第6話 それぞれの想い(中)

 Day3。金曜日。

 逃げてばかりだとらちが明かない。

 二日連続で、二人揃って似たような悪夢を見る。

 偶然で片付けられる問題ではない。

 お昼は空き教室で登校中にコンビニで調達した弁当だ。

 あのクソ猫がどこまで探る力があるのか。あえて隙を作って確認することにした。

 突撃してきたら、まあ、そういうことだろう。


 ……死亡フラグってあるんだね。

 お弁当を途中で箸ごと交換し、そしてお弁当が八割がたなくなったときに、ドタドタドタと音がした。

「不潔だわ。この上なく不潔な臭いがする。」

 開口一番、失礼な奴だ。

「ママー、お願いだから人にいいがかりつけるの止めてー。

 こんな失礼なママなんて嫌だよぅ。」

 ふん。おちょくってやる。

「へぇ。

 その話、聞いたのね。軽蔑した?」

「私たちに粘着していることのほうが軽蔑したくなるね。」

「あら? あんたらの顔にカビが生えているのが見えるんだけど?

 どんどんカビが広がっていって、気付いたらカビだらけの人外になってたりしてね。

 心当たり、ないとは言わせないからね?」

「『ない。』」

「自覚できてないって、恥ずかしいよね。

 恥ずかしいというか、むしろ哀れでしかない。

 治療できる癌を放置して死を選ぶ病人みたい。」

「とりあえず私達の前から消えてくれない? ご飯がまずくなるんで。」

「ねえ? 一体、何が言いたいの?」

 私がきつい言葉で強気に罵り、晴人がフォローする。いいコンビネーションだ。

「助けてあげると言ってるんだけど?」

「そっちこそ、頭の病院行ったほうがいいんじゃない?

 普通の人は、こうやって何の罪もない善良な一般人に絡まないって。」

 ここで晴人の方を見る。

「さすがに110番はまずいよね。警備員の電話番号、覚えてる?」

「ふーん。そういう態度とるんだ。へぇー。

 まだまだお仕置きが足りないようだね。

 あんたらが泣いてお願いしに来るまで、改心しようとするまで厳しいお仕置きが必要なようだわ。

 人間の道を踏み外した人非人にんぴにんには、人間としての対応を取る必要はないから。ケダモノとして接しないとね。」

 わざとらしく足音を立てて立ち去る黒宮。

 ほんと、何がしたかったんだろう

「お仕置きって、悪夢のこと?」

「なのかな。そう遠くないうちに、きっちり諦めさせないとね。晴人も負けないで。」


 ◇ ◇ ◇


 布団を頭までかぶってヒカル様に呼びかける。

「ヒカル様、今日も夜伽、よろしくお願いします。」


「俺的にはこういうのもありだと思うけどな。」

 外が暗い。周囲に人がいない。そして木が見える。

 そうか。今日はヒカル様と夜の公園でお散歩ね。

 すべり台と鉄棒くらいしかない児童公園じゃなく、もっともっと広い公園。

 ヒカル様は白の半袖シャツに濃い色のデニム。青じゃなくて、黒や紫に近い、暗い色。

 私を見ると、白いカシュクールのブラウス、そして赤いロングスカート。

 ねえ、ちょっと? この組み合わせって……?

「洋装巫女ってのも悪くないだろ。」

 やっぱりーっ!

「これくらいなら、ギリギリOKな気がするんだよな。

 カシュクールブラウスって、かなり難しいんだよ。

 特に、体の前の布のシルエットがかなり微妙で、特に通販だと厳しくてな。

 無難な方向に流れるのは容易だが、せっかく彩佳は胸が大きいんだ。

 その美しい胸をしっかりアピールしつつ、なおかつ下品にならないようにする。

 ミシンを持っている彩佳なら、きっとなんとかしてくれるはずだ。」

「次はカシュクールブラウスを作って欲しいの?」

「巫女っぽいリボン飾り付きの赤く長いスカートもよろしく。白に赤の組み合わせは難しいからな。彩佳のセンスに期待するぜ。

「注文が厳しいけど、頑張ってみるね。

 そう言えば……もしかして……。」

「まあいい。今日は彩佳のトレーニングだ。」

「え?」

「防御と聞いて何を思う?」

 何だろう。

「盾とか、鎧とか?」

「他には?

