第2話

「……退学、ですか?」

 目の前に突き付けられた現実にブロンドの長髪の少女――アリーゼ・フォンレットは絶望に染まった声で答えた。やっとの思いで絞り出した声は聞き取れるか怪しいくらいにか細く弱々しい。今にも膝から崩れて落ちてしまいそうであった。

「まだ正式に決定したわけではないが、君の今の成績ではそうなる可能性が高い」

 あくまで冷静に客観的事実を述べるのは、エストレア学院の七代目の学院長であるシャレイネ学院長だ。彼女の補佐を務める身なりの整った男性はただなにも言うでもなく、じっとユリアを見つめていた。

「でも、今までそんなことなかったのに、どうして急に……」

 一流の勇者の育成を目指すエストレア学院は十年制だ。三年間のみっちりとしたスケジュールで勇者としての基礎を鍛え上げる。そののち七年間にも及ぶ期間で実地も含めて経験を積み、世の中に一人前の勇者として送り出す。学院長の執務室の天井付近に並べられた名だたる大英雄たちの顔触れを見れば、いかにエストレア学院が優秀な人材を輩出してきたかが分かる。

「今までの三年間は、謂わば素養を判定する試金石だと言っていい。一年のときは成績が振るわなかった生徒も地道な研鑽により実力をつけた者もいる。どうして、三年という猶予を持たせているか、分かるか?」

 鋭い目付きで以てアリーゼに問う。それは罪人を詰問するような場面を思わせるものだ。

「……実地があるからですか?」

「そうだ。四年生からは現役で活躍する勇者と肩を並べて依頼をこなすことになる。そこは学院のように安全が保証された空間じゃない。もちろん、学院もサポートはするつもりだが、それでも起きてしまうのが万が一というものだ。そして、その万が一に唯一対処できるのが当事者の能力だ。要は最低限の身を守る術くらいは身に付けていてくれないと困る、そういうことだ。ここまで言えば、私の言いたいことは分かってくれるか?」

 自覚せざるを得なかった。今の自分に最低限の身を守る術すらないことを。

「君が入学してからずっと絶え間ない研鑽を積んできたことは私も分かっている。だが、今の君の実力ではとても心もとない」

 エストレア学院の生徒の多くは幼少期から勇者としての英才教育を受けていることがほとんどだ。そのため飲み込みも早く成長が早い。その中でアリーゼの実力はある意味でとても目立っていた。

「これから先は常に死が隣り合わせの世界に飛び込むことになる。中途半端な実力で踏み入れば危険だし、なによりも君自身が苦しい目に遭う」

 シャレイネはアリーゼの目を真っ直ぐに見て諭すように言葉を紡ぐ。叶わぬ夢を見続けることよりも辛いことはない。ましてそれでまだ若い命を落とすことなどあってはならないことなのだ。

「……それがわたしが退学になる理由なんですね」

 自分の中で噛み砕くようにアリーゼはゆっくりと言葉にする。ここまで理路整然と理由を並べられては反論のしようもなかった。なにより、実力不足を誰よりも自分が理解しているからこそ、無理な反論は余計に虚しくなるだけだった。

「――と、ここまでは学院長としての言葉だ」

 退学を決意したアリーゼを余所にシャレイネは切り替えるように言った。

「ま、今までの話は君が一番理解しているだろうし、ただの前置きだ。……少し二人だけにしてくれないか?」

 シャレイネは付き人に退出するよう促した。付き人は一瞬怪訝そうな顔をするが、特に言及することなく執務室から出ていった。

「さて、ここからの話は君を応援する者の言葉として聞いてほしい」

 ごくりとアリーゼは無意識に息を呑んだ。二人きりにしてまでする話といったいどんなものなのか。

「先のとおり、今の君の実力では退学を免れることはできないと思っていい。さすがに私も虚偽の報告はできないからな。だから、退学を免れるには君自身が己の実力を証明するほかない。最低でも自分の身を守ることはできると示す必要がある」

「そ、それは無理ですよ。だって、実力がないからここにいるわけですし……」

「もっとだ。だが、それを証明できる方法があったら――どうする?」

「――えっ?」

 自分でも知らないうちに声を出していた。願ったり叶ったりの情報にアリーゼも少しだけ前のめりになる。

「私から提示することは二つ。まずは実力を証明になるものだが、毎年三年生は勇者適性試験を受けることは君も知っているな?」

 こくりとアリーゼはうなずく。

 勇者適性試験とは、毎年各地で行われる勇者の素質を見抜くための試験だ。勇者候補生となるための最終関門として立ち塞がる勇者の登竜門である。いかな成績優秀者でもこの試験で合格できなければその時点で勇者への道は閉ざされる非常に厳しい試験となっている。それは裏を返せば、たとえ学院で成績が振るっていなかった者も試験で合格を掴み取れば道は開けるというわけだ。

