第15話

「吹き荒れろ!」

 開幕早々、ヒルダが猛攻が始まった。彼女の大剣の一振りが突風を生み出し、炎を纏って吹き荒ぶ。

 魔法によって生み出された現象は魔法でなければ受けることができず、必然的に魔法での応戦を強いられる。相手の出方を窺うのが一つの戦術である一方で、先制攻撃はこちらの手の内を明かすのと同時に相手の手札を引きずり出す一手になる。そして、両者に実力差があればあるほど先制攻撃によるデメリットはないに等しいものになる。アリーゼとヒルダの決闘はまさしくその最たるものだった。

「くっ……」

 思わず呻き声を漏らすアリーゼ。叩き付ける熱風は魔力の奔流そのものだ。激流に晒されているように身体が重い。

「これがヒルダちゃんの――本気」

 身を以て実感する。熱風からもたらされる圧倒的な熱量からは魔力以上にヒルダの覚悟が感じられた。

「――わたしだって負けるつもりはないんだから!」

 形見の剣に魔力を通わせる。

 熱風に晒されながらもアリーゼは訓練のときにゼノウから言われた言葉を思い出す。


――そして、一番大切なのは精霊たちへの畏敬と感謝だ。精霊なくして魔法は存在し得ない。それを忘れずにいれば必ず彼らは応えてくれる。


(お願い、力を貸して――)

 正直言って、ゼノウの言葉の意味を全て理解している自信はない。ただ今はひたすらに祈り願った。きっと応えてくれる。エルフを助けたあのとときのように。

「一閃ッ!」

 納刀から振り抜くと同時に込めた魔力を解放する。魔力はそのまま風の刃に形を変えて熱風の切り裂き、暴風に一瞬の間ができた。

(できた! でも……あのとき、違う)

 魔力を受けたことで形見の剣は淡く光を帯びるが、輝きがあのときは明らかに違った。だが、今それについて考えている暇はない。

 熱風から逃れたアリーゼは勢いを緩めず、ヒルダの懐を目掛けて特攻する。力の差で負けている以上、悠長にしている時間はない。一気にけりを付けなければ勝機はない。

 一合。二合。二人の少女が切り結ぶ。

「貴方、まだそれを使っているのね」

 ヒルダの用いる武器はいっけんして重厚な大剣のように見えるが、実際には魔石を含有した元の武器を媒介にして魔法により顕現させている。他の魔法を駆使しつつ長時間顕現させ続けることは厳しい鍛錬を積んでこそ辿り着ける領域だ。

「わたしがもっとも尊敬する人の形見だから。わたしはこの剣と一緒に合格したい!」

 ヒルダと比べれば自分の武器はあまりに非力だ。だが、それに引け目を感じるつもりはない。この剣とともにあることが重要なのだ。

「……そう」

――アリーゼが答えた瞬間、一瞬だけヒルダの口許が歪んだ気がした。

「憧れだけじゃ勇者にはなれない。今から貴方にそれを教えてあげる」

 ぞわっとアリーゼの全身を悪寒が駆け巡る。殺気にも似た圧倒的なオーラを前に本能が警鐘を鳴らす。

(なにか、来る!)

 とっさに距離を取るアリーゼ。

 しかし、すでにヒルダの次なる一手は始まっていた。

 火花のような赤い粒子が宙を舞っている。淡い光が浮かぶ光景はいっけんすると幻想的だ。だが、ヒルダの鶴の一声によってそれらが途端に牙を剥く。

「――咲き誇れ! 百焔華」

 刹那。赤い粒子が一斉に弾け始める。無数の花が咲き乱れるように爆発を起こし、瞬く間にアリーゼを飲み込んでいく。

 その速さにアリーゼの回避が間に合わない。次々と起こる爆発に弄ばれて、木に叩き付けられる形でようやく爆発の渦から解放された。

 ずるっと滑るように地面に腰を着く。意識こそあるが、絶え間ない爆発の衝撃で視界は軽く眩暈を起こしたように揺れていた。全身を鈍い痛みに苛まれながらもなんとか剣を頼りに立ち上がる。

(魔法具でなんとか持ち堪えたけど……)

 本来であれば、さきほどの連続爆発で気を失っていてもおかしくなかった。それを繋ぎ止めたのはゼノウが予め付けておけと手配してくれた魔法具だった。魔法によるダメージの一部を肩代わりしてくれるものだが、それを付けてなおヒルダの魔法の威力は桁違いだった。

「そろそろ限界なんじゃないの。怪我をしたくないなら今のうちに降参することね」

 悠然とした態度でヒルダは言う。いっけん相手を気遣っているように見えてそれは勝ちを確信している自信の表れだ。

 片や一切息を切らさず、片や満身創痍。この決闘の結末は誰の目にも明らかだろう。己の身を案じるならここで降参するべきだ。

「そう、だね。確かにもうへろへろだし、立ち上がるのがやっとだよ。――でもね。わたしは教えてもらったんだ、諦めなければ道は開けるって。だからわたしは諦めないよ。たとえ、ヒルダちゃんが相手でも」

