第7話 それぞれの想い(下)

 Day5。日曜日。


 昨日、晴人と話し合った。

 クソ猫とは明日、決着をつけよう。

 だらだらと攻撃されるのは気分悪い。

 金曜日みたくクソ猫に攻撃するチャンスを与え、そこを返り討ちにする。


 だから、今日は決戦に向けて気分を高める。

 巫女としてヒカル様に尽くすことで精神を集中させ、心を清らかに、そしてコンディションを最高にする。

 ヒカル様と心が繋がった時、私は最も輝けるはず。

 状況に応じて機転を効かせ、最も効果的な方法で敵を傷つけてやる。


 今日は洋装巫女装束のカシュクールブラウスを作ることにした。赤の洋装巫女スカートは来週作ろう。無事にあのクソ猫を撃退できたら、お礼として作るんだ。

 白だからインナーは必須だけど、なんにでもあわせることができそうだから、たぶんヘビーローテーションになる予感。

 肩から上品なドレープがあるだけで余計な飾りがなく、大人の雰囲気と真っ白の清々しさを演出。

 胸もとの合わせはもちろん和服と同じだから、右側に結び目が来る。

 店オススメの布は購入済みだし、小物も一通り揃っている。


 午前中は地直し、型紙写し、布の裁断。

 アイロンで布をまっすぐにして、心も素直にまっすぐにする。

 紙の向きと布の向きを合わせて写しとる。心は純粋に、正しい向きに。

 丁寧に布を切る。心のいらない雑念を切り捨てる。

 落ち着いて作業に集中する。

 うん。かなりZENな感じがする。

 ちょっと時間と布が余ったので、今回の最大の難所と思われる袖の練習をしておく。異なるカーブを合わせて縫わなくちゃいけないから、ハードルが高い。追加で袖のカーブの形に布を切って、ミシンで直接縫いをやってみる。

 まあまあな出来だったが、油断できない。

 お昼を食べながら、うまくできる方法を考えるよう、脳にバックグラウンド処理を行う指示をしておく。


 お昼の後は、主にミシンを使った作業だ。布を縫ってパーツを一つにする。端はジグザグミシン、袖と裾は折り返す。ジグザグミシンは直線縫いより遅いけど、はやる心を落ち着けるための修行だと思うことにする。

 その上、下準備もすごく大事だ。アイロンもすぐ近くに、必要なときにいつでも使えるようにスタンバイ。手首にゴムベルトで針山をつけて、いつでも刺したり使ったりできるようにする。目はいつでも生地に集中できるように。備えておくことが大切なことを実感する。


 ◇ ◇ ◇


 気分転換に樫払かしはら神社にお参りしよう。

 そう思いたち、午後の作業が一段落したときに自転車で樫払神社に向かう。

 すべての始まりは樫払神社。

 樫払神社でお願い事をしたら、ヒカル様に声をかけていただいた。

 最初は冗談かと思ったけど、現実だった。

 一年ちょっとのヒカル様との充実した日々。


 樫払神社はきれいで落ち着いた場所。

 まっすぐ前にある本殿の奥に森、そして山がある。

 丁寧に掃除された境内は広く、秋には菊まつりが行われる。

 快晴の抜けるような青空の下、光の粉が舞っている感じがする。

 明るい光が差し込む、心が洗われるような清らかな場所。

 ヒカル様との楽しい日々が頭をよぎる。

 ヒカル様はド変態だけど、それを受け入れるのは幸せなこと。


 やはり、ここは訪れるだけで清々しい気分になる。

 ここに来て本当によかった。

 そう実感しながら、しばらく樫払神社の雰囲気を体に染み込ませる。


 今日の参拝の目的は、気分転換以外にも、ある誓いをすること。

 手水舎ちょうずやで手と口をすすぐ。

 本殿で十円玉を賽銭箱に投げ込み、二礼、二拍手。

「必ず、大切なものを守ります。」

 最後に深く一礼し、まっすぐ神社を出る。


 ◇ ◇ ◇


 パーツを大きくずれることなく無事に組み立て、二つの前身頃を留めるためのボタン付け作業もつつがなく終わり、最後に裾をまつりつけてブラウスが出来上がった頃、母がご飯よ、と呼びに来た。

