第3話

 小さな地方都市にある宿屋。決して繁盛しているとは言えないが、味と値段のバランスが取れた料理は駆け出しの勇者にはそこそこに評判だった。

 その一階の食堂で一人の青年――ゼノウ・エレティコスが食事を取っていた。決して体躯がいいとは言えないが、吸い込まれるような黒目と黒髪はどことなく異質な雰囲気を放っていた。

「だからタダにしろって言ってんだよ」

 そんなゼノウの席から少し離れた場所で男性が怒気を孕んだ声を上げた。振り返ってみれば、二人組の男が店員にいちゃもんを付けていた。

「ですが、私どもが料理をお客様にお持ちしたときにはそのようなものは……」

「お前らが気付かなかっただけだろ。こっちは危うく異物を飲み込んじまうところだったんだぞ。それともなにか、俺たちが嘘を言っているとでも?」

 そう言って柄の悪い男は自分の手首を店員に見せつけた。その手首には魔石のブレスレットがあり、店員の顔が強張るのが遠目に分かった。

「そっちがその気ならこっちにも考えがある。勇者とド田舎の店の主張とどっちを信じるだろうな」

 厭らしい笑みを浮かべる。

 男の主張を聞いていた周囲もにわかに騒然となる。自分の料理にも異常がないか確認を始めてしまった。店員が必死に説明するが、誰も聞く耳を持たない。一度こうなってしまうとなんの力も発言力もない店員には収拾することは不可能だ。

 言い掛かりを付けた男は勝ち誇ったのような笑みを浮かべている。

「はぁ……」

 全く以て低レベル。ゼノウは短くため息を吐いて立ち上がった。

 目指す先は現在進行系で言い掛かりを付けている二人組の男だ。

「あの」

「あっ? 誰だよお前。こっちは今取り込み中なんだ」

「そのことで一つ言いたいことがある。その料理に入っている異物、自分で入れたものだろ?」

 思わぬ指摘に言い掛かりを付けていた男の瞳がわずかに揺らいだ。

「な、なにを言ってやがる。だいたいそこにそんな証拠が」

「料理が置かれて店員が戻ったあと、あんたはポケットからなにかを取り出すのを俺は見ていた。証拠っていうならポケットの中身を見せてくれよ」

「い、言い掛かりだ!」

 もう一人の痩躯の男が叫ぶ。

「言い掛かりなのはどっちだ」

「て、てめぇ。勇者に楯突いたらどうなるか分かってんか?」

「どうなるのか是非教えてもらいたいね」

「ナメやがって!」

 完全に怒りが頂点に達した男は室内であることも忘れて魔法を発動する。

 突如として男の周囲にいくつかの火球が顕現し、一斉にゼノウに向かって飛翔する。魔法自体は炎系魔法の基礎中の基礎だが、少なくとも室内で放っていいものではない。そんな判別も付かないのかと、ゼノウは内心でうんざりする。

「あ、アニキ、さすがにやりすぎじゃ……」

「いいんだよ。あれだけ虚仮にされて黙ってられるか」

 男の憤りを具現化するように火花を散らしながら猛進する火球。このまま行けばゼノウが怪我をするどころか、店自体が燃えてしまうだろう。それでもゼノウはいたって冷静だった。

「――〝散れ〟」

 そう一言。その言葉を放った瞬間、火球は一つ残らず霧散した。

「なにっ?」

 男は一瞬意味が分からないというように怪訝な顔をする。だが、その意味を深く考えるより怒りが先行し、立て続けに魔法を発動する――が、結果が変わることはなかった。ゼノウは涼しい顔でそこにいた。

 勇者が一般人に負けることなどあってはいけない。大衆の前で恥をかきプライドが汚されたことで男はいよいよ収まりがつかなくなった。魔法が通じないのならと力任せにゼノウへと飛び掛かった。

 ゼノウは冷静に男の動きを見極める。男の腕が突き出された瞬間、その勢いを利用してそのまま男を背中から床に叩き付ける。呻き声を漏らしたかと思うと、男はそのまま意識を失った。

