアリーゼの返答を待たず、今度こそ去っていく。
「行っちゃった」
呟いてその背中を見送る。
「俺たちもそろそろも帰るぞ。この件をギルドに報告しないといけないしな」
アリーゼはヒルダのことがまだ気がかりのようで、視線はまだ彼女が去っていった方向を向いている。
(最強と最弱……か。まだまだ関係の修復には時間がかかりそうだな)
指導者としてそんなことをゼノウは思う。
「そんなに気になるなら追いかけるか?」
「……今は、やめておきます」
今から追いかけたとしてなんと声をかければいいか思い付かない。後ろ髪を引かれながらも帰ることにする。
(あれ? そういえば――)
歩き出して少しして、ふととアリーゼは思い出す。
(試験官の人、決闘が終わったのに来なかったような……。そういうものなのかな)
決闘の開始を見届けてから、一度も試験官の男は姿を現すことはなかった。
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