 もっと自由に考えろ。なんでもいい、思いついたことから言ってくれ。

 防御するのは人間じゃなくても、建物とか、都市とか、そういうスケールで考えてもいいから。」

「建物だと壁。敵に反撃する大砲。最近だとミサイルを撃ち落とすミサイルとか?」

「その調子だ。他に、補助的な装置は? 敵を捕まえるとか。」

 公園の電柱が目に入る。

「敵を照らすライト。赤外線センサー。監視カメラ。」

「もっと考えろ。『防御』の枠にとらわれるな。考えを広げるためのきっかけだ。とにかく自由にイメージしろ。」

 そんなことを言われても。

「SFのネタでもいい。この世界で実現不可能でもいいんだから。」

「謎のレーザービームを放つロボットとか? 敵をつかまえるネバネバの液とか。」

「いい感じだ。他には?」

「偵察機。監視衛星。追跡型メカ。」

「その感じ。」

「攻撃反射バリア。」

「実体がなければ? コンピューターの世界。」

「ハッキングにファイアーウォール。ウィルス。トロイの木馬。」

「その他?」

「呪詛返しとか?」

「まあ、いいだろう。暇ならもうちょっと考えてくれ。

 今、彩佳があげたような概念を元にして、彩佳の防壁を考えるんだ。」

「え? ええーーー?」

「こっちの世界だと、考えたものは実現できる。もちろん、想像力と意志の力とは必須だがな。矛と盾だと想いの力が強いほうが勝つ。

 彩佳は最近攻撃を受けているけど、どう自分を守る?」

 難しい。ろくに考えたことがないことを考えることになる。

「地雷? 敵が突っ込んできたら大爆発。」

「悪くないが、地雷は相打ちの象徴よな。

 地雷の設置コストは残念ながら彩佳の精神力だ。地雷は攻撃を喰らいすぎると削られるから、意外と高くつくぞ。」

「ちょっと。何よそれ。相打ち以外ないの?」

「考えろ。ゲームやアニメみたいなフィクションの世界にヒントがあるかもしれない。時代劇にもあるかもしれないな。

 暇ならこういう訓練もしておけ。」

「うーっ。」

「実際のブツを作る必要がないだけマシだろ?

 彩佳の世界は刺激にあふれている。ヒントが大量にあるんだから、想像力を使え。

 俺の夜伽巫女なら、できるだろ?」

 俺の夜伽巫女。心が温かくなる言葉だ。

「わかった。私、がんばる!」

「もう少し考えてから寝るんだろ?

 寝る前におやすみのキスだ。」

「おやすみなさい、ヒカル様。」

 一日の終わりには、ヒカル様とのディープキスは欠かせない。

 舌を絡め、ヒカル様の唾液を流し込まれると、何か心が軽くなって、アイディアがいっぱい湧いてきそうな気がしてきた。

 気持ちいいまま寝るのは幸せだけど、今日は寝る前にいろいろ考えないと。


 ◇ ◇ ◇


 追われている。

 場所はわからないけど家がいっぱいある。

 発達した都市の一角というよりは、テレビで流れるような、内戦でボロボロになった、攻撃されて血を流している人が多いような場所。

 何人かの男が知らない言語で大声でわめいている。

「探せ!」「やれ!」「殺せ!」

 大方、こんな意味であろう。

 私は建物から建物へ移動する。

 逃げては隠れ、逃げては隠れ。

 相手は確実に飛び道具持ちだろう。

 声を出す男以外にも見えない敵はがるに違いない。

「いたぞ! やれ!」

 なぜか日本語で叫び声が。

 くそっ。このまま万事休すのか?


 そんなわけないだろ!

 これが現実なんておかしい。ありえない展開だ。


 クソ猫め! こんな夢に騙されるか! 尻尾が見えてるぞ!