「あ、アニキっ!?」

 まさか倒されてしまうと思っていなかったようで、取り巻きだった痩躯の男は分かりやすく狼狽した。

「今すぐこの店から出ていって二度と立ち入らないことを誓えるなら見逃してやる」

 ゼノウの刺すような鋭い視線に完全に戦意を失った痩躯の男は今まで一緒だった気を失っている男をあっさりと見捨てて逃げていった。

「伸びてるこいつについては近くの勇者ギルドに報告しておく。おそらく勇者の資格を剥奪されることになるだろうな。もうこの店に来ないだろうから安心してくれ」

「助かりました。ありがとうございます!」

 店員は感謝しきれないというように何度も頭を下げる。他の客からも拍手が沸き起こる。

「俺はこのまま勇者ギルドに報告しにいくから会計を頼む」

 そう言ってゼノウは代金を差し出す。

「店を守ってもらいましたし、そのお礼ということで今回は無料で――」

「そういうわけにはいかない。食った分はしっかり払わしてくれ。さっきの男たちの分も入っているし、受け取ってくれ」

 受け取ろうとしない店員に代金を押し付けてゼノウは店をあとにした。


 ゼノウが今日外出したのは宿屋に行くだけはない。宿屋に立ち寄ったのはちょうど空き腹だったからだ。本当の目的は勇者ギルドに依頼達成の報告をすることだった。

「おーい、誰かいるか」

 勇者ギルドの受付カウンターで人を呼ぶ。

「はいはーい。どちら様でしょうか――って、ゼノウさんじゃないですか。今日はなんの御用です?」

 受付カウンターの奥の扉から一人の女性がやってきた。口調や雰囲気は明るく、赤みがかった頭髪がその印象をより強くしている。

「ここ最近の仕事の報告にきた。色々立て込んでて顔を出せてなかったからな。まとめて持ってきたかた処理してくれ」

 そう言ってゼノウは持参した荷物をどかっとカウンターに置いた。荷物から角や羽らしきものを次から次からへと取り出しては並べていく。どれも通常の生物のサイズから考えられないくらい巨大だ。

「全部で十個分の依頼だ」

「はい、確かに。いやーいつもゼノウさんには感謝してますよ。さすがは勇者様」

 茶化すように言いながら、女性は提出されたものを確認へと回す。

「ローレヌ、その呼び名はやめてくれと言っているだろ」

 ゼノウが露骨に嫌な顔をする。

「じゃあ掃除屋とお呼びしましょうか」

「そっちも別に許可した覚えは……まあ、勇者と呼ばれるよりましか」

「でも、実際ゼノウさんはそこら辺の勇者よりはよっぽどいい働きをしていると思いますよ」

 いつも能天気そうなローレヌが物憂げなため息を吐く。それから堰を切ったように、近頃の勇者と来たら……、とローレヌは滔々と語り出した。

「依頼を受けてくれること自体は私たちとしてもありがたいんですけどね。ただ、明らかに不釣り合いな依頼を受けることも多くて……。大方、実入りや名声目当てなんでしょうけど、挙げ句できませんって言ってくる始末ですよ。最近は言ってくれるだけまだましで、無断で依頼破棄なんてことも珍しくなくてクレームは仲介の私たちに来るし、もうやってられないですよ」

 日頃の恨みつらみの募った愚痴は止まる所を知らない。相当鬱憤が溜まっているのだろう。下手に遮ろうとせず黙って聞いておくことにした。

「昔はもっと依頼主のことを考えてくれる勇者も多かったんですけどねぇ。今は勇者の育成施設も増えて依頼の受注率こそ良くなってますけど、勇者の質は悪くなる一方で……。いったいどうなっちゃうでしょうね」