「できたよー!」と見せたら、かっこいいと誉めてくれた。

 着て見せて、と言うので、試着してみる。

「あらー、いいじゃない。お外に着ていけるのが増えたわね。」

 いくつになっても、誉められるのは嬉しい。

 間に合ってよかった。


 ◇ ◇ ◇


「ヒカル様、明日は対決の日。彩佳は精一杯、頑張ります。ヒカル様、大好きです。」


 今夜の夜伽は懐かしい場所。

 樫払神社の一室っぽい、十メートル四方の広い和室。私が夜伽巫女になったばかりの頃は、よくここで夜伽した。

 板張り、周りは障子しょうじ扉、そして部屋の一つの角には紫陽花の一輪挿し。隣に水差しと湯のみ二つ。

 部屋の中央に二人用の白い布団が敷いてある。ヒカル様が私を襲う場所だ。

 外は暗く、部屋には蛍光灯の白い明かり。


 私の格好は……!

「夜に裸の巫女に着せるのが、千早ちはやの本来の使いかただ。

 シースルーの下着を着せて行為に及ぶ人の子は多いだろ? そういうものだと思ってくれ。」

 千早は改まった場で巫女舞をする時に普段の巫女装束の上に着る、薄い透ける服。透ける生地で、松鶴の模様がいっぱい。

 これだけ着ていると、恥ずかしい。すごく恥ずかしい。

「マジ?」

「俺はそう思うけどな。他の者は違う意見かもしれないな。」

 そういうヒカル様は白の長襦袢姿。

「彩佳。今日は彩佳から俺を求めてくれないか。

 俺の気を彩佳に注ぎたい。」

 え? え? えええええ???

 ついに、ついに、ヒカル様と……!

「布団においで。」

 ヒカル様に手を引かれて、部屋の中心にある布団セットのところに行く。

「これならどうだ?」

 部屋が急に暗くなる。

 そして、布団の隣に現れた行灯あんどんの、なまめかしい橙色の、揺れる、明るい光。

 この世界では、こんな芸当が自由にできる。

「彩佳。俺の上で、『舞って』くれないか。」

 ヒカル様が布団に仰向きに横たわる。

 舞うって、昨日、あの子の上で動いたようにすればいいのかな?

「……はい。ヒカル様。」

 私は覚悟を決める。

 ちょっとだけ目を覚まし、リアルの自分を枕にまたがる体勢にする。

 そして、夜伽の世界に戻ってヒカル様にまたがる。

「わかってると思うけど、願わなければ痛みはない。

 彩佳、存分に快感をむさぼってくれ。」

「はい。

 では最初に、ヒカル様の唇に、彩佳の唇を重ねさせてください。」


 ◇ ◇ ◇


「もう嫌だ。もうやめてよ。」

 晴人っぽい男が私を説得する。

「こんなの嫌だって。冷静になって。元に戻って。」

 なんか変だ。

「首輪プレイとか、絶対おかしいよ。

 俺のことどう思ってるの?

 俺の事が好きだったら、普通にかわいがってよ。」


 今度は晴人のなりすましか。


 晴人は私に「元に戻って」とは言わない。

 少なくても、「普通にかわいがって」なんて言わない。

 好きな人だから、強引に求められても受け入れる。

 求められる、抱かれることに幸せを感じるのが晴人。


「おい、偽物!

 明日、きっちり決着をつけようじゃないか。

 逃げんなよ、黒宮結紀子。

 ばれてるんだよ。

 いまさら逃げないよな?」


 ◇ ◇ ◇


 Day6。月曜日。

 朝起きると、お腹がほのかに熱い。

 ヒカル様に精をいただいたのだ、そう改めて思い知らされる。

 子宮のあたりが熱い。丹田だろうか?


