第12話

 斜陽に染まるエストレアの中央区の広場にできる人集り。それは一ヶ月前の勇者適性試験の開始宣言を想起させる光景だった。

 だが、あのときと違うのはこれから行われる発表が数多の人にとって分岐路になることだ。一ヶ月間前では開始される試験に期待していた者も今では顔に不安の色が浮かんでいる。それはアリーゼも例外ではなく、昨日から緊張で寝付けなかったようで少々寝不足気味のようだった。

「泣いても笑っても、ここで決まるんですよね……」

 これから行われるのは一次試験の合格者発表だ。勇者ギルドの前の掲示板に今回の一次試験の合格者が発表される。参加者はそこから自分の番号を探すということになる。掲示板には今は幕が掛けられている。

 勇者適性試験は毎年行われているが、三つある試験で一度でも不合格になった者は二度受けることはできない。それは勇者の質を一定に保つためだと言われている。つまり、この一次試験の結果如何で今後の人生設計が決まると言っても過言ではないのだ。

 アリーゼは発表が行われるその瞬間を固唾を呑んで待った。

「それではこれより一次試験の合格発表を行います」

 身なりが整った一人の男性がやってきて掲示板に掛けられた幕に手をかける。幕が取られ掲示板がその姿を露わにする。

 しばしの沈黙のあと、広場には歓喜と絶望が入り混じった声が渦巻いた。合格の喜びを体現する者、悔しさで涙を流す者。様相は様々だった。

 少し人が捌けてきてようやっとアリーゼも自分の番号を探す。自分の番号が近付いてくるに連れて心臓が鼓動が強くなった。落ち着かせるように深呼吸してアリーゼは見逃さないように視線を動かしていく。

 十つ前。五つ前。三つ前。二つ前。

 そして、一つ前。


――番号が一つ、飛んでいた。


 一瞬、心臓が止まったような感覚に襲われた。

 どれだけ確認してもないのだ。自分の番号が。

「やっぱり……、ダメでした」

 掲示板から戻ってきたアリーゼがそう告げる。全ての感情が希薄なったような無機質な声。そして、脳がようやっと不合格――勇者への道が閉ざされたことを理解したとき、止めどなく涙が溢れてきた。溢れて止まらなかった。

「そうか」

 ただなにを言うでもなく、ゼノウは一言だけそう言った。

 実のところ、ゼノウはこうなるだろうと薄々思っていた。彼女の努力が無駄だったと言うつもりはない。試験中の依頼も着実にこなしていた。彼女なりにベストを尽くしていたと思う。

 では、なぜダメだったのか。単純な話だ。彼女が基礎の底上げをしている間に他の参加者たちはその上を行っていたのだ。アリーゼの志には確かに光るものがあった。だが、その志だけでは生きていけないのが今の勇者の在り方なのだ。

「わたし、頑張ったつもりだっただけどなぁ」

 涙を滲ませてごまかすように笑うアリーゼの姿は少し痛々しかった。

 アリーゼは未だに涙で潤む瞳をゼノウに向ける。

「わたし、荷物をまとめて帰ります。すごく悔しいですけど、もうどうしようもないですもんね……。ゼノウさんのおかげでほんの少し間ですけど、夢を見ることができました。今までありがとう――」

「ああ、よかった。まだいらっしゃいましたか」

 アリーゼがゼノウに別れの言葉を告げようとしたとき、一人の男性が慌てた様子で駆け寄ってきた。

「アリーゼ・フォンレットさんですよね? 運営本部より連絡事項があります」

「連絡事項?」

 突然の運営サイドからの連絡にゼノウは首を傾げた。アリーゼも心当たりがないようで、同じように不思議そうな顔をしている。

「取り急ぎ、こちらを受け取りください」

 男性は一枚の紙を差し出す。それは一次試験の合格者にだけ手渡されるはずの二次試験の内容が書かれたものだった。

「あの、どうしてこれをわたしに? だって、わたしは不合格で失格になったはずじゃ……」

「確かに掲示板にもあるとおり、アリーゼさんは足切りラインに到達していないため、本来であれば不合格です。ただ、今朝方アリーゼさんに助けてもらったという女性の方がポイントを付与してくださいと直談判に来まして。勇者ギルドを通していない依頼のためポイントは付与できないと申し上げたのですが、引き下がってくれなかったので試験期間中であったことも鑑みて特例措置として付与する形となりました。その結果、アリーゼさんは足切りラインに到達しましたので一次試験合格となります」

 男性は淡々と連絡事項を述べ、忙しなさそうに戻っていく。

 思いも寄らない事実を告げられて、アリーゼはもとよりゼノウもしばし呆気に取られたように言葉が出ないでいた。

「……ゆ、夢じゃないですよね?」

「なら叩いてみたらどうだ?」

 言われるがままにアリーゼは自分の頬を思いっ切り叩いた。

 じわっと頬に広がる痛み。だが、その直後にそれすらも塗り替えるほどの感情が一気に熱を帯びて全身を駆け巡った。

「や――やった、やったあああああああっ!」

「こんなこともあるんだな」

 さきほどまでの涙を吹き飛ばす勢いで大歓喜するアリーゼ。その横でゼノウはまだ信じられないというような顔をしていた。

(俺が今まで試験を見てきた中でこんなことは初めてだ。アリーゼ、こいつなら本当に……)

 そう胸中で思ってアリーゼを見遣るゼノウを、彼女は溢れんばかりの喜びで微笑み返した。


 遠くの片隅で紅蓮の髪の少女が覗き込んでいた。その視線が向く先はたった今一次試験の合格が決まったアリーゼだ。

 斜陽が作り出す濃い影が紅蓮の髪の少女を包む。

 まるで小さい子供のように喜ぶアリーゼをただじっと紅蓮の髪の少女は見つめる。その表情はどこか暗鬱だった。

 しばらくして、アリーゼは同伴者とともに広場から去っていく。その背中を見つめながら紅蓮の髪の少女はぎりっと奥歯が軋むのを感じた。

 手に持った二次試験の概要を記す紙がひしゃげていた。

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