 目を覚ました。

 逃げるが勝ち、か。

 ここまで数日間も逃げ切った。

 呪詛と戦うのではなく、逃げ切るのも重要な防御なのね。

 でも、いつまでも逃げるのは気に入らないな。やはり、気分が悪い。


 ◇ ◇ ◇


 Day4。土曜日。

 テンションを上げて自転車で晴人の家に向かう。

 男女二人が家でお留守番。 やることは一つですよね。

 でも、それだけでない。ヒカル様との約束も履行しなくては。

 洋装巫女装束も今度準備しようと思うけど、今日はそっちじゃない。


「晴人? おじゃましまーす!」

「綾音、お疲れ。」

 晴人の顔を見ると、悪夢を見た気分悪さが吹き飛んでしまう。思わず、ぎゅーっと抱きついてしまった。

「また昨晩も?」

「うん。」

「ほんと、うざいよね。」

「それより、早速着る? 巫女装束。」

 実は、巫女装束一式を購入してたんだ。

 安っぽいコスプレ衣装ではなく、神社で本物の巫女さんが着ているものをネット通販で調達。各パーツごとに安く売っている店が違うので、いくつもの店で買い回りすることに。もちろん、翌日発送の店ばかりでない。物が物だから、納期が長い店もあった。

 ネット通販は最高だ。店主と顔を合わせる必要はないので、気楽に注文できる。対面だと遠くにあったら買いにくい。「大学の学園祭の演劇で使う」とか適当な言い訳をしてもいいけど、店に足を運ぶのも大変だし、やはり面倒だ。

 そのまま着替えてもいいけど、やはり、巫女っぽくみそぎ的なことしたいな。

「自転車で汗かいたから、シャワー借りてもいい? さっぱりした気分で巫女装束を着たいし。」

「え?」

「だいじょうぶ、浴槽の中でシャワー浴びるから、掃除もしやすいでしょ?

 それとも、お風呂場を使ったらまずい?」

 お互い黙り込む。

「お湯で汗流すだけならいいよ。タオル渡すから。

 そして脱衣場の外に肌着置いておくね。」

 やっぱり、人の家のお風呂を勝手に使うのは非常識だったかな?

 でも、まあ、断られなかったからいいか。


 脱衣所のドアの外に私の服を置いておく。もちろん、下着は脱衣所の中。

 私の服は雑然と置いてあるように見えるけど、どんな感じで置いたかはちゃんと記憶している。晴人が悪戯いたずらしようとしたら、バッチリばれるんだ! きゃは。

 体を拭いたバスタオルは晴人が後で楽しむんだろうけど、これくらいサービスしないと。


 浴槽の中でシャワーのお湯をかけ、巫女としての自覚を高める。

 私の巫女姿、似合うかな? きっと似合うよね。だって、私はお嫁さんで夜伽巫女だもん!


 シャワーから出て、体を拭いて、下着をつけて、脱衣場のドアを開ける。

 足袋たびと、湯文字ゆもじという下着のようなものと、肌着のようなものが重ねて置いてあった。どこかのウェブサイトを印刷した、着方の解説書も置いてあった。

 私の服は回収されてあった。あの変態がこう攻めてくるとは思わなかった。

「着てきたパンツは履かないでね。代わりのものがあるから。

 わからなかったら足袋だけ履いて呼んでね。」

 ここだけ手書きのメッセージ。せっかく履いたショーツ脱がないといけないの?

 今日の晴人は生意気だ。

 足袋は、まあ、わかるよね。靴下みたいなものだし。

 湯文字は綿で出来ていて、逆向きの幅の広い台形のような形をしていて、紐がついている。

 振袖着る時に使った裾よけみたいなものかな?

「晴人? 湯文字って紐がついてるほうが上だよね? 裾よけみたくつければいい?」

「え? わからなかった?」

 晴人が顔を出した。

 ちょっと私の姿、裸に足袋だけだよ。

「晴人のえっちーー!」

 つい怒鳴ってしまった。

 晴人が慌てて自室に戻る。

「ごめん、そんなつもりはなかったんだ。

 あと、申し訳ないけどパンツはなし。湯文字がパンツ代わりだから。」

 うーっ。恥ずかしい。でも、これも巫女としての修行で避けられない一歩。

「その後、肌着は普通につけて、前で紐を結んで。」

 これくらい出来るもん。ふん。

「できたー?」

 ちょうど着終わった頃に声がかかる。

「もういいよー?」

 晴人が申し訳そうにやってくる。

「さっきはごめんね。確かめてから行くべきだった。」

「いいの、いいの。」

「でも、ちょっと確認させてね。」

 晴人が肌着をめくる。この変態が!!