 私はヒカル様の夜伽巫女。

 私の中にヒカル様がいる。


 それだけで気分が高まる。

 あのクソ猫、ちゃんと来るかな?

 今日という今日は、あのふざけた心を徹底的に蹂躙してやる。


 ◇ ◇ ◇


 昼休みは総合棟最上階にある、まず人が来ないような教室で待機する。ヒカル様が人払い、つまり無関係な人がこの教室に来る気をさりげなく削ぐような術を仕掛けているだろうから、クソ猫以外の人がこの教室に来ることはないだろう。

 登校中にコンビニで買ってきた助六寿司にペットボトルのお茶を二人で楽しむ。簡単に食べれそうな食事にして、いつ黒宮が襲来しても困らないようにする。


 晴人に確認しておきたいことがあったので、食べている途中に聞いておく。

「神様に何か装備、貸してもらったりする?」

 晴人が驚いた顔をして、ちょっとむせそうになった。

「やっぱり、あったのね。

 朝、歯磨きしてたら声をかけられてね。

 目を閉じて自分自身をイメージしたら、『俺からの差し入れだ、感じ取れ』って言われたんだ。

 弓道やってる人みたいな、白銀しろがねの胸当てと大きな弓。梓弓あずさゆみかな? 効果は魔除け兼遠距離攻撃みたい。

 晴人は?」

 晴人がもじもじしている。

「絶対に笑わないと約束するから、教えて?」

薙刀なぎなたと、ち、千早。」

 千早って、昨日、私が夜伽のとき着ていたよね?

「まさか、裸の上に千早?」

 晴人が激しく首を振る。

 やっぱ、そりゃ、そうだよね。うん。私が考えすぎだ。

「そして、『姉』がいつもつけてる瑠璃色の丸いピアスのレプリカと、『妹』の翡翠色の円盤みたいなペンダントのレプリカ。」

 こりゃ、どうみても巫女の格好を要求されていますよね。

 さすがに、人に言うのは恥ずかしい。もじもじするのは当然だ。

「わかった。

 レプリカは姉妹が晴人と一緒にいることの象徴。千早は鎧のイメージかな?

 薙刀で敵を削りつつ、私が弓でクリティカル攻撃を狙う作戦、でいいのかな?」

 晴人が顔を赤くして頷いたので、優しい笑顔で頭をなでてやる。

 男の子なのに巫女姿を要求されたことはスルーしてあげるからね。


 昼休みの半ばくらい、ちょうどお昼を食べ終わった頃に、黒宮がドタドタ襲撃してきた。

 本当に来ちゃうんだね。ほんと、びっくり。それにしても静かに歩けないのかな?

 晴人と目を合わせ苦笑する。

 黒宮が一瞬、怯んだ顔をした気がする。

「あんたら、また罪を重ねてしまったのね。

 特に女。さらに闇に包まれたようだわ。

 バレてないと思ってる? もう救える余地は殆どないけど、そんなに手遅れになりたいの?」

 これで確実だ。

 目の前のアレが言ってることはデマカセではない。

 アレは人間にあらず。

 明らかに人外の力を持っている。

 霊視か? どこまで視えているんだろう?

 雰囲気がわかるだけ? それだけ、なんてオチはなさそう。

「ふん。

 今までの行いを悔い改めるのなら、さっさと土下座して私への感謝を示しなさいよね。

 早く人間に戻りたいでしょ?

 私以外に頼れる人がいるとでも?

 改心の仕方も教えてもらわなくてもいいの?

