05 灰燼姫、邂逅す(2)
◎◎
「全隊、進めッ!」
キョーノミヤ周囲一帯に拡散していた帝国軍が、アトラの魔術で拡声されたエルの号令一下、一気に包囲網を完成させ、そのまま狭めていく。
その練度は凄まじく、一糸乱れぬ行軍は、見るものすべてに恐怖を、畏怖を与えた。
「民には手を出すな、貴重な人的資源だ! コウキョ城のみを包囲し、占拠しろ! 他には目をくれるな!」
エルはすべての兵卒たちに檄を飛ばす。
そこにはもはや、怒りの感情も呆れの感情もない。冷徹な軍人としての思考があるだけだった。
(強者と戦えなかったことは無念だ。だが、私がここに来た理由は、それではない。まずは帝国のため、残る皇族のすべてを押さえる……! そして、足がかりとしてこの国を手に入れるのだ)
「魔霊騎隊! 前進! 歩兵と連動し、一気にコウキョ城を陥落させてしまえ!」
「応!」
エルは、このときまでとにかく用心深かった。
用心深くあらねばならなかったし、あからさまな罠を見せられれば、そうあるしかなかった。
彼女は決して油断していたわけでも、慢心していたわけでもない。
どこまでもあらゆる可能性を模索し、より良い未来を勝ち取ろうとしただけである。
だが。
ゆえに、目の前に無血開城という最善手が用意されてしまえば、それに飛びつかずにはおれないぐらいには善性を有する者だったのだ。
あるいは、賢王としての、為政者としての素質はあったのだろうが、それは
前線と補給線が目いっぱい伸び切り、彼女の命令で全軍がコウキョ城に突入し、すべてがうまくいくと思われたその刹那、彼女は初めて気を抜いたのである。
万事が上手くゆく。
こんなものかと、呆気なさを覚えたのだ。
それは、この島国に上陸して初めて、彼女がみせた隙だった。
「――っ!」
それでも、それでもエルは、帝国の灰燼姫は、反応してみせた。
その状況に、おそらく誰よりも早く気が付いた。
自らの周囲に、ほとんど兵力がなくなっているという状況に。
「近衞――!」
前方にあるコウキョ城へと警戒を怠らない有能な職業軍人たちに、自らの近衞兵たちに警告を発すべく声を上げたとき、彼女はそれを見た。
銀の光。
刹那、彼女は抜剣し、それを弾き飛ばした。
キーン! と甲高い音を立て、金属音が響き渡る。全員が振り返る。
宙を舞うのは、一本の矢。
同時に、アトラが叫ぶ。
「魔力反応増大――いえ、急速に接近!? これは――」
「やられた!」
エルが再び剣を構え直したとき、すべては終わっていた。
さらに飛来する音速の矢。
エルの剛剣が矢じりごと両断する――両断したさきに、さらにもう一本の矢が存在した。
(先の矢の影になるように……!? 連射だと!?)
それでも魔族としての身体能力がエルを救った。
強引に身をねじり、必中の矢を避けた瞬間、〝それ〟が尋常ではない速度で、彼女の真上から墜落し、轟音を奏でた。
眼を見開く彼女の赤い髪が、暴風によって巻き上げられ、炎のようになびく。
――間をおかず、彼女は首筋に冷たい感触を覚えた。
眼の前に、ひとりの男が立っていた。
日に焼けた肌に灰色の髪、緑の部分鎧を着た、隆々とした二の腕は剥き出しの兵士――否、弓兵。
踏み込み、振り抜こうとした姿勢のまま動きを止めた彼の、その手に持たれた赤い
「きさ」
「――何人たりとも動くなッ」
威厳に満ちた、低くよく通る声が、この状況下でもあるじを守るべく一歩を踏み出そうとしていたすべての兵士の足を縫いつける。
エルのこめかみを冷や汗がひとしずく伝い、落ちた。
その弓兵――男は、灰燼姫の喉元に刃を突き付けたまま、名乗りをあげ、告げる。
「俺は、ハイペリア皇国が皇位継承権第7位! ハイペリア・ベル=ヤナク! 我らが領土を奪わんと欲する圧制者の首魁、そのいのちを――貰い受けにきた……!」
彼――ヤナクの宣言と同時に、潜伏していたすべてのハイペリア軍が動き出す。
コウキョ城を包囲した帝国軍を、ハイペリア軍が包囲する。
雌伏の時が終わる。
包囲陣のまわりにこそ、包囲陣は存在したのだ。
「貴様……いや、おまえは」
「――――」
呆然とするエルと、それを真っ直ぐに見据えるヤナクの灰白色の瞳。
硬直した戦場に、一陣の風が吹き、二人の衣装を揺らす。
これが、帝国軍が灰燼姫と、皇国の銀の皇子の出会いの瞬間。
この刹那に、大きな運命のうねりが、その胎動を始めたのだった。
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