「うーん……湯文字が気に入らないなあ。ちょっといい?」

「いいけど……ちょっと待って、やだ、ここで湯文字脱がすの!?」

「違うよ、ここにシワがあるから、こうして……背中から前に、ぴったり添わせるんだ。」

 和装の着付けは苦手だ。実は浴衣の帯もちゃんと結べない。

 直してくれるのはうれしいけど、こう、密着されるとどきどきして、照れくさくて、ついキツイ言い方をしてしまう。

「ねえ、晴人、ホントはここで私を押し倒したいんじゃない?

 我慢してるんじゃないの?」

「いや、着せないと脱がせられないから……。」

「私、こんな格好でも魅力ない?」

「綾音をもっと魅力的にしたいんだよ。」

 晴人のくせにかっこいいセリフを言うなんて、なんかアヤシイ。

 やけに気が利いているんだよね。


「じゃあ、今度は襦袢じゅばんを着せるからね。袖を通して?」

 晴人は私が着やすいように襦袢を持つ。

 やっぱり、何かこう、引っかかる。

 私だったら、通販の箱から品物を出してそのまま置いておく。

 男の子の晴人は巫女装束の着せ方をどこで覚えたんだ?

 普通の男の子は、女物の和服の着せ方なんて知らないよ?

 私がこういうの苦手なの知ってたと思えない。私が知ってるかどうかはともかく、最初から勉強してたんだ。 なんで?

「OK。胸元を合わせて……ここの、襟先押さえてね?」

「こうしてればいい?」

「いいよ。紐で縛るから、苦しかったら言ってね。前から紐を回して、後ろで交差、前にまわして結ぶ……と。手、離していいよ。」

「わかった。」

「手を、水平にのばしておいてくれる?」

「こうね?」

「ちょっと抱きつくから、そのままでいてね?

 背中の真ん中から、シワを両脇に寄せて……。」

 いやん♪ と言おうと思ったが、ぐっと我慢する。

 そうか、着付け中に抱きつきたかったのね。

 あ! 今、私のお腹を はむっ ってした!!

「晴人のくせに生意気だー!」

「俺だっていっぱい勉強してきたんだよ。それくらいさせてよ。」

「まあいいけど……。

 んもう、くすぐったいってば! どこから手を入れてるのよ!」

「んー、身八つ口?」

「なんで疑問形なのよ! もう!!」

「イヤ?」

「べ、別にいいけど。必要なんでしょ?」

「襟がグズグズになったらかっこ悪いから、ここはキチッと決めないとね。じゃあ、次は白衣びゃくい着せるよ。まず、肩から羽織って。」

「はーい。こうね?」

「よし、じゃあ襦袢のたもとを持って、袖を通して。」

 よいしょ。

 そういえば引っかかったけど、白衣をもってくる時、やけに慌ててなかった? 何かさっきから、ずっと慌ててる。

 まるで、何かを隠すかのような。

 巫女の直感をなめてはいけない。

「白衣は対丈ついたけだから、前を合わせるだけでいいから楽なんだよね。

 はい、また襟先押さえといて。」

「さっきと一緒でいいのね?」

「うん。また縛るからね?」

「はーい。」

「で、後ろのシワを身八つ口に寄せて……。」

「今度は何もしないのね。」

「白衣だから、上から何か着るわけじゃないからね。」

「なるほどー。晴人も考えてるのね。」

「こう見えて、ちゃんと勉強してるんだぞ?」

 一瞬、目が泳いだね?

「じゃあ、袴履こうか。このスカートの中に入って。」

「こう、入っちゃえばいいの?」

「そう。これが前側ね。

 裾の長さは……これくらいで決めるか。ここで、両手で押さえといて。」

「これでいい?」

 鮮やかな袴の緋色に見とれてしまう。

 ん? 妙な線が……。ちゃんと新品買ったよね?

