第6話

 ゼノウの後ろをついていった結果、彼は街と街を繋ぐ街道の脇で立ち止まった。街道を通る者への道しるべとして設置されたランタンがほのかな光で足元を照らしている。

「例えば」

 夜の薄闇の中、突然なんの脈絡もなくゼノウが言った。

「今ここで突然、他種族、動物が襲ってきたとして、お前ならどうする?」

「ど、どうするって……。わたしなら戦います。そうじゃないと命が危ないですし」

「それが断る理由だ」

「へ?」

 意味が分からなかった。今の回答のどこか教えるに値しない答えだったのだろうか。身を守るのは当然ではあるまいか。

「その、どうして今のが断る理由なんですか?」

 ゼノウは小さくため息を吐いて、

「お前は真っ先に戦うと言った。その時点で一方的に相手を悪として見ている証左だ。まるで自分には一切非がないというようにな」

「でも、それは相手が襲ってくるからで」

「もちらん、最初から悪意だけで襲う奴もいる。だが、それを判断するためにどうして襲ってきたか、そこまで考えてみたか?」

 アリーゼははっとした。確かに言われてみればそこまで考えたことはなかった。

「領域(テリトリー)を侵したか、それとも知らないうちに仲間を傷付けていたか。理由はいくらでも考えられる。それをお前は考慮しなかった」

 ゼノウはきっぱりと切り捨てるように言う。彼のアリーゼを見る目は侮蔑そのものだった。

「どこから聞き付けてきた知らないが、これまでにも俺に教えを乞うために勇者を志す奴が数多くやってきた。そいつらは例外なく己のことばかりを考えている利己的な奴らばかりだった。もしどうしても俺に教えを乞いたいのなら、自分はそいつらとは違うと証明してみせろ」

 半ば詰めるような言い様でゼノウは捲し立てた。そこには勇者志望者への不平不満だけでなく、私情が垣間見えた気がした。まるで勇者そのものに絶望しているような、そんな負の感情。

「わ、わたしは……」

 上手く言葉が出てこない。今まで結果を残せていないからこそ、縋る思いでこの地までやってきた。今の自分にはないもののほうが圧倒的に多い。そんな自分に証明に足るものなどあるはずがない。それでもアリーゼは幼き日――勇者を志した日から抱き続けている不変の想いをぶつける。

「今のわたしにはあなたの言う違いの証明はできません。実力に乏しい今のわたしでは……。でも、わたしが抱く勇者への想い、覚悟――夢。これだけは誰にも否定させません」

 それでもアリーゼは強く、そしてはっきりと言葉にした。

「夢?」

 ほんの少しだけ興味を孕んだ問いを返す。

「わたしには夢があります。それは人と他種族の架け橋に争いのない世界を作ること。それがわたしが勇者になって成し遂げたい夢なんです」

 自然と言葉に熱が入っていることが自分でも分かった。

 噛み付くつもりはなかった。だが、ゼノウの言い様はまるで勇者そのものを否定しているようで、アリーゼにはそれが許せなかった。

「その夢を成し遂げるだけの力は今のわたしにはないですけど、でもいつか必ず成し遂げてみせる――この想いだけは本物です。だから、わたしに力を貸してもらえませんか?」

 もう一度、アリーゼは頼み込む。

 ただただ、ひたすらに頭を下げ続けた。

「顔を上げろ」

 静かにゼノウが言う。

「悪いが何度頼まれても結果は同じだ。口だけならなんとでも言える」

「じゃあどうすれば!」

「そのお前の想いとやらを行動で示すことができれば、考えてやらんこともない。勇者は己の思想、矜持、そして信念を行動で示すものだ」

「そんな……」

 ゼノウから提示された条件はアリーゼには限りなくハードルが高いものだった。

「それができない、というのならこれ以上俺からお前に言うことはない。荷物をまとめて帰るんだな」

 言い残したゼノウはそれきり一瞥もくれることなく去っていった。

「……ダメだった」

 絞り出すように言ったその一言だけが頭の中で反芻した。遅効性の毒のように口に出した瞬間にその言葉は少しずつアリーゼに染み込んでいき実感を湧かせていく。

 退学への唯一の打開策を失った今、アリーゼに残されているのはエストレア学院から去り勇者を諦めること。足掻くことすらできなくなった彼女にそれを止める術はない。

「うぅ……」

 頬を熱いものが伝った。

 幕引きはあまりに呆気なかった。たとえ叶わぬ夢だったとしても、最後まで足掻いていたかった。足掻いて――諦めたかった。

 頬を伝うものを拭うこともせず、失意のまま立ち去ろうとした――そのときだった。

 声がしたのは。


――助けて!


「え?」

 微かに。だが、確かに聞こえた。

「どこから……」

 自然と周囲を見回していた。夜の薄闇の中では周囲の状況は判然としない。声の出所を特定するのは難しいだろう。


――誰か助けて!


 また声がした。よりはっきりと。そして、今度は導かれるように自然と視線が動いた。

 視線を向けた先にはあるのは鬱蒼とした森があり、その先に見えるのが森を突っ切るように続く旧街道。かつては多くの人で行き交ったが、森を横切らない形で新しい街道が作られてからはめっきりに使われなくなり整備も行われていない。申し訳程度の封鎖はしてあるものの、決して通れないわけではなく、人知れず悪行を行うには打って付けの場所でもあった。

 助けを呼ぶ声はそこから聞こえていた。確証はないが。

「わたししかいない……よね?」

 半ば自問自答のように呟いた一言に答える者はいない。

 もし本当に助けを求めている誰かがいるのなら、それを見過ごすなどあってはならない。

 せめて確認だけでもと思い、アリーゼは旧街道に一歩を踏み入れた。

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