 昔どこかの誰かが言った――勇者の粗製乱造時代。今の世の中を表す言葉としてこれほど適切なものはない。

「かつての大英雄の皆さんもきっと泣いてますよ」

 ローレヌにそう言われてゼノウは勇者ギルドに飾られた時代を築いた大英雄たちの肖像画に目を向ける。

 大英雄の気品と豪傑さを見事に再現し、それが額縁を飛び越えて見る者に熱意と勇気を与える、そんな力強い魅力を秘めていた。かつての勇者たちもそれに感化されるように志を持っていたが、それらが現代の勇者にどれだけ伝わるのだろうか。いや、先の宿屋での勇者然り、もうすでにそんな殊勝な志を持った勇者はとうにいなくなってしまっているのかもしれない。

「いっそゼノウさんが教鞭を執って根性叩き直してくださいよー。これだけの依頼をこなせるゼノウさんならきっといい先生になれると思いますよ。それかいっそのことゼノウさんが勇者になって最前線に立つとか」

「俺が?」

「はい。それで軟弱な今の勇者の根性を叩き直して、手本になってください」

 ゼノウはこれまで勇者が身勝手に放棄してきた依頼の後始末を行ってきた。その全てを完璧にこなし、強力な魔獣相手にも一切引けを取らないその実力は師として教壇に立つに相応しいだろう。

「……あの、ゼノウさん?」

 ローレヌとしては褒めたつもりだったのだが、ゼノウの表情はひどく浮かないものだ。

「悪いけど、俺に師は似合わないしその資格もない。勇者そのものもな」

 それはひどく絶望したような顔だった。滅多に見ないゼノウの暗澹とした表情にローレヌが対応に困っていると、

「確認が終わりました」

 助け舟を出すように確認を終えた職員が報告とともに報酬を持ってくる。ローレヌは内心助かったと思いながら報酬の中身の確認してからゼノウへと渡した。

「今回の報酬です」

 袋一杯に詰められた大金。普通の人なら喜んで受け取るその報酬をゼノウは一瞥だけして言った。

「報酬はいらないと、以前にも言っただろう」

「そうはいってもですねぇ、これも規則ですから。支払わないと私が怒られるんですよ。だから受け取ってくださいよ」

 以前にもゼノウは報酬の受け取りを拒否したことがある。ローレヌは半ば押し付け気味に報酬を手渡し、ゼノウはそれを渋々受け取った。

「それにしても報酬がいらないだなんて、珍しいですよね。私だったら喜んで受け取るのに」

「命を奪っているのに報酬を貰えるなんて、そもそもおかしな話だと思わないか?」

「そ、そうですか?」

 まるで自分たち――勇者ギルド側を糾弾されたと思ったのか、ローレヌの反応には若干の戸惑いがあった。

「危害を加えるから、農作物を荒らすから、危険かもしれないから――どんな大義名分を掲げようとも命を奪っているという事実が消えることはない」

「でも、人が襲われたんですから討伐するのは当然じゃないですか? 現にオークやゴブリンによる農作物の被害は増える一方ですし」

「一理ある。だが、人には人の道理があるように彼らにも彼らの道理がある。そこを調停するのが勇者の役割だと俺は思っている」

 そう言って、ゼノウはもう一度だけ大英雄たちの肖像画を見遣る。

「いつから勇者は、奪うことしかできなくなったんだろうな」

 問うようなその言葉には誰も答えない。ローレヌも、肖像画も。

「変なことを言って悪かった。別に勇者ギルドを責めようってわけじゃない。ただそういうわけで俺は報酬を受け取らないようにしていたっていうだけのつまらない話だ。忘れてくれ」

 そう言ってゼノウは勇者ギルドを出る。

 眩しい陽光がゼノウを照らす。

「――勇者とは、種族を繋ぐ者」

 かつてロイエスが精霊王から力を授かったときに言ったとされる言葉。この言葉を体現できるは勇者はもうこの世に存在しない。

「もうこれから先、期待なんてできないさ。俺自身にも、今の勇者にも」

 誰に言うでもなく、吐き捨てるようにゼノウは呟いた。

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