第一章

第1話

 そこに勇者だったものが転がっていた。

 体温はとうに失われ、人語を話すことは決してない。亡骸は自然の摂理に従って幾ばくもしないうちに、己を過信した慢心とともに地へと還るだろう。

「……はぁ」

 青年はため息を吐いた。ここ数日、もう何体もの勇者の亡骸を見てきたからだ。今日も不釣り合いな実力の勇者が同じ依頼を受諾し、まさかと思って追いかけてきてみればこの様だ。もちろん、数々の勇者を殺めたのは青年ではない。今も青年の目の前で殺意を溢れさせている魔獣である。猛々しい牙と見る者を圧倒する巨躯は数々の戦いを制してきた歴戦の猛者を彷彿とさせる。巨大な牙から察するにおそらくは猪が魔獣化したものだろう。

「ガルルゥウ!」

「そんなに慌てるな。こいつを弔わせてくれ」

 威嚇してくる巨躯の魔獣にまるで赤子をあやすように言って、青年は亡骸に祝詞を捧げる。教会主導で行われる儀式と比べればあまりに貧相だが、誰にも弔われないまま、人知れずこの世を去るよりはいいだろう。

 よく見ると、勇者の亡骸の近くには壊れた魔石のブレスレットの欠片が転がっていた。機能を完全に失った魔石の欠片は魔力を当てても名前は浮かび上がらなかった。

 青年はその欠片をしばし無言で見つめたあと、亡骸の上に置いた。

「勇者様には己の実力を正確に把握してほしいもんだな」

 半ば呆れるように言って、青年は今度こそ魔獣に向き直る。

「己の実力を正確に把握しないまま格上の魔獣に突っ込む無謀をしたのはこいつの瑕疵だが、人を無闇に襲う魔獣は見過ごせない」

 そもそもとして、こんな無謀な勝負になった原因は目の前の魔獣が勇者ギルドで討伐対象として依頼が出されているからだ。今の世間的な勇者の立ち位置や実入りを考えれば、無茶をする奴は必ず出てくるのだ。

「俺は今の勇者の在り方は気に入らない。が、あいつらにだって生きる権利はある。よって、今ここでお前を討伐する」

 青年は動けないままの――否、今まで動きを封じていた魔獣の鼻っ柱に強烈な打撃を入れる。殴っただけとは思えない勢いで魔獣は地面を転がって樹木に衝突する。

 枝に留まっていた小鳥たちが一斉に飛び去っていく。

 突き飛ばされた魔獣は憤慨したように鼻息を荒くする。まだ立ち上がるだけの力は残っているようだ。討伐対象として指定された強さは伊達ではないようだ。しかし、それは青年にとって然したる問題ではなかった。

 幾ばくもしないうちに魔獣が肉薄する。その勢いのまま魔獣は青年を突き飛ば――さなかった。否、突き飛ばせなかった。まるで今まで勢いが嘘のように魔獣は青年の右手の前で静止していたのだ。

「だが、お前らにも生きる権利はある」

 青年は、ふと目を伏せた。

「……ごめんな」

 言葉に悲しみの彩を宿して、告げた。

「せめてひと思いに――」

 刹那。魔獣はさきほどの打撃ときとは比にならない速度で吹き飛んでいく。バキバキと木々を薙ぎ倒して、一際大きい大木に衝突してようやっと止まった。

 息絶えた亡骸を前に青年は小さく祝詞を捧げた。

 今の世界が勇者の粗製乱造時代と揶揄されるようになったのは、今からおよそ半世紀前のことである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る