 私が助けなかったら、どうなるかわからないよ?」

 人を見下した顔をして、懲りずに意味不明な発言をする。

 見苦しい。邪魔だ。


 消・え・失・せ・ろ。


 晴人の手を握る。

 目を閉じ、心を落ちつける。

 瞼の裏に思い浮かべるのは、昨日訪れた、晴天の樫払神社。

 抜けるような青空が清々しく、光の粉が舞っているような感じがする。

 そこに立つ、凛々しく巫女装束に身を包む私。

 首にはヒカル様からのお守りである、シルバーのダガーモチーフペンダント。

 胸元を覆うのは、ヒカル様が私を護っていることの象徴の、白銀の弓道用胸当て。

 そして、手には私の背くらいの大きい梓弓。

 リン。

 梓弓の弦を引き、この空間を清める。

 リン。

 私がお仕えしているヒカル様からのヒントを、少しでも逃さないように。

 心を清め、集中力を最大限に上げる。

 そして、目を開ける。

 さっきとはものの見え方が少し違う。

 見る、いや、視るべきは目の前のアレの弱点。

 アレは私達とは違う、人間の姿をしたヒトモドキ。

 私達に牙をむいた以上、説得する必要はない。

 情けは無用。粛々と殲滅せんめつすべき存在だ。

 弱みを徹底的に追い込んで、再起不能に追い込む。

 少なくても、私たちに二度と攻撃を仕掛ける気が起きないよう、絶望を味わわせてやる。


「黙っていても何もならないんだけど?

 さっさと負けを認めなさいよね。」

「何言ってるのか分からないんだけど?」

 少し高めの、よく通る声で晴人が反撃する。

 作戦通り、私は話すより考えることに専念しよう。

「黒宮様、虫けら以下の卑しい存在である私を人間らしく躾けてください、と何で言えないの?

 一生、芋虫のように地を這いつくばりたいなら止めはしないけど。

 それがあんたらの望みなの? 愚かな。」

 人間らしく、ね。白々しい。

「改心しないなら手遅れになるけど、本当にいいの?」

「こうやって人の悪口を言うのが真人間だなんて、俺は思わないけど?」

「私は神の奴隷に落ちたクズを助けてあげようと善意で思ってるだけだけど?

 人間に産まれた以上、人間として生きるのが筋じゃない?

 正しい道に戻してあげようと言ってるの。

 ありがたく感謝し、額を地にこすりつけて頼みなさいよ。

 神の奴隷なんてやってて、恥ずかしくない? 悔しくない?

 何も思わないなら、それだけ、ってことね。

 落伍者として、かける言葉もないわ。」

 思い上がりが酷い。これは本当のバカだ。

 それに、かける言葉がないなら粘着しなければいいのに。

 もしかして、構ってちゃんだったりして。

「黒宮さん。その力、どこで手に入れたの?

 俺達の居場所を簡単に見つけられる能力、普通じゃないよね。

 奴隷として与えられたものじゃないの?」

「ふん。簒奪さんだつしてやったんだ。

 だから、私のほうが立場が上。あんたらみたいな養分とは大違いなんだから。」

 簒奪? やはり神と接触してたのね。

「手に入れて、どうだった?

 嬉しい? 楽しい? 得るものがあった?

 人に自慢することはできるけど、それで満足なの?」

 一の矢を軽く放つ。

「そうね。愚民どもより一段高い位置に立てて幸せだわ。

 愚民はもっと私を崇めるべきなのよ。私は神にさえ勝利したのよ?」

「黒宮さん、友達いないよね?」

 晴人が斬りつける。うまい!

「友達なんていらないさ。

 私は神に勝利した。同格の者がいたら、見せてちょうだいよ。

 ただの人間は、人間を超えた私に従うべきだわ。」

「子供はどうしたの? 保育園?」

「あんな生贄、どうでもいいじゃない。」

「子供、かわいくないの?」

「ガキなんて、嫌なことは全部押し付けるには、便利だと思わないかい?

 これで私は完全に自由の身になれた。勝利者になった。」

 怒りより哀れさを覚える。

「夫は?」

「未成年と結婚する覚悟がある男なんて、いると思う?」

 ヤリ捨てか。ぷっ。

「本当は捨てられたのではなくて?

 捨てられた現実を直視できなくて、逃げ回ってるだけでしょ。」

 二の矢。まだ浅いかな?

「捨てられた? 神が私にひれ伏したのよ。

 ガキなんて、何もできないじゃない。あんなので喜ぶなんて、笑いが止まらない。」

 そうか。やっぱり、目の前のアレは、孤独なんだ。

 人を寄せ付けないことで頂点に立ったつもりなんだ。

 それで人を見下す。

 見下すことに快感を覚える。

 いや、覚えたい、かな?

