06 灰燼姫、おおいに興が乗る

 緑の弓兵は、赤き姫君の喉元に刃を這わせつつ、告げる。


「重ねて言うぞ、誰ひとり近づくな! 俺はぁ……いや、俺はこの国を守るためならばどんな真似もする。この場で大将の首を掻っ切られたくなければ、大人しくしてるんだな!」


 いまにも斬り伏せそうだった体勢を戻し、弓の先端、そこについた刃だけをエルの喉につきつけながら、彼は告げる。

 その力加減がひとつ誤まれば、たやすくエルの命が奪われることは誰の目にも明らかだった。

 だが、


「……私を殺したところで、私の育てた兵たちを止まらん。この国の立場が悪くなるだけだ」


 赤き灰燼姫は、冷徹にそう告げる。

 彼女が喋ったことで、弓の切っ先が喉元にめり込み、その白磁の肌が、張力の限界までくぼむ。

 ハイペリアの皇子、ヤナクは嫌そうに顔を一瞬しかめ、すぐに元の冷たい表情に戻った。


「でもよー、指揮は下がるだろ」

「下がったところでコウキョ城が包囲されている実態は変わらん」

「おまえたちも包囲されているさ」

「突破は易いぞ? 私を顧みなければ、な」


 姫様!? と、周囲でなんとかできないものかとタイミングを伺っていたアトラが悲鳴を上げる。

 帝位継承権第一位であるエルの身にもしものことがあれば、それはハイペリアと帝国だけの問題ではなくなる。大陸間戦争自体にも大きな影響を及ぼすことは容易く予想できたからだ。


「さて、いくつか質問をさせろ、弓兵」

「立場を弁えてるのかねぇ、あんた。生殺与奪の権を握ってるのは、これでも俺なんだが」

「ふん! 私の命などどうでもいい。それよりも――?」


 彼女の視線は、みずからの横へとのびる。

 そこにあるのは、奇妙なであった。

 全体的なフォルムは流線形。その中央部に、腰掛けるためのサドルがあり、しかし馬とは違い、手綱はない。

 かわりに透明な風防が伸びた先端部から、ややサドル側の位置に、ふたつの真っ直ぐな取っ手が突き出ており、風防の内側には無数の計器類がおさめられている。

 もっとも風変わりな点は、その乗り物には車輪がついていたということである。

 流線型の機体の両端に、大きなタイヤが一輪ずつ――合計二輪の、シャフトで固定されたタイヤが存在したのだ。

 そうして、そのタイヤからは、翼のようなものが生えているのだった。


「魔霊騎か?」


 エルがそう問えば、ヤナクは頭を掻きながら呆れたような顔で首肯する。


「共和国の馬型とは違う。我が方――帝国の脚部装着型とも、竜型、炎型タイプ・ジンニのそれとも違う。これがハイペリアのそれか。しかし、これを使えば魔力反応が出るだろう。ならば私に奇襲をかけるなど」

「ああ、だから俺は、限界まで上昇したあと、限界まで加速しながら降下して、あんたらが魔力反応を検知できるギリギリのところで――魔動力炉エンジンを切った。かっこつけていえば自由落下だが……つまり、

「ばっ」


 こともなげに言い放つヤナクに対し、エルは目を丸くした。


「バッカなのか、貴様!? 魔力探知圏外の高空――いや、超上空から制御も無しに落下してきただと!? そんなもの、常人なら意識を失い、否、――」

「でなきゃ、致命的な戦闘に発展する前に、にあんたと顔を合わせることは出来そうにもなかったんでね。そこは無理と条理を天秤にかけたわけだ。結果、運命って奴は俺に味方したみたいだ。いま、あんたの命を俺は握っている」

「――――」


 絶句するエル。

 何故ならヤナクはこう言ったのである。

 彼女に会う為だけに、国民と、皇族と、国と、なにより自分の命のすべてを賭けたのだと。

 彼は、そう言ったのだ。


「なんの」

「…………」

「いったいなんのために、こんな馬鹿な真似をした。答えろ、貴様には答える義務があるぞ、ハイペリア・ベル=ヤナク!」


 その、激発的な問いかけを受けて、ヤナクは神妙な表情になり、突如居住まいを正した。

 そうして、エルの喉元から


「なんのつもりだ、貴様」

「……これまでの狼藉の数々、謹んで謝罪させていただきたく存じ上げます、殿下。御身を危険にさらし、殿下の兵を危険にさらし、それはすべて、たったひとつの話をお聞きいただくためでした」

「…………」

「あるいは、このままそれを口にするのが正しいのかもしれない。だが、それではおそらく、あなたはこちらの要望を受け付けない。故に――」


 ヤナクが顔を上げ。

 言った。



「――――」


 これを聞いて、エルは。


「――ク」


 帝国の第一王女は。


「――クハ」


 フォマルハウト第三帝国第一王女エル・ラ・クタニトア・ド・フォマルハウトは、


「ク――ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」


 大口を開け、楽しそうに大笑した。

 これ以上ないとでもいうかのように、それが心底愉快だというように。


「ハハハハハハハハハハ! そうか、そうか! 興が乗った! 実にいい! ハハハハ! よい、よいぞ! この無様をさらした私にそれをいうか! 。ならばハイペリアの皇子よ、私はきさまと――」


 一騎打ちをやってやる。


 エルは、兇悪に笑い、そう告げる。

 かくして、のちの大陸間戦争の行方を大きく変えるひとつの戦いが、いままさに、火蓋を切って落とされようとしていた。


 幻夢暦1999年。

 春の第二週、その朝のことであった。

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