第12話 ディ ジャヴ

 私の名前は、飯島恵美。

 現在F中学の三年生。優しい父と、友達のような母の三人家族。

 文字通り、家庭に恵まれている私。もっとも、美しさの方は名前通りにはいかなかったようだけど・・・

 それでも今日は、来春J女学園への受験を控えている私を、少しでもリフレッシュさせてくれようと、父が家族旅行を計画してくれた。


 私達は車で、N県にある白里山の貸し別荘へと向かった。ここは、以前、父が大学のキャンプで来たことがあるというところである。


 車は山道を二時間ほど走ると、小さな集落へと入って行く。目指す貸し別荘までは、あとほんのわずかだということだ。

 私は何となく、車の窓から見える景色を眺めていた。


 「別荘へ着く前に、食物を買っていかないとね。それとビールも・・・」

 父はそう言うと、町外れの小さなスーパーに車を止めた。


 ぼんやりと外を眺めていた私は、ハッとした。何故なら、私は以前このスーパーを、どこかで見たことがあるような気がしたからだ。

 黄色い屋根に、ストライプの入った壁。

 そして、およそこんな田舎のスーパーには似つかわしくないような洒落たレンガ色のひさしが・・・

 ハッキリとではないけれど、確かにどこかで見覚えがある。


 私は、荷物を抱え込んで戻って来た父に尋ねてみる。

 「ねえ、お父さん。私が小さいころ、ここへ来たことがある?」

 「あるわけないだろう。お母さんだって今回が初めてなんだよ」

 父はビールのケースを荷台に積むと、一緒に買ったジュースを私に手渡す。


 「どこか、似ている場所と記憶がダブっているんじゃないの?」

 横で聞いていた母もそう言っていたが、私にはそのジュース缶のラベルにも、確かに見覚えがあった。

 赤い水玉模様に、なぜかどんぐりのキャラクターがプリントされている。他では一度も見たことがないものであったからだ。


 私は、もう一度父に尋ねる。

 「お父さん、もう少し行くと発電所があるんでしょ?」

 父は、少し驚いた面持ちでうなずいた。

 「その先がダムで、大きな湖があるの。水面に緑の山が映っていて、とても綺麗なのよ」

 急に、父は車を止めた。


 「恵美。なんでそんなことを知っているんだ?」

 「わからないわ、ただ、頭の中に浮かんでくるの。でも、その後のことがどうしても思い出せないの」

 父は、再び車を走らせた。母は何処にでも同じような所はあるものだと別に気にしている様子もなかったが、父は明らかに動揺しているようであった。


 しばらく走ると、右手の川沿いに白い建物が見えてきた。発電所のようだ。

 私は、自分の記憶とそれとが、あまりハッキリと一致しないことに気付いた。もしかしたら、母が言うように、本当に似たような景色を、どこかで見たんじゃないかって・・・

 しかし、私のその思いも、ダムを見たとたん、吹き飛んでしまった。確かにこのダムだ、私の頭に浮かんで来たのは・・・


 「恵美、このダムか?」

 やはり、父も気になっていたようだ。

 「何言ってるのよ、お父さんまで」

 母は、それを打ち消したいのか、少し強い口調で私の言葉を制する。それでも車はダムの脇を通り、湖へと差しかかる。


 「お父さん。私、ダムが見てみたい」

 見ると、そのダムは一部が観光用としても使えるようになっており、堰き止めた湖の中間まで歩いて行くことができる。ここから見えるだけでも、すでにそこには二十人ほどの人影があった。

 父は少しためらったが、なにせ、今回は私のための旅行なのだ。それでは言うことで、車はダムへとUターンをした。


 ダムの上は、本当に気持ちが良かった。そこだけ、夏だということを忘れさせてくれそうなくらい、湖を渡って来る風がすがすがしい。

 私は、湖が一望できるところまで歩いてみた。父も母も、もうさっきまでのことなど、何も無かったかのように、微笑みながら私の後を追いかけて来る。


 「お父さん、お母さん、本当にありがとう。私、こんなに楽しい旅行は初めてだわ」

 私は、心からそう思った。

 「恵美、ほら、こっち向いて笑って」

 父は得意そうに、私の写真を何枚も撮っている。母は、そんな父と私のやり取りを、目を細めながら嬉しそうに見ている。

と、その時、向こうの方で騒いでいる人の声が聞こえてきた。


 見るとは無しに、私たちもその声がする方へと向かった。



 「近寄らないで、もう何もかもおしまいよ!」 

 人だかりの向こうから、若い女の人の声が聞こえて来る。

 父と母は止めたが、私は何かに引き寄せられるように、その人だかりの中へと入って行った。


 「お父さんも、お母さんも大嫌いよ。学校の友達だって、もう信じられないわ」

 その少女は、声を荒げて叫ぶと、今にも、柵を越え、そのダムから飛び降りようとしている。


 「えっ?・・・」

 私は自分の目を疑った。


 「あの娘、私だ・・・」

 そう、私が見ている少女は、まさしく私自身であった。


 ところが、その少女は、私の目の前で、その湖へと消えて行った。

 つまりは、身を投げたのだ。


 あとには、来春、私が入学しようとしていたJ女学院のカバンと、さっきお父さんが撮ってくれた何枚かの写真だけが残っていた・・・

 (どうりで、何もかも思い浮かんだわけだわ。でも、そうすると、今ここにいる私って、誰なの? どっちが現実の私?)


 「もしかして、今の私がディ・ジャヴなの?・・・」



【語彙】

ディ ジャヴ:日本語では既視感(きしかん)ともいう。

これは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。フランス語由来の英語「déjà vu」よりデジャヴとも呼ばれる。

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