 無人島の山の頂点に立っても、下には誰も崇めてくれる人はいない。

 それだったら意味はない。

 でも崇めてほしいから、認めてほしいから、見苦しく、必死に、狂おしく足掻あがく。

 状況はわかった。

 だからって、許してあげないけどね。

 あとは壊し方だ。

「神の奴隷は辛かった? 逃げたくなった?」

 晴人が繋ぐ。晴人は特殊な人にとってはご褒美だけど、普通の人だとこの上なく辛いお仕置きな思いをいっぱいしている。今だって、男なのに巫女として私の隣りにいる。

 私だって、いろいろ屈辱的なことを何度もされてきた。

「人としては、辛い思いをしたくないのは常識でしょ?」

 試練もあった。

「だが、そんな思いをもうする必要はない。

 私が助けてあげるんだから。

 あんたらは私に従えばそれでいいの。」

 反撃に移るぞ!

「神の奴隷とあんたの奴隷、どうせ奴隷になるなら神の奴隷になるから。」

 晴人。ここから私にやらせて。強めに手を握る。

「あんたの奴隷になって、いいことがあるの?

 全てから逃げ、全てを捨てた、いや、全てに見捨てられた負け組のあんた。」

 そう、アレは現実逃避しているだけ。

「私は神と手を取り合って仲良く生きていく。」

 私はヒカル様のお嫁さん。そして、ヒカル様は私の夫。

 ヒカル様はこの世界の住人ではないけど、確かに存在する。

「この子と仲良く生きていく。」

 隣の晴人とは戸籍上は夫婦になるけど、残念ながら晴人を夫として見ることができない。

 だけど、今後の人生を伴にするパートナーで伴侶、かけがえのない子だ。

「友達とも楽しく生きて行く。」

 大学に来て、富木さんと谷見くんという、私達共通の友達ができた。

 アレと違い、私達は逃げない。

 神様と仲良く生きるなんて、最高じゃないか!

 他の人には理解してもらえない、この狂った、常識外れの現実。

 上等だ。大歓迎だ。ご褒美だ。

 どうみても非常識だが、逃げずに常識として受け入れる!

 これが私達の守りたい常識だ!

 毒を喰らわば皿までだ。行き着くところまで晴人と突っ込んでやる!

 今更引き返し、なかったことにするなんて、ありえないんだから!


 私は、ヒカル様のお嫁さんなんだから!


「全てを放棄し、全てから逃げた上で、いまさら嫉妬?

 常識に縛られ、現実を受け入れられずに逃げた、根性なし!

 頂に立つどころか、底なし沼に沈んでるじゃない!」

「うるさいっ!」

 顔が赤い。私の言葉に、必死に抗っているのね。

 やはりここが弱点?

 だとしたら、最大火力で追撃だ!

 瞼の裏の世界の私が、梓弓を引き絞る。

 弓につがえるのは光の矢。

 もちろん、弓も矢もただの象徴。

 私の攻撃をアレに当てるには、弓で矢を射つイメージがぴったりだ。

 象徴だから、狙う場所さえわかったら百発百中。リアルの腕前は関係ない。

 ただ、意味がない攻撃は効果をなさない。ちゃんとイメージする必要がある。

 もっと明るく! もっと強く!

「神に勝ったのではない。神に愛想を尽かされただけ。

 男を捨てたのではない。魅力がないから捨てられただけ。

 子を捨てたのではない。子に全てを与えただけ。

 友がいないのではない。友にする価値が無いからだ。

 全てを見下そうとして全てに見下される。

 ああ。この上なく哀れだ。」

「でまかせばかり! 何も知らないのに!」

 さらに赤くなってる。キレそうなのかな?