「OK。じゃあ、また抱きつくからね。

 前紐を、後ろに回して、前に回して、もう一回後ろに回して蝶結び。

 できた。手、離していいよ。苦しくない?」

「大丈夫。なんか、それらしくなってきたね!」

「あとは後ろ側だけだ。ちょっと後ろに回るよ?」

「うん。」

「後ろを水平に、蝶結びの上に乗せて……。綾音、この紐を前から引っ張っといてくれる? ゆるめたら、後ろ姿が乱れるからね。」

「こんな感じでいいのかな。」

「OK。

 あとは、前でこのひもをかっこよく結ぶと、出来上がり……と。

 できたよ、綾音。」

「ほんと? かわいく見える?」

「かわいいよ。じゃあ、最後は髪を後ろで一つにまとめようか。

 さっき使ってた髪留め使うね。

 ほら、鏡で見てごらん。きれいな巫女さんがいるよ。」

 姿見の中にいる巫女姿の私は、自分で言うのもなんだけど、すごくきれいに見える。

 白衣の白に緋袴の赤、巫女っぽく伸ばした髪の黒が最高の組み合わせ。袴に通された白の紐が女の子の魅力を引き立てる。

 巫女装束って、こんなにすごいんだ。

「晴人? どーお?」

 手を前で揃えて、首をちょっとかしげる。

 晴人の顔が瞬時に赤くなった。大成功!

「晴人、おいで?」

 寄ってきた晴人を抱きしめる。

「着付けてくれて、ありがとう?」

 晴人の頭と肩を抱えて濃厚なキスをする。

 もちろん、晴人の唇の間に舌を入れる。

「でも、晴人?」

 晴人をちょっと離し、両肩に手をかけて目をしっかり合わせる。

「初めてにしては、随分と上手ね?」

 ぎくっ、って声がした気がする。

「新品買ったつもりだったんだけど、ちょっと着用感があったんだよね。

 私、間違って中古品買っちゃったのかな?」

 ひぃっ、って声がした気がする。

「晴人! 正直に白状しなさい!」

「……ごめんなさい。」

「何がごめんなさいなの?」

「……先に着ちゃいました。」

「何を?」

「…………綾音より先に巫女装束を着ちゃいました。」

「何で?」

「綾音にうまく着付けできるように。」

「本当にそれだけ?」

「…………逆らえなかったんだ。」

「はい?」

「『姉妹』に着てみせろって言われて。

 わかってると思うけど、拒否権なんてないんだよ。」

 そうか。晴人も夜伽巫だもの、巫女装束を着る資格があるのね。

 私は物分かりがいい夜伽巫女だから、それで許してあげるんだ。

「わかった。正直に言ってくれて、ありがとね。

 そうだ。巫女装束を着る時に、他に気をつけないといけないこと、ある?」

「階段を登るときにはすそを踏まないように両手で裾をちょっと持ち上げるんだ。

 巫女装束は作業着みたいなものだから、そこまで動きにくいことはないはず。」

「せっかくだから、いろいろポーズ決めてみようかな?」

「ちょっと待って。」

「え?」

「せっかくだから、髪をとかさないと。

 このくしをプレゼントするよ。柘植つげの櫛。これでといてあげるね。

 あ、そうだ。櫛は人にもらっちゃいけないものなんだ。だから、十円でいいから、後でくれる? 」

「本当にいいの?」

「遅い誕生日プレゼントだと思ってよ。」

「それに、何で櫛はもらっちゃいけないの? 」

「櫛は、苦と死に通じるんだ。人からもらうってことは、その人の苦と死を引き継ぐ、もらうってことになるから、縁起が悪いって言われてるんだよ。拾うのも同じ。でも、買うってことは、厄は相手の所に置いてくることになるから、大丈夫なんだ。」

「へえ、晴人も縁起担ぐんだね。」

「俺達だから担ぐんだろ?」

「そういえばそうだね。」

 晴人に髪をとかしてもらった後、横ピース、前かがみ谷間見せ(谷間はあまり見えないかな?)、袴ちょっとたくし上げ、と鏡に映る自分を楽しむ。袴を広げて布のたっぷり感を味わう。両手を上にあげて、背伸びして体をちょっとひねって身八つ口アピール。

 髪の毛は低いポニーテール風に結ぶのが一番似合うと思う。そういえば、巫女さんは髪を後ろでまとめているよね。他には――。

「そういえば、本当は髪飾りをつけるんだっけ?

 お花のティアラみたいなもの着けている巫女さん、たまにいるでしょ?」

「ああ、はなかんざしか。造花の枝を両側に挿す、髪飾りというか額飾りの前天冠まえてんがんもあるけど、綾音には花簪のほうが似合うと思うよ。

 季節の花だから、今は何だろう。」

「紫陽花とか、桔梗とか?」

「藤はもっと前の季節だし、撫子や桔梗はもうちょっと後かな?

