02 帝国による宣戦布告(2)
◎◎
この世界には、ふたつの超大国、ふたつの巨大な大陸が存在する。
ひとが治めるレイムルと、魔族が治めるラ・ムーである。
そうして、ちょうどのその中央に、まるでふたつの大陸をつなぐ
大海原にぽっかりと浮かぶその海洋国家の名を、ハイペリアといった。
「
知らず、エルの口からそんな一節がこぼれ落ちる。
ラ・ムーに伝わる伝承の一部であり、そうして、おおよそ事実のみで構成された詩であった。
神代より続く大戦のさなか、いくつもの国が併合され、侵略され、蹂躙されるなか、ハイペリアだけは、常に中立を貫いてきたのである。
それは、その特殊な立地と、島国を支配する皇族の力によるものだった。
どちらの大陸にどちらが攻め入るとしても、中間点としての補給基地は必要になる。
それを勘案したとき、ハイペリアはあまりに適材適所すぎた。
あるときまでの大陸間戦争は、まさにハイペリアの争奪戦であったといってもいい。
ハイペリアを手中に収めた国こそ、この世界を支配できるとまで謳われていた。
だが、ハイペリアはあまりに要所として抜きんでていたのである。
ハイペリア争奪戦に、ふたつの大陸はそのほとんど全戦力をつぎ込むことになった。
結果、状況はやはり拮抗。
一進一退の争奪戦の末、国力は疲弊の一途を辿り、共倒れの様相を呈し、ハイペリア自体も焦土と化した。
進退窮まったふたつの国家、ふたつの大陸は、ハイペリアに対して不可侵条約を締結。
お互いが、その国を領土とすることを放棄し、中立地帯として定めたのである。
事実上の独立権を勝ちえたハイペリアは、復興のための労働力として、ふたつの超大陸からの移民を率先して受け入れた。
そして、そののちに、一部の例外を除いて国を閉じ、物理的にも形式的にも戦争の緩衝地帯として機能してきたのである。
その中立国家を、フォマルハウト帝国はいま、侵略しようとしていたのだ。
「一方的な条約の破棄だ。これは外交問題に発展するだろうな」
「致し方ないことかと」
エルの問いかけに、アトラはそっと目を伏せる。
明言しないほうがいい事柄を、黒髪の給仕はよく心得ていた。
エルは皮肉気に笑う。
「しかも魔王陛下は、宣戦布告なしの不意打ちをかけろという。この見合いの席でだ」
カマキリの雌が寄ってきた雄を見たような顔をしているエルに、アトラは無言で頷きを返した。
「ノーコメントです」
「はっ倒すぞ」
「ぎゃふん!」
そんな風に長い付き合いの給仕と戯れながらも、エルは思考をやめない。
ハイペリアが、島国全体に張り巡らせた結界の一部を開く例外条件は、ただふたつ。
ひとつは両国からの移民を受け入れる際。
そうしてもうひとつの例外が、共和国か帝国、その両国からの皇族に対する求婚を受けた際だけである。
つまり、いまエルは、皇族の花嫁として、あるいは婿養子を取るために、ハイペリアへと向かっているという建前なのであった。
「ふん」
どうしようもないと彼女は笑う。
(花嫁だと? 私の格好はなんだ? 鋼鉄のドレスではないか。貢物はなんだ、花嫁道具は? 決まっている、私が手塩にかけて育て上げたこの――)
かなたにあった島国が迫り、エルの乗る巨大船の、その
カダスとフォマルハウトにひとかけらずつ預けられたその札こそが、結界を開ける鍵であった。
(無論、それはハイペリア側の承認あってのものだが……さて)
見守るエルの視線の先で、結界に異変が生じる。
外界とハイペリアを隔てていた
突風。
海を、空を裂くようにしてひらいた結界のなかから、苛烈な風が流れ出し、海を覆っていた霧をことごとく吹き散らかす。
現れたのは、大船団。
370隻の巨大帆船からなる大艦隊が、ハイペリアの領海内――国内へと侵入を果たす。
神の残した秘術の残滓――魔術。
魔族が特に得手とするそれのうち、霧の魔術がこれまで船団のすべてを隠蔽していたのだ。
水夫――それに偽装していた兵士たちが、一斉に船から身を乗り出し、鬨の声を上げる。
「父上は宣戦布告なしと言われたな」
エルはひとりごち、やがて肉食獣が牙を剥くような、
「だが、私はそういった卑怯事は
王女の呼びかけに応え、控えていたアトラは即座に魔術を展開する。
拡声の魔術。
ハイペリア全土に、その首都に、エルの大音声が響き渡る。
「我が名はエル! フォマルハウト第三帝国第一王女にして、
エルはおもむろに右手を掲げる。
天へと向けられたその手の平に、莫大な魔力が集結。
次の瞬間、夜の闇すべてを焼き払うほどの、巨大な火球となって放たれる。
「我ら帝国の軍門へと落とす! これは――正当な宣戦布告である!!」
フォマルハウト王家がもっとも得意とする魔術であり、その圧倒的な熱量、爆発する火炎は、赤々と夜明けを告げる。
それこそが、すべての幕開けであった。
かようにしてフォマルハウト第三帝国とハイペリアの戦争は幕を開き――
そして、誰も予想が出来なかった形で、終息を迎えるのである。
幻夢暦1999年。
春の第一週のことであった。
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