 アレの冷静さを大幅に削れたんだ、ここからさらに追撃だ。

 私の感覚が冴えていく。

 激情に駆られているようだが、実は冷徹に現状を把握している。

 声をさらに低くし、ヒカル様の念を込めて、光の矢に込めた毒餌を大量にばらまく。

「たった数日でここまで見切られるとは、実に浅はかで見苦しい。

 大切なものを全て捨て、このまま一生、後悔だ。

 見下しているつもりだが、足元に誰も人はいない。

 このまま一人でずっと悩む、哀れな将来。

 逃げても逃げても、追いかけているのは誰だろう?

 自分で自分を追いかける、自分から永遠に逃げ回る無間地獄むげんじごく

 泥沼にはまっていることから必死に目をそむける、ああ、実に滑稽こっけいな。

 自分の真実を作り変えたら助かるかもしれない。

 だが、助かった先は何が待つ?

 幸せから逃げたら、幸せになれない。

 手の届かない目の前で、幸せをこれでもかと見せつけられる。

 手を伸ばしても、引きずり落とそうとしても、汚そうとしても、

 全て見破られ、全て無駄になる。

 この先、望めども、叶うものなし。

 呪うなら不幸を選んだ自分を呪うんだな。」

 主語を全て外した、自爆をいざな言弾ことだま

 目の前で青ざめている物体がある。

 これで、とどめだ。

「去れ。ここにいても不愉快だろ?」

 呆然としたアレの目に光が戻る。

「ふん。今日のところはここまでにしてやる!」

 アレがこっちを睨みながら、退出する。

 動く元気が出たけど、私の言葉を頭の中から追い出せていないかな?

「そんなことない!」

 そう思えば思うほど、私の言葉がアレの脳内でぐるぐる巡るんだろうな。

 ドツボだよね。


 戦闘状態、解除。


 心で念じて、元の状態に戻る。

「綾音すごい。怒らせたらこんなに怖いなんて。」

 私はか弱い女の子なの! と言ってもギャグにしからないよね。

「そんなことないよ? 私は晴人が大好きなんだから。」

 晴人の頭をなでて、そして晴人を抱きしめてキスをする。

 普通の人の常識の世界。私はもう、その世界の住人ではない。

 私の現実が夢でない、そう実感させてくれるのは、隣に寄り添ってくれる、ちゃんと肉体を持つ晴人。

 私と似た常識を共有する、この広い世界で唯一の人。


 ◇ ◇ ◇


 バイトに向かう途中の電車で、ガタン、ガタンと音がした。

 外を見ると、ちょうど県境の川にかかる鉄橋を渡っているところだった。

 オレンジ色のきれいな夕焼け。ぷかぷかと浮かぶ雲のせいで、夕焼けに濃淡がある。

 鉄骨の三角形が幾列か組み合わさる、無機的なシルエットが刻々と変わる。

 まるで夕陽のフラッシュをたかれている感じがする。

 水面が夕陽をきらきらと反射するのも趣深い。


 きれいだな。

 これからもいっぱい、ヒカル様と一緒にきれいな風景を見るんだ。

 ヒカル様、私の目を通していっぱい楽しんでね。


 そういえば、晴人が着ていた千早、百人一首の一句で「ちはやぶる」として登場したよね。和歌には、特定の言葉の前フリとして使われる言葉ってあったよね。あれ、何ていうんだっけ?

「ちはやぶる」で検索する。

「ちはやぶる」は「荒々しく勢いのある様」で、「神」とセットになる枕詞まくらことば

 千早に「荒々しく勢いのある」意味を重ねたのかな?

 そして、神に与えられた千早をまとうことは、神の荒々しく勢いのある力をまとうことを意味するのね。この世界における神様の代行者、みたいな感じで。

 神様の考える事ってすごい。

 ついでに気になったけど、「梓弓」も何かの枕詞なのかな?


 ……へぇ。いくつかあるんだ。


 ちょっと、これ!

 あは、あははははははは!