 今はピンクや紫でカラフルな紫陽花だね。」

 紫陽花のティアラ。華を添えるというか、風流というか、雅だよね。

「花簪は季節に合わせていろいろ用意しないといけないから、こだわりだすと大変だよ。

 秋に桜とか、やはりおかしいし。」

 どうしよう。

「そうだ。ヘアコームで代用できるかも?」

 ヘアコームは針金でできた櫛に飾りがついていて、櫛の部分を髪の中に入れて髪をまとめつつ飾りを見せることができる一品だ。頭の形に沿った、なだらかな曲線を描く櫛の背に飾りがついているため、花簪の代用品にはなりそうだ。

「物によってはいけるかもしれないね。」

「わかった。今度から髪飾りを選ぶときは花簪っぽい、お花のヘアコームを選ぶようにしようかな?

 でも、あまり売ってない気もするんだよね。」

「自作したら安くあがるかもしれないよ。好きな感じに作れるし。

 たまには大学にもつけていっていいと思うよ? 毎日だとやりすぎだけど。」

「せっかくだから、デートの時に一緒に作っちゃう? 晴人も興味あるでしょ?」

「うん。」

 アクセサリーを一緒に作るのって、何か新鮮かも。。

「そう言えば、後ろ髪も何か特徴的な結び方してたよね?」

「後ろ髪は一つにまとめて、和紙でつつんで水引みずひきで結ぶのがよくあるかな。丈長たけながという厚紙のリボンのようなものをつけたり、熨斗のしをつけることもあるよね。」

「熨斗? あの、プレゼントにつけるような?

 リボンもあるんだし、もしかして、プレゼントはアタシってネタ、巫女さんが最初にやっていたの?」

「そう来るか。

 でも、丈長も熨斗も頭の後に来るから、前から見た時のビジュアルはいまいちなんだよね。」

「ちっ。

 それに、髪をまとめる和紙って、習字の半紙、じゃないよね?」

檀紙だんし奉書紙ほうしょし、日常生活ではあまり縁がないものだよ。」

「うーっ。」

「後ろで一つにまとめるだけでも、雰囲気が出ると思うよ。」

「とりあえず、今日はこのままでいいかな?」

「いいと思うよ。」

 晴人、かなり勉強してたんだね。

 本人には言わないけど、かなり感心した。


「ねえ、晴人? 家に巫女さんがいるって、どんな感じ?」

「何か不思議な、新鮮な感じ。」

「うれしい?」

「うん。」

「身八つ口の場所はわかった、よね?」

「あと、袴の横にも手を入れる場所があるんだ。」

 自分で探ってみる。両手をこの隙間に入れて立って、ちょっと猫背にして上を斜め方向に見上げるような感じにして「あぁん?」とか凄んでみたら、ヤンキー巫女のできあがりだな。当然、隣においておくアイテムは竹箒ではなくて鉄パイプ。

「晴人も手を入れてみたい?」

「……うん。」

「じゃ、入れてみる?」

「うん。」

 太ももをさわる晴人の手がくすぐったい。

「巫女装束、好き?」

「うん。」

「もっと味わいたい?」

「うん。」

「着たから中はわかるけど、外はわからないよね?」

「え?」

 さっき、裸足袋姿を見られた仕返しだ!

「晴人? 全部脱ぎなさい。全裸になって。巫女装束姿の私が抱いてあげるから。」

「でも……」

「私に逆らうの?

 私が裸になれと言ったら裸になるの。

 今日の晴人はほんと、生意気ね。」

 凍ってる。かわいいなあ。

「とにかく、全部脱いでこっちに来なさい。避妊具も持って来て!」

「は、はいっ!!!」


 ◇ ◇ ◇


 クソ猫の攻撃対策として、ベッドの周りに防御用ドローンがぐるぐる回っているイメージをしておく。

 今日も攻撃してきたら、ドローンが

「おい、黒宮結紀子! お前は既に包囲されている! もう二度と来るんじゃねぇ!」

 とスピーカーで怒鳴りながら機関銃がバリバリとホーミング機能付きの弾を乱射する。

 これで少しは返り討ちにあわせることができるかな?


