第11話
エストレアの中央区にある大きな広場。普段であれば大道芸や露店などで賑やかなこの広場も今は息を呑むような静寂に満ちていた。何百人という人が一堂に会していながら、一切のざわめきがない光景は毎年の恒例とはいえ異様な光景だった。
「いよいよ、ですね」
意気込むように言って、アリーゼはゼノウを見遣る。その顔はやはり緊張からか少し強張っているように見えた。
「そう気張るな。どれだけ意気込もうと実力以上の力を発揮することはできない。今はまず短期間で身に付けた力を出し切ることだけを考えろ」
勇者適性試験の通例として試験開始の宣言はこの広場で行われる。参加者はその宣言を聞き、不正を行うことなく試験に臨むことを宣誓するのだ。
大勢の参加者の前には木材で組まれた台がある。そこに適性試験を取り仕切る最高責任者が壇上し試験の開始が宣言される。その瞬間を参加者たちは待ちわびていた。
「そ、そうですね。いつもどおり、いつもどおり……」
緊張をほぐそうとしたのだが、意識してしまい余計に緊張してしまったようだ。
(これは自然にほぐれるのを待ったほうがいいな)
下手にほぐそうとして余計に緊張してしまっては元も子もない。これ以上余計なことは言わず、空気感に慣れて自然と緊張がほぐれるのを待つことにした。
(……ん?)
そんなことを思っていると、不意に視線を感じてゼノウはそちらに目を向ける。
視線の先には燃えるのような紅蓮の髪を持つ少女がこちらをじっと睨むように見ていた。ゼノウが気付いても逸らさないのを考えると、少女が見ているのはゼノウではなく、その隣にいるアリーゼだろうか。
しばらくもしないうちに気が付けば紅蓮の髪の少女は人混みの中に消えていた。
「さっきお前のことを誰か見ていたぞ」
「……え、わたしを?」
緊張で心ここに在らずのようになっていたアリーゼは我に返った。
「確かお前と同じエストレア学院の制服で赤い髪が特徴的だったな」
ゼノウから見ていた人物の特徴を伝えられたアリーゼは俯き気味に目を伏せて、少し低い声で答えた。
「それはきっと、ヒルダちゃんだと思います」
「ヒルダ? 知り合いか?」
「ヒルダちゃんはわたしの友達です。友達、なんですけど……」
その先を言い淀むようにアリーゼは口を噤んだ。
アリーゼとヒルダという少女の間にはなにやら因縁のようなものがありそうな気がして、ゼノウはこれ以上の言及を避けた。試験に悪い影響が出るのは望ましくないからだ。
(こりゃ一筋縄ではいかなそうだな)
これから始まる試験を憂うゼノウを余所に勇者適性試験は最高責任者の登壇によって開始を告げた。
勇者適性試験は三つの試験から構成される。
一次試験は、約一ヶ月間の間に勇者と同様に可能な限りの依頼を受け達成するというものだ。達成した依頼に応じてポイントが付与され、その合計が一次試験終了までに足切りラインに到達していない者は失格となる。足切りラインが公表されることはないため、可能な限り依頼をこなす必要があり、勇者として必須ともいえる依頼遂行能力を一次試験で試されるのだ。
勇者適性試験の参加者が受ける依頼はある程度勇者ギルド側で依頼の難度や納期、安全性を考慮して選別されている。
「全部……なくなっちゃってましたね」
勇者ギルドを出てアリーゼは深々とため息を吐いた。
試験が開始されアリーゼたちも真っ先に勇者ギルドに向かったのだが、すでに今日用意されていた依頼は他の参加者に受注されてしまっていた。
「こういうのって、人数分あるわけじゃないんですね」
「そりゃそうだ。あくまでも依頼は一般から集まってきたものを選別だけだからな。必ず人数分とは限らない。だからこそ一ヶ月間の期間があるわけだ。今日のところは魔法の訓練の続きだな」
今日受ける依頼がなくなってしまい、本日は引き続き魔法の特訓を行うことにした。なにもせずに無為に時間を浪費するよりは訓練を行うほうが有意義だろう。
「そうですね。鍛えておくことに越したことはないですもんね」
気を取り直したように言うアリーゼだが、その様子はどこか無理しているようにも見えた。試験早々に躓いて少し不安になっているのかもしれない。
「まあ、そう気を落とすな。まだ試験は始まったばかりだしな」
フォローになるか分からないが、とりあえずゼノウはアリーゼを気にかけて言葉をかける。アリーゼはこくりとだけうなずいた。
「お願いです! 誰かっ!?」
アリーゼとゼノウの耳に切迫した声が飛び込んできたのはそのときだった。
