第一幕 灰燼姫と銀の皇

01 帝国による宣戦布告(1)

 幻夢暦げんむれき1978年。

 レイムル大陸とラ・ムー大陸による、幾度目かもわからない超大陸間戦争の火蓋は切って落とされた。

 神代しんだいから続く大戦争。

 人族と魔族による対立戦争は、このたびもまた泥沼の様相を呈していた。

 すべての人類種を治める、人王ヴィブルニアス率いる神聖共和国家カダスは、その圧倒的な数、質量によって魔族を蹂躙し。

 あらゆる魔族の主、魔王ノデウスが統率するフォマルハウト第三帝国は、人をはるかに凌駕する力と、魔術の技をもってこれに拮抗する。

 南方より攻め入るレイムルが人族の奔流。

 北方より打ち込まれるラ・ムーが魔族の鉄槌。

 そのふたつの武力の天秤は、ある意味では幸福なことに、そして多くの者にとっては悲劇的なことに、ほとんどまったく膠着こうちゃくし、帳尻があってしまっていた。

 戦いは長く、細く続き、死傷者の数は過去最大にのぼっていた。

 ふたつの国家は、ある意味で同種のものであった。

 侵略国家であるという性質は同じであったからだ。

 カダスも、フォマルハウトも、ひとつの例外を除いて、自らの進路にあるすべての国を、己が国に取り込み、肥大化し、巨大化しながら永遠の戦いを続けていた。

 そのふたつにわずかなりとも違いがあったとするならば、カダスはあくまで人のみの共同体であり、フォマルハウトは利益になりさえすれば種族など関係なく地位が約束される軍事国家であったという点である。


 幻夢暦1999年。

 20年以上も続いた戦争は、徐々に単一国家を目指したカダスへと軍配が傾き、フォマルハウトは劣勢に立たされていた――



◎◎



「その、起死回生の一手が、これか……」


 霧がかかる、夜明けの黒い海を進む巨大な帆船のうえで、真紅の勇壮な鎧に身を包んだその人物は、ポツリとつぶやいた。

 燃え上がるような赤い髪に、この世すべての財宝よりも美しいとされる黄金の瞳を持った長身の女性であった。

 その腰では、豪奢な鞘に収まった象牙の柄を持つ長剣が、船の揺れに合わせて上下している。


「ご不満ですか、姫殿下」


 そう彼女に声をかけたのは、清楚な給仕服を着込んだ黒髪の女だった。

 その瞳には、どこかいたずらをするような色がある。


「私をいじめるなよ、アトラナート」


 姫殿下と呼ばれた人物は、小さく苦笑してみせた。

 獅子が苦虫をかみつぶしたような、周囲がどよめく苦笑である。


「無論、我が父たる魔王陛下の下知げちに異議を唱えるつもりはない。最善だろう、最善だろうともさ、これが、これこそが最善だ」

「まったくそのようには思われていないご様子ですね、姫殿下」

「……アトラ」


 姫殿下――フォマルハウト第三帝国第一王女エル・ラ・クタニトア・ド・フォマルハウトは、自らの従者であるアトラナートを、呼び慣れた愛称で呼んだ。

 幼い日から自らに仕えるアトラへの親愛――というには、いささか困惑が勝ちえた声音だったが。


「その、姫殿下という呼びかたは、どうにかならんかね。なんというか……あまりにあんまりだ」

「姫殿下は姫殿下でしょう。それ以外に呼びようがありません」


 まさか、フルネームでお呼びしてもよろしいのですか?

 アトラがそう問えば、エルは瞑目し、口元をさらなる苦味に引きつらせる。

 彼女は古い因習を嫌う気質を持ち、相手のことを正式な名前で呼ぶことも、自らの名を全て読み上げることも苦手にしているのだった。

 無論、正式な儀礼に乗っ取るのなら、話しは違ってくる。

 その場合、彼女は誰よりも歴史を重んじることになる。


「だが、その……姫殿下というのは、私のイメージではない。言葉で表すのは難しいが、とてもむず痒い」

「可憐な呼びかたです」

「私はどちらかといえば無骨者だと自認しているのだが?」

「あ、はい。そうですね、岩をも砕く怪力でヘッドロックされては、そのご自覚に首肯せざるをえません。ええ、えませんとも!」


 ほとんど予備動作もなく頭部を脇に抱きこまれ、ギリギリと万力のような腕力で締め上げられたアトラは、余裕をかなぐり捨ててエルの意見を激しく肯定した。

 強固な鎧も相まって、一切の誇張なく、エルの気分次第では頭のひとつやふたつ、呆気なく砕かれることを、彼女はよくよく知っていたからだ。

 


「と、とにかくです姫殿――エル様」


 ヘッドロックから解放されたアトラは、冷や汗をかきながらもにぶく痛む頭蓋骨全体をさすりつつ、エルへと進言した。


「今回の策略が成功しなければ、まことに遺憾ながら、帝国の勝利はひどく遠のくことでしょう」


 きわめて真面目な表情で、アトラはそう言った。

 エルも腕を組み、自らの薄い唇を撫でながら、さきほどまでよりもいっそう苦渋に満ちた表情を浮かべてみせる。

 それによって、彼女たちの周囲で帆船の制御をおこなっている水夫たちが震えあがりもしたが、エルにとっては些末なことであった。


(勝利が遠のくとは、また持って回った言い方だ。未来がないと言ってしまえば、よほどせいせいするだろうに)


 内心でエルはそんなことを考える。

 無論、口が裂けても言葉にはしない。

 それをもし口にすれば――たとえ第一王女であっても――敗北主義者の烙印を押され、厳罰を科されることは目に見えていた。


(厳罰で済めばいいほうだな。ありていに言えば、死罪。これが帝国の実情だ。そうして、私はそのルールを、まったく関係ない〝国〟に適用しようとしている――)


 彼女は、霧の向う、海の最果てを眺めた。

 そこには、天上までも届かんばかりに立ち上る、光のベール――ひとつの国家を包み込む、巨大な結界が存在していた。


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