 アリーゼの形見の剣も、彼女の瞳もまだ輝きを失っていない。それは彼女の心の奥で小さく、しかし強固な意志として存在する勇者に憧れる純粋な想いを表すかのようだ。

「余計な気遣いだったみたいね。――なら、この一撃で全てを終わらせる」

 ごうっと空気が渦巻くような空気の流れが生まれる。通常、魔法の発動時に術者以外がなにかを感じることはないが、強大な魔法を発動する際はその余波が風や振動などになって現れることがある。つまり、ヒルダはそれだけ強力な魔法を発動しようとしているのだ。

 ヒルダの大剣がかつてないほど紅蓮に輝き、炎が猛々しく燃え盛る。空気が悲鳴を上げているようだった。

「先に言っておくけど、この魔法を人に放つのは初めてなの。だから、本当にどうなっても知らないわよ」

 目の前で大剣に蓄積されていく炎は埒外だ。常識を越えている。もはや燃やすなどという次元ではなく溶かすと言っていい。まともに受ければ命の保証はない。

 だが、アリーゼは逃げない。地を踏み締めて迎え撃つ。

 もうあの頃の自分とは違うのだ。最後の最後まで足掻いてみせる。ありったけの魔力を込めて解き放つ。

「――一閃ッ!」

「煌炎融世(こうえんゆうよ)!」

 両者の魔法が解き放たれる。ヒルダの炎が世界を真っ赤に塗り替えた。

 一瞬の静寂。

 それはまさしく世界を溶かすと表現すべき一撃だった。ヒルダの目の前にある地面はもちろん、直線上にある木々は全て例外なく溶かされていた。もし狙いが逸れることなく当たっていたら、アリーゼもあのようになっていたのかもしれない。

「少し手許が狂ったけど……勝負ありのようね」

 全力の一撃にさすがのヒルダも消耗したのか呼吸は荒く、肩で息をしていた。

「あ――」

 最初は意味を飲み込めなかったアリーゼだが、首元に手をやって理解する。直撃こそしなかったものの、その余波でついに魔石が耐えきれなくなったようだ。

「負け、ちゃった」

 呟くように言うアリーゼ。手で持った魔石は半壊していた。

「やっぱり強いなぁ。ヒルダちゃんは」

「その割にはずいぶんと清々しい顔をしてるけど」

 アリーゼに近付くヒルダ。決闘を終えて幾分か落ち着いた彼女は地面に腰を着いているアリーゼに手を差し出す。

「だって憧れのヒルダから認めてもらえたのが嬉しくて」

「憧れ……」

 ヒルダの手を取ってアリーゼが立ち上がる。

「そう。憧れ」

 敗北したにもかかわらずアリーゼはなんの屈託もない笑顔を向ける。一輪の花を思わせるその笑みはヒルダの口を噤ませた。

「……やっぱり、私と貴方は相容れないわ」

 そっと、拒絶するようにアリーゼの手を解く。

 ヒルダは踵を返す。

「ヒルダちゃん……」

「私はもう帰るわ。貴方も次の決闘に備えて一休みすることね」

 そう言ってヒルダが去ろうとした――そのとき。

 はるか上空より、なにかが飛来しズドンという轟音と突風をもたらした。降り立った衝撃で地震のごとく大地が鳴動する。

「な、なに」

 互いに驚き、顔を見合わせる。

 巻き上がった砂塵の中から徐々に浮かび上がるシルエット。人類をはるかに凌ぐ上位種族の一つ――竜族(ドラゴン)。獲物を食い千切る猛々しい牙、堅牢な鱗、勇猛な両翼を持つ姿がそこにあった。

「ど、ドラゴンっ!?」

「どうしてこんな場所に……?」

 アリーゼが驚いて、ヒルダが訝しむ。

 本来、人類の生存圏に竜族を含む上位種族が姿を現すことは滅多にない。それは先人たちが他種族の領域に干渉しない範囲で人類の生活基盤を築いてきたからだ。だからこそ、目の前に竜族がいることの異常性が際立つ。人類の生存圏に明確な意志を持って侵入していることに他ならないからだ。

 威嚇をするように竜が雄叫びを上げる。耳を劈くほどの雄叫びは二人の自由を奪う。

 あまりの異常事態に二人はただ呆然とすることしかできない。

 ぎょろり、と巨大な目玉が二人を捉える。

「――に、逃げよ! ヒルダちゃん!」

 そんな中、いち早く我に返ったアリーゼは茫然自失のヒルダに呼び掛ける。思いっ切り手を引いて揺さぶって、ようやっと彼女の意識がアリーゼに向いた。

 形振り構わずアリーゼとヒルダは飛び出した。とりあえず、周囲に広がる森へと逃げ込んだ。

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