第11話 レジェンド

 僕の家の向かいには、一軒の古い床屋がある。確か名前は、『散髪店 むらせ』だったと思う。

 古い床屋と言うのも、散髪店というネーミングもさることながら、何と言っても見た目が古臭い。店の窓を覆うようにと三段に棚がくくりつけられ、その棚には今にも枯れそうな観葉植物が無造作に置かれている。


 それに今流行はやりのカラフルなサインポールではなく、僕が物心付いたときからすでに、小さなブラケット式のそれが入口ののきの下でくるくると回っていたからでもある。

 店は特別に流行っていると言うわけではないようだが、かといってつぶれることもなく、その床屋はずっと以前からそこにずっと店を構えている。


 ただ不思議なことに、僕はただの一度もその床屋を訪れたことが無かった。

 古臭い感じなので、と言ってしまえば話は簡単だが、僕は、むしろその店の前でたまに見かける床屋のおじさんの雰囲気に二の足を踏んでいたのかもしれない。


 つまりはそのおじさん、どことなく怖いのである。


 床屋のくせに髪の毛はボサボサで、黒縁の眼鏡の中からジロリとにらまれると背筋がぞっとするほどである。

 だから僕はいつも床屋へ行くときは、隣町にある洒落しゃれた感じの「バーバーフジノ」と決めていた。

 ところが・・・


 ところがその日、友達の結婚式への参列を明日にひかえた僕は、髪の毛だけでも整えようと隣町まで出かけようとした。

 しかし生憎あいにく今日は火曜日、「バーバーフジノ」の定休日である。

 ふた駅先にも床屋はあるのだろうが、何せ今までに一度も行ったことが無いのである。行ってみて、定休日でしたと言うのでは、いささか割に合わない。


 仕方なく僕は、家の目の前にある『散髪屋 むらせ』に行くことにした。

 (はて、そういえば料金は幾らぐらいなのだろうか?・・・)

 ふと心の中でそう思いながらも、僕は三千円をポケットに入れると、その店のドアーを押し開けた。


 「カラン、コローン」

 レトロなドアベルの音がする。

 (ここは、昭和の喫茶店か?・・・)


 思う間もなく、店の主人が僕に声を掛けて来た。

 「お客さん、今だと20分待ちだよ」

 (えっ?・・・)

 店の中を見回す。

 待合席にはお客が二人。二人ともかなりの年配者である。

 (2人も客が居るのに、たったの20分待つだけだって?・・・)


 でも、それよりも僕がもっと驚いたのは、この床屋のご主人、どこからどう見ても優に八十歳は越えているようである。黒縁の眼鏡は相変わらずだが、あのころ見ていたボサボサ頭はいつの間にかすっかり白髪に変わっていた。

 

 「はい、仕上がりましたよ」

 イスに座っていた老人の散髪が終わったようである。

 「いつもどうもね」

 老人はひと言お礼を言うと、何某なにがしかのお金を支払っていく。僕はまじまじとその後ろ姿を目で追った。


 なるほど、襟足も丁寧にそろえられているし、別段おかしなところがあるわけでもなさそうだ。それに、料金の方も法外な値段を吹っ掛けられるというわけでもなさそうである。

 僕は今まで自分が持っていた偏見に少しの後悔を抱きつつも、待合席のイスに腰を下ろした。


 「次の方」

 ご主人の声に、隣に座っていた年配の紳士が立ちあがる。彼は散髪台に座ると、鏡に向かって静かに目を閉じる。

 それをいろいろな角度から眺めるご主人。

 数分後、何の会話もないままいきなりハサミが入れられる。

 (ええっ?・・・) 

