07 空域魔術戦闘(1)
「総員、手出し無用」
そう宣言したエルは、腰に吊るしていた象牙の柄を持つ剣を抜き放つ。
その刀身は鈍く、ひどく冷たい輝きを湛えていた。
陽炎のように立ち上る冷気を引き連れながら、彼女はその刃を横に三度、そして縦に一度ふるった。
「来たれ――
彼女がその名を呼ぶとともに、断ち切られた空間が裂ける。
おぞましいほどの炎と灰色の冷気が噴き出すと同時に、それは虚空から姿を現した。
燃え盛る
それが、いまエルのそばに降臨していた。
ひゅーと、驚いたようにヤナクが口笛を吹いた。
「なるほどな、その剣は神器っつーわけか」
「そうだ、これこそ我が王家に伝わるコルヴァズの剣。触れたものすべてを焼却する魔剣だ。そして、その剣を魔導リアクターとして駆動するのが、この魔霊騎――97式2連双発推進型試作魔霊騎〝リベレーター〟だ!」
リベレーターと呼ばれた鋼の馬が、
エルはその膨大な熱量を放つ馬の首を優しく撫でると、次の瞬間その背へと飛び乗った。
駆け寄ったアトラが、エルに兜を手渡し、彼女は微笑みながらそれを受け取り、被る。
兜の下の、黄金の双眸が、ヤナクを射抜くように見つめた。
「さあ、やるぞ貴様。本来一騎打ちとは、このようにお行儀よくやるものではない。だが、私を
この状況下にありながら、どこまでも王族として振る舞う彼女を見て、ヤナクは奇妙な表情を浮かべた。
泣いているような、困っているような、しかめっ面のような、とても不安定な表情。
しかし、それが表層に現れていたのは一瞬で、次の刹那、彼は自らの魔霊騎の取っ手を――ハンドルを握っていた。
「『汝は我が国を侵し、我が民を支配せんと試みた』」
魔霊騎にまたがりながら、朗々とした声で謳いあげるヤナクに、エルは苦笑を向ける。
(決闘の儀礼――戦前の名乗りなど、古風なことをやる男だ)
「『酷く不快なりしその蛮行は、我が安寧を妨げた。故に、いにしえの作法に則り』」
ヤナクの言葉に、自然とエルも合わせていた。
「私を「俺を『殺害する権利を手渡そう』だ!」である!」
その言葉が開戦のそれだった。
一刹那のラグもなく、同時に、ふたつの魔霊騎が爆風を伴ってその場から飛び立つ!
「姫殿下!」
エルを案じるアトラの声が、既に遥か上空へと飛翔していく二人の戦士の背中へと、虚しく響いた。
◎◎
エネルギー源としてリベレーターの首筋に差し込んだ剣から、幾つもの情報がエルへと伝達される。
上昇速度時速160キロメルトル。
現在高度1700メルトル。
なおも上昇中。
魔導リアクター、好調。
一切の不備見られず。
「クハ!」
彼女は笑う。
吹き付ける突風に身を低くし、その兜の下より漏れる炎の髪をなびかせながら、さらに、さらに加速をとリベレーターに鞭を打つ。
リベレーターの四脚、そのすべてから魔力によって生成された炎が噴出し、膨大な推進力となって彼女の身体を飛翔させる。
二連双発式――最新式の推進機構であった。
「ふん、どうした? あれだけの啖呵を切っておいて、そんなものか? あの
わざわざ伝達魔術を使ってまで挑発を向けるのは、後方から追いすがるヤナクへだ。
既に500メルトル近い差が、両者の間には開きつつあった。
ヤナクは苦笑いしながら、その魔術に応じる。
「切り札はやすやすと切れるものでもないんでね、これでいまは精一杯さ」
「で、あろう! なにせ私の魔霊騎は、大陸一の名馬ゆえな!」
高らかに笑いながら、なおもエルは上昇をやめない。
高度は既に2200――
(魔霊騎による一騎打ち――空域魔術戦闘においてはまずは高度優勢こそが肝要となる。その理由はあまりに単純)
高度2700メルトル。
魔術による酸素生成および各種耐圧・耐寒術式なしでは対処のできない――即ち、騎士のみに許された戦場。
そこで、エルはリベレーターを反転させる。
駆け上っていたものが、いま駆け下る。
上昇に倍する速度で。
(そう、高度優勢とは即ち戦場における攻撃順序の優勢に他ならない。さきに高みを取れば、それだけはやく手番をとれる。私が先に仕掛けられる。それも、上昇するやつに倍する速度、倍する威力で、だ!)