「ヒカル様、今夜もよろしくお願い――」

「うおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉおおおおぉおおおおぉぉぉぉぉぉぅぅう!」

 え? えっ??

「ををををををををををーーーーーーーーーーーーんんんんんんん!」

 ヒカル様? だいじょうぶ?

「俺は! 今日という日を! ずっと! ずっと! 待ち望んでいたぁッッッ!!!」

 はい?

「俺の夜伽巫女が巫女装束姿になってくれるなんて、俺は、俺は、最高に幸せだぁぁぁぁッ!

 巫女装束姿の彩佳を半日楽しめて、俺は最高だったッ!!!」

 あ、そういうことね。

「彩佳が裏切ることはないと思ってたけど、なかなか着てくれなかったから待ち遠しくて、寂しくて、悲しくてなあ。

 でも、俺の願いは叶ったッ!! やはり、巫女装束は最高だあああぁぁああぁぁッッッッッ!!!!」

 普段のクールなキャラが崩壊しているけど、これもヒカル様の偽りない一面なんだろう。

 黒一色の声だけの世界から夜伽の場所にワープする。

 場所はもちろん樫払神社。

 巫女姿の私と神主姿のヒカル様。

 首からぶらさがる、おそろいのダガーモチーフのシルバーペンダント。ここだけ「和」の雰囲気からずれているけど、これは絆の象徴だから外せない。なお、ヒカル様の袴は浅葱あさぎ色。なぜか最も低い格のものである。


「紫陽花の花簪があればパーフェクトだったけど、先立つものもあるしな。

 さて、今日は彩佳を案内したい場所があるんだ。」

「え?」

「こっち、こっち。」

 ヒカル様が私の手を握り、神社の裏手に連れて行く。

「もしかして、裏山でえっちなことをするの?

 今日のヒカル様、大胆だし。」

「何言ってるんだ? もっと面白いところ行くんだよ。」

 ヒカル様が私の手を離し、どんどん先に行く。

「待ってー!」

 ヒカル様が裏山の獣道を奥へ、奥へと入り込む。

「念のために言っておくが、彩佳の世界の樫払神社にはこんな道がないからな。探そうとするなよ。」

 裏山の森の中、道無き道を進むヒカル様。私を置いていかないよう、距離が離れすぎないように配慮しているのが優しいけど、手を離したのはいただけないかな?。

 森の中 巫女装束の 森ガール

 つまらない川柳を考えついて、つい笑ってしまう。

「よし、道が見えてきたか。あとちょっとだ。」

 ハイキングでよくあるような、幅が大人の身長くらいの程よく整備された、舗装されていない土の山道。ところどころ木で補強してあって、もちろん木には苔がついていて、滑らないように気をつける必要がある。

「ここ、どこ?」

「少なくても、彩佳の住んでいる世界には存在しない場所だ。俺のイメージをもとに彩佳の脳が作っている場所だから、見覚えのある箇所があるかもしれいけど、それとは別物だ。」

「なにこれ? ヒカル様の住んでいる世界?」

「その中間だと思ってくれ。帰ろうと思えば、いつでもすぐに帰れる。来ようと思えば、願えばすぐに来れる。目を閉じてこの風景を思い浮かべるだけだ。もっとも、肉体は彩佳の世界から連れてくることはできない。あくまでも彩佳の心だけしか入れない。それでも、ここは俺と彩佳の二人きりの場所だ。」

 大好きなヒカル様と、二人きりの世界。

 なんて甘い響きなんだろう。


 視界が開けた。

 うわ! きれい!

 こんな場所があるなんて。


「ここには俺達の誰かが代々の夜伽巫女や夜伽巫を案内してきた。

 もちろん、各々おのおのの人生経験によって見え方が違うが、同じような地形だ。」

 いいなぁ。

 ここは数十メートル四方の開けた場所。

 三方向が森に囲まれている。

「まず、東側に川が流れている。」

 幅が数メートルの川。川の奥に岩肌が見える。その岩の上に森がある。

 川の左側にはちょっとした滝もある。私の身長の二倍弱くらいの高さかな、その下の滝壺たきつぼに白い水しぶきがたっている。

「南に水がいっぱいあるふちがある。」

 川が急に広くなっていて、大きな池みたくなっている。

 日の光を反射して水面みなもがキラキラしている。

「西側には俺達が立っている道がある。」

 視界の右から左にかけて見える道路。右側はさきほど歩いてきた山道になっていて、左側が淵のほうにつながっている。

「北には山がある。」

 木がいっぱい、斜面に見える。

 山の斜面が森になっているのかな?

