第4話
列車の車窓に吹き込む風は田園地帯特有の鼻腔をくすぐる匂いを運んできた。
エストレアを発車し風景には次第に自然が混ざり始めて数時間。列車は次の停車駅であり、アリーゼの目的地でもある地方都市へと向かっていた。
発展したエストレアでは見ることのできない自然を前にして、アリーゼは少しばかり気分が高揚していた。さながら旅行気分のようだ。
「お弁当、お弁当!」
ふんふんと軽快な鼻歌を口ずさむ。ちょうど昼時に差し掛かり、アリーゼは荷物から今日のために持参した弁当を取り出した。学生寮の料理長にお願いし特別に用意してもらったものだ。味は折り紙付き。美味に頬が落ちそうになっていると、ふと思い出したように荷物を漁り始める。
「そうだ。到着する前に情報を確認しとかないと」
アリーゼは荷物から数枚の資料を取り出した。どれも学院長から渡されたこれから会う男性にまつわるものだ。出発前に一通り読み込んだつもりだが、今一度目を通しておくことにした。
「ゼノウ・エレティコス。いったいどんな人なんだろう」
アリーゼはまだ見ぬこれから自分の師匠になるかもしれない人物に思いを馳せる。
資料を見る限り、能力(ステータス)は全てが最高ランク。
勇者ギルドを仲介して依頼を受ける際には初回に必ず現在の能力を測定することを義務付けている。その測定の結果で勇者ギルドは適切な依頼を勇者に回すようにしている。そのため基本的には実力にあった依頼を受けることになるのだが、その中には少なからず不釣り合いな依頼を受ける者もいる。もちらん勇者ギルド側も確認を行うが、強行する者も少なくない。その結果命を落としてしまうことも珍しくなく、つい先日も駆け出しの勇者が行方不明になったとうわさになっていた。
「……怖い人だったら、どうしよう」
アリーゼの認識として能力の高い勇者は往々に怖い人が多い。高ランクの依頼は対象のだけでなく、地域も過酷なことが多い。その中で依頼を遂行するには実力だけでなくくじけない精神力もまた不可欠なのだ。
以前、学院に講師として訪れたSランク勇者も怖い人が多かった。これから勇者を志す者がおどおどするな、と怒られたことは今でもよく覚えている。
「ダメダメ。会う前から気後れしてちゃダメよ、アリーゼ」
自分自身を奮い立たせるように言って、両手で軽く頬を叩く。今回の訪問は退学の危機が目前に迫る中の最後にして最大のチャンスなのだ。たとえどんな結果になろうとも悔いのないようにしたいというのがアリーゼの本心だった。
「……でも、本当に怖い人だったらどうしよう」
そうは言っても不安の種は尽きないアリーゼである。とにかく失礼のないように何度も資料を読み込む彼女であった。
「でも、たとえ怖い人だったとしても……わたしは絶対に諦めない」
アリーゼは腰に携えた剣をそっと握った。
それは自身の先祖でありながら大英雄と呼ばれるロイエスが愛用していたとされる剣だ。血統に代々受け継がれてきた剣だが、今では刀身も錆びてろくな使い物にならないということで半ば押し付けられる形でアリーゼが管理していた。
戦闘で役立つことはないが、今回の遠征に際してお守り代わりに持ってきたものだ。それはまるで憧れる勇者が傍にいるような気がして心が少しだけ安らぐからだ。この剣がアリーゼにとって唯一自身とロイエスを繋ぐものであり、心の支えとなっていた。
「……でも、やっぱり怖い人じゃないといいな」
列車はそんな不安まみれのアリーゼのことなど露知らず、彼女の目指す地へと進んでいく。
目的の地方都市に着いたのは徐々に空が紅に染まり出した頃だった。列車から降りたアリーゼはうんと背伸びをする。学院長が押さえてくれた列車はそれなりに高級な列車だったらしいが、やはり不慣れな長旅は身体が強張るものだ。
「えっと、宿屋は……」
後続の乗客が降りていく中でアリーゼは列車とともに学院長が手配してくれた今夜の寝床を探しながら歩く。
「あったあった」
しばらくして目的の宿屋を見つける。
「ごめんください」
カランカランと入店を告げる鈴がなる。どうやら一階が食堂になっており、客室は二階にあるようだ。
「あ、いらっしゃいませ」
ややあって受付と思われる男性が急ぎ足で近寄ってきた。少し遅れてきたことからも分かるとおり、なにやら店内が少し騒がしいようだった。
「なにかあったんですか?」
男性が受付を行っているのを待ちながら興味本位を訊いてみる。
「ええ。実は少し前に言い掛かりをつけてきた勇者のお客様がいらっしゃいまして。騒ぎ自体はもう解決したんですが、その騒ぎの後片付けに追われているんです。営業に支障はないので安心してください」
(勇者がそんなことを……?)
内心で疑問符を浮かべるアリーゼ。エストレア学院やうわさで耳にする勇者の活躍はどれも害意のある魔獣の討伐や人々を守ったという輝かしい功績ばかりだ。アリーゼの勇者に対する印象としてそんな横暴を働くと思えなかった。
受付を済ました男性は鍵をアリーゼに手渡す。鍵には部屋番号が書かれている。
「それで、その騒ぎを解決したのって誰なんですか?」
俄然興味が湧いてきたアリーゼはさらに深く尋ねる。勇者といえば魔法を行使できる。それを以てすれば一般人を制圧するなど造作もない。そんな勇者をいったい誰がどうやって止めたのか気になった。
「それが同じ時間にお食事をしていたお客様でして、そうえいば魔石のブレスレットはしておられませんでしたね」
魔石のブレスレット――勇者を志す者なら誰もが知っている勇者の証しであり、憧れのものでもある。魔力に反応してブレスレットに刻まれた名前が浮かび上がる機能を持つ。
魔石のブレスレットを所持していない時点で勇者でないことが確定するのだが、まさか本当に一般人が勇者を止めたということなのだろうか。だとすれば、途轍もない実力者だ。
「その人の容姿がどんな感じだったか覚えてないですが?」
これから会う人物と符号する部分があった。その人物も高い実力を持ちながら勇者ではないのだ。同一人物である可能性は十分にある。
「そうですね……。確か黒髪に紫色のような瞳が特徴的だったと思います」
(同じだ)
アリーゼはこっそりと手に持った写真を見遣る。その写真の中にいる人物の特徴と完全に一致していた。
「その人がどこに行ったかまでは分からないですよね?」
「申し訳ありませんが、そこまでは……。ただ勇者ギルドに報告すると言っていたので、そこに行けばなにか分かるかもしれません」
ますます以て同一人物の可能性が高くなった。勇者ギルドのほうには学院長から今日の訪問について伝わっているはずなのでいずれにしても訪れたほうがいいだろう。
「ありがとうございます。あの、荷物を部屋に置いたら鍵を持ってきますので預かってもらっていいですか? 少し行きたい場所があるので」
「かしこまりました。お帰りが遅くなる際は夜道にお気をつけください」
アリーゼは足早に荷物を部屋に置き、それから暗闇に染まりつつある外に繰り出した。
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