 僕が驚いていると、目の前に座っている年配の男がニコリと微笑みかけて来た。


 「はじめてだと驚くよね。でも彼レジェンドだから」

 「レジェンド?・・・」


 「そう、ああ見えても彼、若いころから何度も床屋の大会とかで賞をもらっているほどの実力者なんだよ」

 「実力者?・・・」

 僕はもう一度ご主人の方を振りかえる。彼は背中を丸めると、一心不乱にとハサミを動かしている。


 「カラン、コローン」

 そこへ次のお客が入って来た。これまたかなりの年配者である。

 (何だよ、ここは老人の集会所かよ・・・)

 と、すぐにそのお年寄りも話しかけて来た。


 「おや、若いお客さんとは珍しい。あなたもレジェンドの腕にかかれば、見違えるようになりますよ」

 「はあ?・・・」

 

 「はい、仕上がりましたよ」

 (えっ、もう? まだ10分と経ってはいないだろうに・・・)

 振り返ると、先ほどの老紳士が襟を小さなほうきで掃ってもらっている。

 「いつも、すまないね」

 言いながら、彼は全身を鏡に映す。

 きっと満足のいく仕上がりなのだろう。老紳士は何度も頷くと、上機嫌で店を出て行った。


 「次の方」

 ご主人の声に、僕の向かいに座っていた年配の男が立ちあがる。彼も先ほどの老紳士と同様に、散髪台へと腰かけると何の躊躇ためらいもなく目を閉じる。

 当然ご主人は、それをいろいろな角度から眺めている。


 数分後、これまた同じように、一言もしゃべることなくハサミが入れられた。

 (ほんとだ、何も聞かなくてもその人の髪型が分かるんだ。確かにレジェンドと呼べる人なのかもしれないな・・・)

 僕は心の中でささやかな拍手を送る。

 相変わらず彼は背中を丸めながら、一心不乱にとハサミを動かしている。


 「はい、仕上がりましたよ」

 (これまた10分とはかかってないじゃないか、まさにレジェンドの名にふさわしい!)

 「あっ!」

 年配の男は財布の中身を見ると、急に困った顔をする。

 「悪いね、お金が入ってないよ。今度の時にまとめてでも良い?・・・」

 ご主人は何も言わずに二コリと微笑む。つまりは、了解したということなのだろう。

 (なるほど、レジェンドともなるとこんな小さなことぐらいでは動じないってことなのだろうか?・・・)

 僕の中では、ますます期待が膨らんできた。


 「次の方」

 (僕の番だ・・・)

 「はい・・・」

 喜び勇んで散髪台に座ると、僕も皆と同じように黙って目を閉じる。そして数分後、最初にハサミが入れられるときの感触をワクワクしながら待つ事にした。


 「・・・さん?・・・」

 (んっ?・・・)

 「お客さん?」

 「えっ、はい?」

 「どのようにしますか? 黙っていたら分かりませんよ」

 ご主人は、鏡に映った僕の顔に問いかける。


 「えっ、だって黙って座っていれば、その人の一番似合う髪型にしてくれんじゃないんですか?」

 「誰がそんなことを?・・・」 

 なおも不思議そうにと聞き返す。

 「だって、さっきの皆さんがご主人のことをレジジェンドだって・・・」

 何だか狐につままれたような感じである。


 「さっきの?・・・」

 ご主人は、思い出すようにとニッコリ微笑む。

 「ああ、徳さんや雅春さん達のことね。そりゃあそうだよ、あの人達とはもう60年代の付き合いなんだから、黙ってたってどんな髪型にするのか百も承知だよ」


 「ええっ?・・・」

 ご主人は待合席の方を見ると、後から入って来たお年寄りにも一声かける。


 「茂さん、もう少し待っててね」

 言われたお年寄りは、黙って片手を上げた。


 「で、お客さん、どのような髪型に致しましょうか?・・・」



【語彙】

レジェンド:伝説という意味。

伝説とは、ある人物や事柄などについて、語り継がれるような内容のことで、昔から言い伝えられてきた話などを主に伝説と言います。

現代では、ひとつのことを長く継続しているスポーツ選手や芸能関係者などにも使われます。


  


 



  

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