08 空域魔術戦闘(2)

◎◎


「――!?」


 轟音をまといながら迫るに、思わずヤナクは呪文を破却はきゃく、新たに詠唱――簡易的な魔術障壁を張りつつ回避機動を行う。

 バギィィン!

 だが、そんなものなどなんの意味もなさないとばかりに、その〝剣〟は障壁を容易く破壊し、ヤナクへと肉薄した。


「つぁっ!!!」


 気勢を上げ、騎首を転換するヤナク。

 その、一瞬前まで彼の首があった位置を、長大な刃が駆け抜けていく。

 躱し切れなかった切っ先が、ヤナクの右胸を――鎧を破壊し、氷結させる。

 その余波だけで、彼の灰白髪はいはくはつが凍りついた。


「冷気の、剣……だと!?」

「ふははははは! そうだ、これこそ私の剣、コルヴァズの具現! すべてを焼き尽くし、あらゆるを氷結させる魔性――アフーム=ザーだ!」


 、エルは兇悪な笑みを見せつける。

 それは、彼女の始祖たる神の眷属が持つ、万物を凍らせる権能を利用した剣技。

 神器とは旧き支配者の残滓――魔術よりも一段と位階の高い奇跡の結晶。

 コルヴァズの剣は、空気中の水分に凍結の魔力を含有させ、剣身のまわりに凝結させる。

 それによって、刃の長さを自在に操ることができる、まさに魔剣であった。

 戦場に置いては、より長い武器を持つ者が有利である。

 それは、歴史が証明する事実であり、空域魔術戦闘における高度優勢と同じく不動の真実だった。


「もっとも、私並みの膂力がなければ振れもしないわけだがな!」

「邪剣だな、もうちこっと、後世に伝える事とかを考えたらどうだ、王族なら」

「私は、私が強ければそれでいい!」


 氷を払いのけ、苦痛に顔をゆがませる弓兵。

 砕けた鎧の下からは出血を始まり、徐々にヤナクは蒼白になっていく。

 それでも彼は軽口を叩くが、エルは受けあわない。

 彼女はふたたび超質量の剣を振り上げる。高度優勢もエルの元へと戻り、それは盤石の一撃だった。

 刃を構え駆け降りる王女の姿に、ヤナクの眼が険しさを帯びた。


「強けりゃいいってもじゃないんだがなぁ……だが、強さを追い求めるのなら――敗北の味を早めに覚えとくもんだ」

「そんなもの――」


 とっくの昔に知っている!

 そう叫び、刃を振り下ろすエル。

 だが。


「だったらよ、思い出すんだな……!」


 ヤナクの弓から、銀の光を纏った矢が放たれる。


「そんなもので!」


 矢ごと叩き切る心算で、エルは止まらない。

 氷でできた剣身に、矢が激突する。


「このまま斬る!」

「そいつは、どうかねぇ……ッ」

「!」


 エルの眼が吃驚きっきょうに見開かれた。

 彼女の手に伝わるのは、二撃目の衝撃。

 先程断ち切った矢の位置に、寸分たがわずもう一本の矢が命中していたのだ。

 ヤナクの指が動く。

 中指と人差し指、そして親指が掴んでいた矢は既に放たれた。

 しかし、その瞬間には薬指がもう一本の矢を押し上げ、連射。

 そしていま、三本目の矢が、小指によって押し上げられ、装填される。


極技きょくぎ――三連矢サンレンシ


 間隙の存在しない三連射、そのまったく同じ位置に叩きこまれた魔術的エネルギーが、氷の刃を粉砕する。


「なぁ!?」


 驚愕と衝撃に一瞬動きが止まるエル。その隙を、ヤナクは見過ごさなかった。

 さらに三発の矢が、エルへと迫る。


「っ――く!」


 大きく引かれる手綱。

 右の前足、そして後ろ足からの炎の噴出が急停止、逆に左両足の出力が上昇し、リベレーターの鋼の肉体が回転する。

 飛行機動マニューバ――バレルロール。

 その場から遠心力を利用し飛退いたエルとリノベーターを、一直線に邁進する破壊の威力を帯びた矢が、次々にかすめてゆく。

 音速を超え、衝撃波すら伴う矢の一撃。

 それが、尋常ではない速度で連発され、襲いくるのだ。

 エルの額から噴き出した冷や汗が、空中に散っていく。


(なんだ、なんだこの技は!? 空域魔術戦闘において、弓がこれほどの力を持つというのか? 速度の世界で、破却された魔術が、あんな時代遅れの兵器が――)