それはあまりに簡単な理屈であった。
無理をして空へ上ろうとするものと、重力に任せ天座から駆け下ろうとするもの。
そのどちらが楽に相手を攻撃できるかなど、まさに火を見るよりも明らかだったのである。
「ゆくぞ!」
コルヴァズの剣を抜き放ち、駆け降りざま
エルはヤナクへと袈裟が斬りを見舞う。
「よっと」
「なっ!?」
本来なら必殺、それだけで十分勝利が決まるような剛剣は、しかし、弓兵の技量によって容易くいなされる。
ヤナクは赤い弓の端を持つと、そのまま逆の極端でエルの剣を受けたのだ。
弓の強性と、柔軟性が、巨岩すら砕くような加速度を付加された魔族の一撃を、器用に受け流し無力化する。
交錯。
ヤナクはそのまま駆け上り、エルは駆け下る。
「なるほど。あれだけの口をきいたのはその実力あってものか。さすがは皇族とほめておこう。だが」
一見して、いま高度優勢を取っているのはヤナクのように思える。
だが、空へ上ることで推進力を使い果たしたヤナクと、自ら駆け下りたエルでは加速度があまりに違い過ぎる。
エルは勢いを活かし、そのまま反転できるが、ヤナクは徐々に失速し、また下方に甘んじるしかない。
これが、空域魔術戦闘における高度優位の普遍性である。
エルは勢いのまま天へと上り、ヤナクは失速しながら自然に高度を失っていく。
再びの交錯。
「ぐっ!」
「ふん!」
エルの剣が、ヤナクの弓を掻い潜り、その鎧――肩口に一撃を見舞う。緑色の鎧が砕け散る。
(しかし、浅い。あのタイミングで避けて見せるか)
加速度の乗ったエルの剣は、本来必殺。
ヤナクはそれを紙一重で交わし、鎧を内側から魔力で砕くことで、さらに威力を減殺して見せたのだ。
(存外に器用な真似をする……!)
舌なめずりをしながら、ふたたびエルは上昇の軌道を描く。
さらに数合、刃が交わされるが、エルの優位は揺るがない。
次第にヤナクは、距離を取り始める。
(高度優勢からの、一度確定した優位は動かない。そして、それを覆すことが出来るのは魔術のみ……くるか、ハイペリアの魔術が!)
彼女の読みは当たっていた。
徐々に失速する乗騎の上で、ヤナクはハンドルから両手を離し、弓に矢をつがえる。
だが、異様だったのは、彼が手にしていた矢は一本ではなく、三本であったという点である。
人差し指、中指、親指がひとつの矢をつまみ、残る指の間に、ふたつの矢が挟まれているのだ。
「
詠唱。
この世にかつて存在した神の、その力を借りる魔術。
うしなわれた神代の権能を、現在に招来するための呪文。
それが、ヤナクの口から紡がれてゆく。
彼の手に握られた弓、そして矢が、銀の粒子を帯びる。
「ふん」
それを、エルは鼻で笑い飛ばした。
あまりにその魔力量が弱々しいものだったからだ。
「
コルヴァズの剣に炎が宿る。
しかしそれは、彼女を現す赤い炎ではない。
灰に、冷たく、凍えるように燃え盛る冷気の炎――
「距離を取れば安全だとでも思ったか!
エルが先んじて繰り出した刃に、ヤナクは首を傾げた。
彼我の距離はあまりに遠く、たった一振りの剣ではとても埋め合わせられない間隙が存在したからだ。
あまりに距離が離れすぎていた。
そのはずだった――
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