第55話

「ひっ! は、はいっ!」


 そんなに僕の様子に鬼気迫るものを感じたのか、研究員は悲鳴混じりに返答して、奥のラボへと引っ込んでいった。

 視線の先でスライドドアが開閉し、研究員の背中が視界から消える。それを待っていたかのように、ドクターは口を開いた。


「らしくないじゃないか、恵介くん。一体どうしたんだい?」


 などと、『自分はとぼけています』とあからさまに分かるような口調で言った。


「秀介に教えたんですね。リナのことを」

「それは、情報の共有くらいするさ」


 僕の腕に、力がこもる。


「そういう意味ではありません。秀介の気持ちも考えないで、リナの寿命が短いことを伝えた。そうでしょう?」

「ああ、やはりそのことか」


 ドクターは観念した、とばかりに肩を竦めた。


「悪いことは先に伝えてしまった方がいい。その方が、突然リナちゃんに死なれるよりも秀介くんのショックは小さくて済むだろう。それは心理学的に――」

「学問の話をしてるんじゃねえっ!!」


 僕は拳を突き上げ、より一歩ドクターににじり寄った。足元から何かが割れる音がしたが、おそらくドクターの眼鏡だろう。


「いいか、僕たちは人の命の話をしてるんだ!! 今さら心理学なんてどうでもいいんだよ!!」


 怒声を浴びせかける僕の前で、ドクターは半ば呆れたように自分の眉間を揉んだ。


「兄弟関係としては逆だが、君も多少、秀介くんに似てきたのではないかね?」


 戦場に出る人間はそうなる傾向にあるのかな? と、半分冷静に、半分おどけたように語るドクター。


「彼女は厳密には人間ではない。確かに検査の結果からは、彼女の身体は人間と同じ成分で構成され、そして同じような言動を取ることが分かった。だが、肥大化した脳幹の説明はどうつける? 例の地下鉄での作戦で、ばったばったとゾンビたちを駆逐していった彼女の能力は? 君はあんな能力を持った彼女を見ても、ただの人間だと思うのかい?」


 僕は奥歯を噛みしめた。反論の余地がなかった、と言ってしまえば簡単だ。だがそれ以前に、僕が思っていたこと、すなわちリナは人間に非ざる存在ではないかと思っている、ということを、言い当てられてしまったかのような悔しさがあった。

 

 ふと、リナを抱きしめた時の温かさが、身体の前面に思い出されてきた。あれで人間ではない、だって? 確かに、人間ではないかもしれない。でもあの温かさは、人間同士でしか感じられないものだと、すなわちリナは人間なのだと、反論する自分がいた。

 いつの間にか僕はドクターの胸倉から腕を下ろし、改めて胸に迫ってきた絶望感に浸った。

 リナは人間ではない。そして遠からず、その命を終えてしまう。もう三人で遊園地へ行くことも、天体観測をすることも叶わない。

 一体どうしたらいい? どうすればリナを助けられる? いや、これはもはや、リナが人造人間である時点で運命づけられていたことなのか。

 ああ、神様――。

 僕は普段頼りもしない何かに向かって、両手を合わせたくなった。


「もういいかな? 恵介くん」


 目を上げると、ドクターは柱に背をつけたまま、襟を正すところだった。


「確かに、秀介くんのことは申し訳なかったと思っている。だがね、現実と夢をごっちゃにしてはいけない。我々がこうして生きている以上、常に『現実』という冷たいナイフを突きつけられていることは、忘れないでもらいたいな」


 眼鏡は自費で買い替えることにするよ。そう言って、ドクターはコーヒーメーカーに向かってしまった。さすがに今日は、僕のぶんまでは淹れてもらえないだろう。

 ドクターに頭を下げる気にはなれず、僕は何も告げずにドクターの研究室を後にした。


 心が沈んで落ち着いてしまったからか、僕は唐突に空腹感を覚えた。今度こそ、食堂に行こう。

 食堂のドアを開けると、しかし、そこには信じられない映像が展開されていた。

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