 加速度の渦中で闘う一騎打ちにおいて、弓は本来無用の長物だ。

 世界には慣性が存在し、よほどの強弓でなければ、打ち出した矢はそのまま後方へと流れていく。

 例え強弓であっても、その速度は直接切りかかる騎士そのそれには及ばない。

 そもそも、電撃的機動を行う魔霊騎に矢を当てるなど至難の業。当たったとしても強固な鎧や簡易的な魔術障壁に弾かれるのが関の山である。

 それ故に一騎打ちは、刀剣をもっての正面からの決戦と決まっているのだから。


(で、あるはずなのに!)


 ヤナクの放つ矢は、魔霊騎を超える速度で彼女へと迫るのだ。

 それでも、灰燼姫の名は伊達ではなかった。

 彼女は、次々に飛来する矢を切り落とし、なんとか体勢を立て直そうとする。

 だが、同時にエルは、途轍もないパニックに陥っていた。

 弓という武器に対する侮りが、戦場における常識というものが、この瞬間まで次々に、そしてすべて覆されて、一時的に思考回路に生じた焦燥。

 ――もし。

 もしもこのとき、彼女が冷静であったのなら、その後の展開は大きく変っていただろう。

 彼女が失ったものは氷で作った疑似刀身だけであり、コルヴァズの剣は健在。高度優勢も変わらず、いつだって反撃にうつれる状況にあった。

 ゆえに、彼女が本当に失っていたのは、冷静さであったのだ。


「――たかが辺境の皇族がっ!」


 彼女は、焦った。

 まるで自分が追いつめられているような気に、だからさきに、切り札ジョーカーを切ってしまったのである。


「フングルイ ムグルウナフ  クトゥグア フォマルハウト!」


 膨大な、膨大な、膨大な。

 大陸でも有数の、破壊だけならば他に追随を許さない膨大な魔力が、彼女の右手に収束する。


その力を求め乞うウガア=グアア我が対敵をことごとく灰燼と帰せナ フル タグン!」


 空を照らし出す太陽がふたつに増えた。

 そう錯覚するほどの莫大な光輝が、熱量が、炎が、彼女の頭上に発現する。

 それこそはフォマルハウト王家に伝わる最大の魔術――焦熱呪法。

 雲を焦がし、天を焼き切る魔力の奔流。

 いま、その超破壊のくるった炎が、放たれる――


我は求め訴えるイア! 祖なる力をいまここにクトゥグア!!」


 自らも焼き尽くさんばかりの炎を形成する帝国の灰燼姫を見上げながら、ヤナクは小さく、囁いた。


「ゆえに、おまえは敗北する」


 彼の手が、ゆっくりとすらみえる動作で矢をつがえた。

 だが、それはあまりに不可思議な光景だった。

 まるで周囲の時間すべてが静止したかのように緩慢となり、彼だけがその世界で動き続ける。

 その褐色の唇が祝詞のりとを唱える。


我は希求し請願するイア砂を騒がせるものよライン 闇の外にて待つもののよタラナク


 ゆっくりと、どこまでも風変わりな時間の中で、彼は弦を引き絞り、うたい、


光焔を焚きつける神性よングァ シュグ イアハ――――」


 そして放った。


     シロガネ

    純銀シロガネ

  灰白色の銀シロガネ


 おおよそのこの世に存在するすべての、どんな銀よりも眩しき光が、一条の矢となって虚空ソラを疾走する。


我が祖なる威光よヴォルヴァドス!!」


 その刹那、時間の流れが戻る。まき戻る速度に反比例し、その一射を加速させながら。

 放たれる巨大な炎の滝。

 そしてそれを――銀の矢が居抜き、霧散させる。


「――ッ!!!」


 驚愕を超える絶望に大きく目を見開いたエルは、しかし次の瞬間、力なく笑ってみせた。


(なるほど。私は、ここで墜ちるのか。大願を――戦を終わらせることもできず、国を勝たせることもできず、なにより、恩を返せぬまま……)


 キーン! という音が走り、彼女は頭部に衝撃を受けた。

 矢が、それを居抜き、そのまま遥か彼方へと飛んでいく。

 遠ざかる銀閃を見送りながら、エルは、自分が負けたことを悟った。


 かくして、奇怪な状況で始まった一騎打ちは、そこで終わりを告げたのであった。

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