「上の連中も適性試験で合格したとなれば退学にできないだろう」

「方法は分かりました。でも、それに合格できるほどの実力は今のわたしには……」

「だからこそ、二つ目だ。この男を知っているか?」

 差し出される写真の一枚。そこには吸い込まれるような黒髪に悪魔を連想させる紫がかった瞳の男が映っていた。

「名はゼノウ・エレティコス」

 アリーゼは首を横に振った。聞いたことも見たこともない。有名人なのだろうか。

「有名人なんですか?」

「あまり表舞台に立つ奴ではないからな。ただ、一部の間で〝掃除屋〟として有名なんだ」

「掃除屋?」

 またも聞き覚えのない単語だ。

「勇者ギルドから誰かが受注した依頼がもし失敗になったら、どうなるかは知ってるか?」

「確か代役を立てて、その人に遂行してもらうんですよね」

「そうだ。ただ緊急度が高さやランクが高い依頼はそうもいかない。適任者でなければまた失敗するかもしれないし、そもそも高ランクになればなるほど適任者はそう簡単には見つからない。そこで登場するのが〝掃除屋〟だ。彼の依頼達成率は百パーセント。つまり一度も失敗したことがないということだ」

 なんとなく学院長の言いたいことが分かってきた。

「勇者ではないのですか?」

「まあ言ってしまえばそうなんだが、本人は勇者と言われることを嫌っていてな。ただ言ったとおり、実力は申し分ない」

「つまり、それだけ実力がある人に教えを乞う……ということですか?」

「物分かりがいいな。まあただ気難しい奴ではあるし、はっきりいって断られる確率のほうが高いと思っている」

「そうなんですか……」

 露骨に暗い顔をするアリーゼ。当然だ。唯一の希望でさえ望み薄なのだから、不安に思うのは仕方ないことだろう。

「とはいえだ。可能性があるのなら賭けるべきだと、私は思う。君だってなにもしないで退学を座して待つなんてことはしたくないだろう?」

 焚きつけるようにシャレイネの言葉には熱があった。

「はい。わたしもできることは最後までやりたいです」

 不安な気持ちを吹き飛ばすようにアリーゼは精一杯に声を張る。

「その意気だ。出発の手筈はこちらで整えておく。荷造りを忘れるなよ」

「はい!」

 小気味好い返事でアリーゼは執務室を飛び出していく。入れ替わりで今まで席を外していた付き人が執務室に戻ってきた。

「ここへきたときより幾分かいい顔つきで帰っていきましたが、また彼女になにか吹き込んだんですか?」

 少し咎めるような付き人の口調にシャレイネはさてね、とはぐらかすように言う。

 相変わらずの態度に付き人はため息を吐く。それから執務室に並ぶ大英雄たちの顔触れを見ながら続けた。

「現実とはままならないものです。大英雄の一人であるロイエス・フォンレットの子孫。同じ血統の人間が目覚ましい活躍を残す中、ただ一人だけ実力も成績も最下位。その乖離が彼女の中にどれだけの葛藤や苦しみを生んでいるかは想像に難くないでしょう」

 エストレア学院の生徒の多くが有名な勇者の血筋を引いている。その中で一人だけ大英雄の子孫でありながら落ちこぼれという事実は彼女の心をどれほど蝕んでいるか。

「偉大なる先祖の背中を追い続ける少女。聞こえはいいですが、それは先の見えぬ隘路を歩き続けるようなもの。学院長が彼女を人一倍気にかけているのは分かります。私も彼女の直向きに研鑽を重ねる姿には感服します。ですが、それが無謀な夢を後押しする理由にはなり得ません。学院長も知っているでしょう。無謀な夢を追い続けた者がどのような末路を迎えるかを」

 問われたシャレイネは、やはりなにも答えなかった。

「こんなことを言うべきではないと承知の上で言いますが、彼女の実力――いえ、素養そのものが最底辺といっても過言ではない。たとえ先達に教えを請うたところで見込みがあるとはとても……」

「確かに今の彼女に足りないものはあまりに多い。勇者になるなど夢のまた夢」

「それならば説得を」

「しかしだ。そんな彼女にも一つだけ誇れる大切なものを持っている。それはこの学院の生徒――数多くいる勇者が忘れてしまったものだ。それがなにか分かるか?」

「……いえ」

「志だよ。彼女がこの学院に入るとき、なんと言ったか覚えているか? 『人と他種族を繋ぐ架け橋になりたい』とそう言っていた」

 そのときのことを思い出すようにシャレイネは言葉を繋ぐ。

「多くの講師は鼻で笑ったが、私は確かに見た。彼女の瞳の奥に宿る熱意を」

「だから彼女に期待しているわけですか」

「期待……か」

 そう言ってシャレイネは窓の外に広がる世界に思いを耽る。

「勇者とは本来、人類と他種族の調和を取り持つ存在だ。しかし、かの大英雄たちが人類の生活基盤を築いてから数百年。勇者という職業は様変わりしてしまった。ある者は富のために、ある者は名声のため、ある者は己の力を誇示するために。尊ばれる職業だったのは今や昔。私利私欲にまみれた勇者に溢れ、しまいには勇者不要論まで出てきてしまう始末だ。一度は友好関係にあった他種族との関わりも年々悪化の一途を辿っている。今の世を過去の英雄たちが見たらどう思うだろうな」

 理想とはかくも儚いものだ――付き人にはシャレイネが言外にそう言っているような気がした。

「エストレア学院はそんな勇者社会の縮図そのものだ。様々な思惑渦巻く中で生徒たちは各々の目指す勇者像に向かって走り続ける。その中で彼女が放つ輝きが周囲にどんな変化をもたらすのか。私は楽しみで仕方がないんだ」

「彼女が折れてしまうことになるかもしれませんよ」

「折れないさ。彼女ならきっと」

「そうだといいのですが……」

 期待半分。不安半分。学院長として一人に肩入れするのは良くないと思いつつも、シャレイネはアリーゼの行く末を祈った。

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