03 灰燼姫、おおいに訝しむ

「……つまらない」


 エルはポツリと、しかし心底退屈そうにそう呟いた。

 行軍する帝国軍の中央、魔術によって浮遊する汎用移動指揮所――チャリオッツの内部からの呟きだった。

 内部の面積は恐ろしく広く彼女の近衞兵と侍従を入れても十分すぎる余裕があった。

 また、突発的襲撃に備えて防御魔術も十重二十重に施されていた。


「つまらない」


 エルは子どものように繰り返した。

 帝国軍による制圧は、驚くほどスムーズに進行した。

 港町に大挙した彼女たちが見たのは、無抵抗なハイペリア国民の姿だった。

 彼ら、彼女らをまもる兵卒は、一兵たりとも存在しない。

 砦や街をまもる城壁にも、武器のひとつすら残されてはおらず、まったく労せずして、エルの率いる帝国軍は、はじめの街サイドハーバーを制圧するに至ったのだ。

 そして、それはあとの、ハイペリア皇国首都を目指す旅路のなかでも、まったく変わらない事柄だった。


「なんだ、この国の住人は? 平和ボケでもしているのか?」


 そう不平不満を連ねる彼女の言葉に、もっともだと横に控えるアトラは思う。

 なにせ、彼女たちが制圧した皇国民たちは、


(まるで客人をもてなすように。そんな扱いを受けましたからね……それは、姫殿下といえども拍子抜けすることでしょう)


 ただでさえ派手に――なるたけ派手な開戦を告げたにもかかわらず、それをほとんど無視された形なのだ。

 それを思うと、アトラには自らの主がどういった心中であるか察せられた、なんだかいたたまれなくなった。同時に、獣が飢えているのではないかと不安にも駆られた。


「あの、エル様」


 少しでも気を紛らわしてもらおうと、アトラがエルに声をかけようとしたときだった。

 エルが、逆にアトラへと言葉を投げかけてきた。


「なあ、アトラ」

「はい」

「私は――そこまで無能だと思われているのだろうか?」

「……!」


 思わず、黒髪の女給仕は固唾を飲んだ。

 帝国でも有数の戦士にして、比肩するもののない将――そして騎士であるエルの瞳に、ひどく剣呑な光が灯っていたからである。


「ソダグイ准将を呼べ。喫緊きっきんの議題があるとな」


 いつになく冷徹な彼女の言葉に、アトラは反対する理由をひとつも見いだせなかった。


「ゾタグア・ド・ソダグイ、招集に応じ参上いたしました」


 指揮所に入ってきたのは、怠惰をかき集めたように垂れた腹に、しみのような色の肌、髪どころか眉もない禿頭の男であった。

 その肥満体の身体からは、年齢を推し量ることができない。

 この男を見るたびにアトラは醜いなぁと思うのだが、どこか一周回って愛嬌のようなものも感じていた。

 その、アトラ曰く『キモかわ系将校』が、エルへと問いかける。


「して、喫緊の議題とは?」

「准将、我々はいま、ハイペリア皇国のどのあたりにいる?」

「はっ。港町サイドハーバーより征西を開始。ムサン、ロングノー、キーフを落とし、順当に行程を消化。あと二日と待たず、ハイペリア首都キョーノミヤに迫ることができるでしょう」

「そのあいだ、戦闘は?」


 エルのその問いに、ソダグイは「皆無ナイン」と答えた。

 第一王女は左手で口元を隠し、ゆっくりと上唇を撫でた。

 それが、彼女が深く考察するときの癖であることを、アトラはよくよく知っていた。

 故に、それでも、だからこそそのあと、エルが吐きだした言葉にアトラは、そしてソダグイも度肝を抜かれることになる。


「見え透いた罠を張られたものだ」

「は?」

「罠だ、これは簡単な罠だ、ソダグイ准将。しかも、罠と知っていても受け入れざるを得ない類の、性悪が考えそうなそれだ」


 はぁー、と。

 深く溜息をつき、エルは顔を上げる。

 その至宝の黄金瞳に、苛立ちのようなものが浮かんでいることに、アトラだけが気が付いた。


「准将、これまで制圧した町、そして道中で戦闘は皆無だったな。貴様が報告を怠慢していなかったのならそうなるはずだ」

「……自分が勤勉と言い難いのは確かですが、しかしながら申し上げます。事実です」

「戦闘はなく……では制圧した町、村の住人たちはどうした」

「どれも友好的、無抵抗であり、国際法に則って捕虜として扱っております」

「その管理は?」

「分割した我が方の軍が――なるほど」


 そこまで言いかけて、ソダグイは渋面を浮かべた。そうして、さきほどまでのエルと同じように、おそろしく面倒臭そうな顔をする。


?」

肯定だヤー。十分な準備、備蓄をもって攻め込んだとはいえ、。我々にとっては敵地。そして、その補給線を引き延ばされているとなれば――」

「――! キョーノミヤ直前、そこに至るまでの伸びきった場所で、叩いてくると、そうお考えなのですね、姫殿下?」

「そうだ、アトラナート。そして姫殿下はやめろ」


 ハッと気が付き、思わず口を挟んだアトラの頭蓋がきしむ。

 三メートル近く離れていたはずの距離が気が付けばゼロになっており、その頭部にアイアンクローを噛まされていた。


「ひ、ひぃぃ!? いた、痛いです殿下ぁっ!」

「おまえが私の素敵な呼び名を考えたら許してやろう。さて、引くな、ドン引きするな、准将。話を続けるぞ?」

「は、はぁ……」


 腰が引けているソダグイ、悲鳴を上げ続けるアトラ、その両者を無視し、エルは高らかに言った。


「これは企てだ。いかようにして我々が来る前に兵を引き、民草に演技を仕込んだのかはいま考えても解らん。ついでにいえば国民を差し出すことを戦略に組み込むキチガイさもだ。だが、かならずや彼奴等きゃつら、ハイペリア皇国、その、我ら魔族にも劣らぬ熟達者アデプトたる皇族どもが、黙っているわけがない。そしてこちらの目的が侵略、その皇族、軍力の確保である以上、罠とわかっていても突き進むよりほかない。大陸間戦争は、それほど逼迫しているのだ」


 エルは、にやりと笑い告げる。

 それは眠っていた竜が身を起こしたような、一種荘厳なものにアトラは感じられた。

 退屈。

 先程までのその言葉のすべて、所作のすべてが嘘であったとでもいうかのように、王女は声を張り上げる。


「くるぞ、必ず来る。最高のタイミングで彼奴等は横面をはたきに来る! 伏兵があるに違いない! けっして、けっして警戒を怠るな!」


 帝国の誇る灰燼姫は、自信満々に、そして意気揚々と、来たるべき戦いへと血をたぎらせ、宣言したのだった。


「――首都まで、無傷でたどり着けると思うなよ!」



◎◎



「……辿り着きましたね、無傷で首都まで」

「何故だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」


 灰燼姫が絶叫することになったのは、件の会話から二日後、キョーノミヤを望むブリンガー・マウンテンに陣取ってからのことだった。

 アトラはのちに、「見事なフラグ回収だった」と日誌に記している。

 春の第2週が、訪れようとしていた。

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