「そして、中央は開けた空き地になっている。」

 空き地というか、河原かな。

 日の光に白く輝く、丸い石がいっぱい。

 神社の玉砂利たまじゃりを思い出す。

 川から運ばれてきたのかな?


「彩佳が目を閉じてここに来ようと思えば、いつでも来れるんだからな?」

 すごーい。こんな場所プレゼントしてもらって、いいの?

「実体がないから誰にも売買できないぞ?」

 そ、そうだよね。

「修行にも便利だぞ? みそぎ用の川や滝もあるし、山岳修行として山歩きや山篭やまごもりもできる。空き地に畳を持ってきて座禅なんかもできるぞ?」

 無理。絶対無理。他の人は喜ぶかもしれないけど、私は絶対に嫌だ。

「ここは修行の場でなくて愛の巣なのぉー!」

「プライベートな場所だから、全裸で泳いでみる?」

「それは、なんかちょっと恥ずかしいな。

 水着姿のほうが、かわいくない?」

「ちっ。彩佳のケチ。」

 ふん。修行しろとか、煩悩たっぷりの私はお断りです!

「そうだ。せっかくだから、空き地の中心でこれ、鳴らしてよ。」

 どこからともなくヒカル様が取り出してきたのは、鈴だった。

 20センチほどの長さの握り心地のよさそうな棒に、20センチほどの剣がついていて、つばに鈴が8個ついている。剣じゃなくて、むしろほこだ。そして、棒の逆側には長さ1メートル、幅10センチくらいの五色の布がついている。

 巫女舞で使う、あの鈴だ。

「布を落とすなよ?」

 右手で鈴、左手で布を持つ。

「それじゃ、鳴らしてみて。」

「どう鳴らせばいいの?」

「彩佳が適当に決めていいよ。」


 シャラシャラーン


 鈴の音がこの空間を満たす。

 この場所と、私の心が清められた気がする。


 シャラシャラシャラーン

 シャラーン


 何か気分がすっきりした。

 巫女装束を着て、巫女鈴を鳴らすのって、こんなに晴れやかな気分になるんだね。


「ありがと、ヒカル様。」

 ヒカル様に渡すと、ヒカル様は鈴を背中の方に持っていった。

 目の前で消すのは無粋だからやめたのかな。


「さて、どうしようか?」

 ヒカル様に問われて、少し悩む。

「道に戻ろうかな? 日差しって、何か肌に悪い気がして。」

「この世界だと日焼けは怖くないぞ? まあ、いいか。」

 道に戻ると、ほどよい倒木を見つける。

「ヒカル様? 申し訳ないけど、そこ座って?」

 首をかしげつつも倒木の上に座るヒカル様。

「ヒカル様、大好き!」

 ヒカル様の太ももに横座りして、ヒカル様の首に両腕を巻きつけ、キスをする。

 いつものようなディープキス。

 お礼とばかりに、今日はいつもより長めに舌を絡める。

「清らかな巫女のキス、いかかですか?」

 答えは満面の笑み。

 でも、うとうとと眠くなってきた。

 最近はしっかりと夜伽できていないけど、どうにかしないと。

「今日はキスで終わりにしていいですか?

 ここでできる何か楽しいこと、考えておくね?」

 微笑んで、またキスをする。

 最近は変な夢を見るし、今日は知らない場所に行ったからね。

 さぼりすぎなのはよくないけど、でも、おやすみなさい、ヒカル様。


 ◇ ◇ ◇


「嫌い。死ねばいいのに。」

「絶交。バイバイ。」

「消えな。」

「友達だと思ったのが間違いだった。」

「頼りにされてると思った? 思い上がってんじゃないよ。」

「友達いると思ってるの?」

「裏切り者。」


 周囲の人が私を糾弾する。

 心当たりは一切ない。

 でも、非難の声はまだまだあがる。


 ああ、そうか。クソ猫は孤独なんだ。

 自己紹介ありがとさん。

 私は違うよ。

 惑わされないよ。

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