見れば、勇者ギルドの建物の前で年老いた女性が行き交う勇者に何度も声をかけている。勇者たちは気にするように視線を送るが、しかし誰も応対することなく通り過ぎていってしまう。
「あの人はなにをしているんですか?」
明らかに平時ではない女性の様子を気にしてアリーゼが訊いてくる。
「おそらく勇者に手を貸してもらいたいんだろう」
「依頼なら勇者ギルドに言って仲介してもらえばいいんじゃ……」
「それができないから無理を承知で必死に頭を下げているんだ。今の勇者ギルドのルールでは無料で依頼を仲介することはできないからな」
そう言ってゼノウは勇者ギルドの依頼のシステムについて説明を始めた。
依頼者は依頼するとき、一時的に一定の金額を勇者ギルド側に払う義務がある。昔はなかった制度だが、依頼して報酬を払う前に行方をくらますのが一部で横行して追加された経緯があり、依頼が達成され報酬が無事支払われたことが確認されれば、依頼の際に支払った金額は戻ってくる。
「この制度のおかげで報酬の未払いもなくなったわけだが、裏を返せば金を持っていない者は依頼できなくなったわけだな」
ゼノウが話を続けている最中も女性は懇願を繰り返している。誰も足を止める者はおらず、その悲痛な叫びは人混みに消えるばかりだ。
「……そんなの、おかしくないですか」
ゼノウから説明を受けてしばらく黙っていたアリーゼが口を開いた。
「お金を持っている人だけが依頼を出せて、本当に困っている人があんなふうに必死に頭を下げてお願いをすることしかできない――そんなの絶対おかしいです」
アリーゼは一人で行き交う人混みの中を横切って行こうとする。
「どこに行くつもりだ」
「あの人を助けます」
「助けても正式に勇者ギルドを通した依頼じゃない。ポイントは入らないが、それでもやるのか?」
「そんなの関係ありません。わたしが助けたいを思ったから、それだけです」
そう言い切ると、アリーゼは今度こそ今も助けを求めている女性のもとへと向かった。
助けを求めていた女性から依頼は行方不明になった息子を探してほしいというものだった。事の発端は祖母が病に伏したことから始まった。異変に気付いた母親が方々を駆け回ったがついぞ見つけられなかった。最終的に可能性として残ったのがどこかで病に効く薬草のうわさを聞き付けて、森に採りに行ったのではないという結論だった。
そのうわさの薬草がある場所を教えてもらいその場所に向かった。鬱蒼とした森は足場が悪く、子供が歩くには少々酷な環境だった。
手分けして周囲を捜索して女性の息子は急斜面の先で見つかった。おそらく斜面で足を滑らして落下したのだろう。身体にこそ傷はあったが、命に別状はなく母親のもとへ連れて戻ることができた。
女性の息子を連れて戻る頃にはすでに陽は傾きかけていた。
「非正規とはいえ、依頼を達成したのに浮かない顔だな」
無事息子を見つけて女性から多大な感謝を受けた。もしかしたらあのまま落としていたかもしれない命を救ったのだ。それなのにアリーゼの顔は晴れやかではなかった。
「わたし、勇者ってもっと人のために身を粉にする、そんな職業だってずっと思っていたんです。でも、ここ数日勇者の嫌な面ばかり見ちゃったなぁ……って」
思い返してみれば、エルフを誘拐しようとした勇者二人組に、目の前で助けを求めていながら通り過ぎていった数多の勇者。ゼノウからしてみれば珍しくもないことだが、勇者に憧れを抱いているアリーゼにとっては少々衝撃的だったことだろう。試験への気概が削がれないといいのだが。
「嫌になったか?」
「い、いえ。そういうわけじゃないんですけど、勇者ってなんのためにいるのか、ちょっと考えちゃいますよね。まだ勇者にもなってないわたしが言うのも変ですけど」
少し曖昧に笑って視線を下げた。
(なんのため、ねぇ)
その問いにかつての大英雄たちであれば、確固たる信念を持ち答えていただろう。しかし、今の世に溢れかえる勇者たちのいったいどれだけが信念を持って活動しているのか。
「それを見つけるにはまずは一次試験を突破することだな」
難しい顔をしていたアリーゼはゆっくりとうなずいて前に目を向けた。
一次試験に設けられている期間は一ヶ月だ。この一ヶ月は長いように見えて短い。慣れない環境下で活動にはトラブルが付き物だ。
そんなアリーゼたちの目まぐるしい一ヶ月間はあっと言う間に過ぎていき、ついに一次試験の合格者発表日がやってきた。
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