 電車の中なのに思わず声を出して笑ってしまった。

 だって、そのうちの一つが――。

 神様はえげつない。

 ヒカル様、そこまで考えていたのね。


 ◇ ◇ ◇


 昨日の夜は悪夢を見なかった。

 あそこまで言われても粘着するのなら、それはそれで尊敬しちゃうけどね。

 授業が終わったら、デートの前に富木さんと谷見くんと四人で、理学部の例の建物の談話コーナーで祝勝会をやる。

 とはいっても、黒宮との対決の詳細を「普通の人間の世界」の住人である二人には話せない。あくまでも、粘着して絡んでくるキチガイをへこませてやったぜ! イェイ! と話すことになる。

 炭酸飲料のペットボトルとポテトチップスの大袋を囲みながら、四人で話す。

「黒宮が偉そうに、『人間らしく躾けてください』と私達に言わせようとしてたんだけど、頭おかしいでしょ?」

「うわぁー。誰か言うこと聞くなんて、本気で思ってるのかな?」

「そういうことを言ってる時点で、人間として何か欠けてますな。」

「自分は神に勝利したから従えとか。意味不明だよねー。」

「自分対愚民の構図にしてたよ。」

「そこまでいくと完全にポジショントークですな。」

「谷見くん、なにそれ?」

「自分の立場を優位にするため、わざと自分の都合のいいことしか言わないんですよ。ひどい場合、平気で嘘をついてまで人を惑わせるんですね。

 広告なんてその最たるものです。商材を売り込むために都合のいいことばかり並べて、欠点は一切表に出さないんです。広告だとはっきり分かる場合は、そういうものだ、とわかって見ることができるけど、仮に広告だとわからなかったらどうでしょう?」

「下手したら騙されちゃうよね。」

「自分にとって都合のいい話を、『事実』、『常識』として押し付ける、昔からある話ですよ。」

「宗教の教義なんてほとんど、そうじゃない? 真理を追求するふりをして、どこかのお偉いさんが自分にとって都合がいいように教義を変える。信者を集めて利益を得るとか。」

「黒宮も誰か崇めてくれる人を探してたね。」

「名誉欲を満たすため、財産を増やすため。愚民が余計なことを考えず、逆らわず一方的に言うことを聞くようにするため。」

「そう考えると、何も信じられなくなりますな。」

「日本に仏教が持ち込まれたのも、蘇我そが氏がもっともらしい口実を作って勢力拡大したかったから、という考えもあるんだって。大義名分になるのなら何でも良かった。たまたま仏教が利用され、それ以降の千数百年、日本人の心が仏教に縛られる羽目になった。仏教が『正しい』からではなく、『喧嘩の口実として都合いい』。だから導入された。仮にこれが事実だったら、それを知らずに妄信的に仏教を信じてる人は馬鹿みたいじゃない?」

「変だとわかっていても、逆らえないものなんですよね。他人に同調している方が楽だし、多勢に喧嘩を売って頑張っても、応援してもらえるどころか、叩かれるのが当たり前ですから。自分を構成する基本的な考え方を否定すると、自分自身を否定してる気になるから、敷居はかなり高いですな。」

「ネット時代になって、疑問を持つ物同士が接触しやすくなった。一つの時代の変わり目かな。」

「真実は人の数だけあるんだよな、きっと。」

「結局、小郡さんの言うとおりなのでしょうな。」

 多くの人にとって非常識とされている、少なくても私が真実と考えている世界。

 黒宮はその世界に触れたけど、受け入れなかった。

 だけど、私は世間の常識に引きずられることはしない。

 私がヒカル様に盛大に釣られている、その可能性は否定できない。

 だが、ヒカル様の語る価値観、世界観は合理的で筋が通っている。

 だから、私はそれを受け入れる。ヒカル様が裏切らないことを信じて。


「ふと思ったけど、富木さん、たまには女の子っぽい格好して外を歩かない?」

「え? 無理だよ。」

「いまさら大学デビューは無理なのはわかるけど、誰も知らないところでこっそりやるのはどう?

 自分の殻を破るのって、気持ちいいよ?」

 嘘ではない。

 人の心を傷つけるのはよくないと教えられていたせいか、ヒトモドキを徹底的にののしるのはこの上ない快感だった。ヒカル様との生活を受け入れるという、非常識を受け入れるのも快感だった。自分の常識、タブーを打ち破るのって、最高に気持ちいい。露出狂って、こんな気持ちなのかな? 捕まりたくないからやらないけど。

「そうだよ。悪くないと思うよ。」

 不用意にフォローを入れた晴人に、私の満面の笑みと富木さんの咎めるような目線が行く。晴人は「ひぃっ」って顔をしたけど、わかっているよね。

「えー? そんなもったいないこと、許されませんよ。

 こんなかわいい子が女の子の格好だなんて、人類への冒涜ですよ。」

 うん。そう来ると思った。

「でも谷見くん? 普段は男の子の格好をしている富木さんが、女の子らしい格好してドキドキしている姿って、悪くないと思わない?」

「…………くそっ! 須藤さんの言うとおりだ!

 心が男の子なのに、なぜか似合う女装を強いられて戸惑っている姿は、絶対に見ていて美味しい光景だ!

 富木さん! 頼む! 俺からのお願いだ!」

 富木さん、逃げ場はもうないよ?

「私が服を持ってくるから。授業中は――」

「俺の机の下に置いておけば、誰も荒らさないって。」

「でも、やっぱり恥ずかしいよ。」

「こういうのはどうだ? お忍びの姫とSPごっこ。どこかの駅の便所で着替えて、繁華街を歩き、適当に飯を食う。

 あ、でも、姫とSPだと、一緒に飯を食ったら怪しいな。潜入捜査官アルファブラボーでいくか。ロミオジュリエットだと縁起が悪いからな。この手の工作活動では二人一組ツーマンセルで動くのは基本だ。

 安心してくれ。写真は撮らないし、他の人にばらさない。富木さんを裏切ってこんなプレイができなくなるなんて、俺は耐えられない。」

 谷見くんがいつもの敬語口調を忘れて興奮している。

 これ、普通はデートの申込みって言うんだよ? 谷見くんにはその意識は全くないみたいだけど。

「嫌なら途中で止めてもらえると思うよ。谷見くんは意地悪がしたいんじゃなくて、自分が楽しみたいだけなんだよ? 富木さんが途中で泣き出したりしたら、後味悪いじゃない。

 富木さんもきっと楽しめるし、谷見くんは楽しむ気満々。悪い話じゃないと思うんだけどな。人が多い繁華街だからこそ楽しいと思うよ。二人にずっと注目する人はあまりいないようだし、嫌な感じがしたら巻けばいい。そこまで含めて潜入捜査官ごっこ、でしょ?」

 ここでぐっと我慢。

「今度、ほんのちょっとだけ、やってみようかな?」

「服のリクエストあったら、言ってね!」

 女装晴人を連れてスパイ追跡ごっこをやってみようかな?

 でも鉢合わせしたらやばいかな。


 ちょっと晴人が席を外している間に、二人に話を振ってみた。

「そういえば、晴人が前、『月がきれいですね』となぜか敬語で言ってたんだけど、あれ、何だったんだろ?」

 大学初日の前の夜、ヒカル様も私のことを美しい月とか言ってたし。

 富木さんが笑いを我慢しだした。

「で、何て返事したんですか?」

「確か、『そうだね』、かな?」

「ぶは、ぶぅは、ぶははははははは!」

 富木さんが噴き出した。

 心から大笑いをする富木さんを見るの、もしかして初めて?

「須藤さん、怪しいと思ったら調べましょうよ。ネットが殆どなかった三十年前じゃないんですし。」

 谷見君がニヤニヤ笑う。

 スマホで調べるか。


 ちょっと、何よこれ。

「月がきれいですね」は大文豪、夏目漱石が考えた意訳。

 その原文の英語は――



 I love you.



 戻ってきた晴人を、にやにやしながら見る二人と、赤くなってもじもじする私。晴人が不思議そうな顔をしてる。

 もう、普通に女装させるだけじゃ済まさないからね。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

表の世界、裏の世界 第三部 二人の夜伽巫女 禪白 楠葉 @yuzushiro_kuzuha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